Archive for the ‘ネット’ Category

「商用情報サイト」の発信者開示が必要ではないか?

同業者の悪口は言うものではないが、「イロリオ」は胡散臭いと思っている。

IRORIO(イロリオ) – 海外ニュース・国内ニュースで井戸端会議

何が胡散臭いかと言えば、

誰が運営しているかの明示がない

という点だ。

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ネットでの主張は極論なくらいがちょうどいい

まぁ、何度も書いてることなんだが。

ちきりんのちょっと前のエントリ

「AともいえるがBともいえる」とか言う人の役立たなさ

いつも言ってることの繰り返しになるんだけど。

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クラウドワークスやらランサーズやら

なんかちょっと話題になってたようだ。

クラウドワークス社長が梅木雄平氏のステマ疑惑の記事に対して遂に絶縁宣言

一応、備忘のためにリンク貼っておくけど、他意はない。

何があったかは、よそ様のウェブサービスの評価のことなので、それを云々する気はない。私の立場でその手のものを云々することは、自分の首を締めることになりかねないので。

どっちのサービスがどうとか、何があったかとか、そんなものは

50歩100歩

のことであって、どうでも良いのだ。

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ネットにあふれる「名言」とか。

聖書の話だけど、別に抹香臭い話ではない。

旧約聖書に「箴言」という書がある。

早い話が「名言集」みたいなもので、いろいろ格言的な言葉が並んでる。多分、どの一節でもFacebookで「いいね!」と「シェア」が並ぶような、そんな名言が満載なわけだ。実際、「らシェア」に出て来たりする。

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「切り捨ての論理」は通用しないかも

相変わらず、バカッターが進化していて、DQN行動に歯止めがからない。

ちょっと前まで、あれは

  • 単なるネットによる可視化(昔から馬鹿はいた)
  • DQNの想像力の欠如(身内でウケてりゃ満足)
  • 「近頃の若いもん」の行動(「俺も若い時はヤンチャした」)

的な考察があった。てか、たいていの考察ってこのどれかを結論にしてると思う。

これらに共通するのは、要するに「俺達とは関係ない奴等が馬鹿やってる」的なものだった。普段マトモな生活を送っている人達ほど、そういった結論になりがちだ。そりゃそうだ、自分でやるとは想像もつかない行動だから、「俺達とは違う人種」と分析するのは、そう突飛なことではない。

でも、最近ふと、そういった「俺達と違う人種」という結論で良いのか、疑問に思うようになって来た。

あくまでも「疑問」に過ぎないので、それでどうしたとか言えないんだけど、

  • いくらでもある
  • 騒ぎになった後からでも出て来る
  • バリエーション豊富

とか思うと、そういった単純な結論で良いのかと思えて来る。つまり、

構造的な何か

があるのではないかとさえ思えて来る。

もちろん「社会が」とか「ネットが」「貧困が」的な理由づけもされているのだけど、そういったわかりやすいと言うか、安易な結論で終わるようなものでもない。もちろん「ユダヤの陰謀」の類でもないだろうけど。

何だかよくわからんけど、もうちょっと成行きを注目してから説明しても遅くないような気がして来た。DQNの分析みたいな話は、それはそれで意味があると思うのだけど、それでバカッターの説明は拙速なように思う。

DQNは学歴とかなんとか関係なくね?

増井さんとFacebookで話してたんだが。

徒然草 第五十三段

これも仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、おのおのあそぶ事ありけるに、酔ひて興に入る余り、傍なる足鼎を取りて、頭に被きたれば、詰るやうにするを、鼻をおし平めて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座興に入る事限りなし。

しばしかなでて後、抜かんとするに、大方抜かれず。酒宴ことさめて、いかゞはせんと惑ひけり。とかくすれば、頚の廻り欠けて、血垂り、たゞ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響きて堪へ難かりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足なる角の上に帷子をうち掛けて、手をひき、杖をつかせて、京なる医師のがり率て行きける、道すがら、人の怪しみ見る事限りなし。医師のもとにさし入りて、向ひゐたりけんありさま、さこそ異様なりけめ。物を言ふも、くゞもり声に響きて聞えず。「かゝることは、文にも見えず、伝へたる教へもなし」と言へば、また、仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母など、枕上に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんとも覚えず。

かゝるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらん。たゞ、力を立てて引きに引き給へ」とて、藁のしべを廻りにさし入れて、かねを隔てて、頚もちぎるばかり引きたるに、耳鼻欠けうげながら抜けにけり。からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。

現代語訳の方は著作権の問題があるので、引用は原文の方で。

宴会でウケを狙って、鼎をかぶった坊主の話だ。抜けなくなって周囲があわててあれこれするけどどうにもならんので、とうとう「鼻とか耳とか千切れても死ななくね?」とゆーDQN論理で無茶苦茶引っぱって抜いたとか。

キモは「酔ひて興に入る余り、傍なる足鼎を取りて、頭に被きたれば、詰るやうにするを、鼻をおし平めて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座興に入る事限りなし。」のところ。「コンビニの冷蔵庫に入る」ってことと、どれだけ違うんだ?

やったのは「坊さん」なので、当時としてはそれなりの知識階級であり、DQNとは違う人種のはず。そりゃまぁ、当時のことだから、炎上 -> 謝罪みたいな流れにはならなかっただろうが、いろいろあっただろうなーとゆーことは想像に難くない。

とか思うと、実は「コンビニの冷蔵庫」みたいなことは、実はDQNだなんだってことは実は関係がなくて、単にノリで結構されていて、その一部がネットに漏れて炎上案件となった… ってことなのかも知れんね。

モラハラって楽だよね

たいしたことのない、当たり前のことなんだけど。

「モラハラ」って本当に楽。動機が嫌がらせであっても、

  • 君のことを思って
  • みんなのため
  • ルールを守って
  • 人間として
  • ルールに従ってやっている

とかってふうに、自分の外に根拠を作ることが出来る。反発すると、

  • 常識知らず
  • 無法者
  • 売国

みたいに、またそれで責めることが出来る。

でもね。人間なんて元々そんなちゃんとしたもんじゃないし、「公益」なんていくらでも屁理屈こねられるし、社会的常識なんていくらでも変わる。

そもそも、少なくとも日本には「絶対的な倫理基準」なんてないんだよ。法律だって憲法だって、変えようと思えば変えられるんだし、そもそもそれは「倫理」そのものではない。「殺人」であっても、誰もが認める絶対悪じゃないでしょ。宗教のような共通土台を持った絶対的な倫理基準があれば別だけどね。

そんなわけで、あらゆる種類の「モラルの押しつけ」ってのは、全て「嫌がらせ」だと思って間違いはない。「やった」人ってのは、「少なくともその局面ではそれを行うことは、少なくとも次善である」と思ってやっているはずなのだから、他から持って来た倫理を押しつけるってのは、嫌がらせ以外の何物でもないでしょ。

「あなた」が仮に本当に相手のことを思って、モラルが解きたいのであれば、押しつけてはダメだ。納得するまで、教え諭すものであって、指摘するものじゃない。それが出来ないのであれば、「あなた」か「相手」にとって無理なのだから、諦めるしかない。もしかしたら、その「モラル」自体が間違いなのかも知れない。

いわゆる「乙武騒動」について

私は学生時代~社会人の初期の頃、バリア関係なところで活動していた。だからああいったことは、30年くらい前に散々経験して来て、かなり予定調和的な展開になってるので、それ自体はどーでもいーなーと思っている。むしろ、「30年もたってるのに、何も進歩してないね」ってことの方が驚き。まぁ驚きだけど、もう飽きてるネタだから、どうでもいいや。

ただ、周辺の諸々については、「いまどきだよねー」と思うので、その辺について。

まず、「乙武みたいな影響力のある奴が実名挙げたのが悪い」的なことを言ってる奴等。「影響力厨」って、twitterあたりに多いよなーって思うのは、フォロワが可視化されてるからだろうな。

この「影響力」については、いろいろな思いがある。何しろ本人は「見て見てー」って宣伝してるわけじゃないから、twitterでの「影響力」なんてのは、本人が意図したところではないであろうこと。まぁ、「素の僕が見れますよ」的なことを言ったりとか、ブログにリンクつけたりはしてるだろうけど、積極的にどんどん宣伝して増やしてるわけじゃない。だから、何かの公式アカウントとかって立場にしてない限り、本来プライベートなもの。まぁ、そこに影響力を認めるのは勝手けど、そこで「影響力がある奴は口を慎しめ」とか言われても、「そりゃないぜ」だろう。

面白いのは、普段そういったことを言ってる奴等までもが、「乙武は影響力考えて発言しろ」と主張していること。なんとゆーか、美し過ぎて微笑みを感じずにはおられない。

前にも書いたことなんだけど、こういった「不愉快なこと」ってのは、ブログで、つまり自分の文責であれば、容赦なくどんどん書くべきだと思っている。

私は容赦ないです

理不尽のウサはブログで晴らせ

ネガティブ情報は具体的に

「影響力」があれば、あるだけ有効。どしどし書くべきだと思う。

今回の件、「車椅子の奴」にとっては非常に有効な情報だ。そこの店に入れないことが知られれば、車椅子の奴が押しかけて困ることもなくなる。車椅子が嫌いな人は、車椅子を目にすることがないと約束された空間がそこにあるということでもある。店にとっても車椅子の奴にとっても、何も悪いことのない、Win-Winの情報だった。特に「乙武」のような「影響力」のある人がそれを知らしめてくれたのだから、お互い感謝して良いことだ。

ところがなぜか「炎上物件」になってしまった。

「車椅子で入れない」ということとか、「乙武が個人的に不愉快な思いをした」ってこととかは、車椅子でもない、乙武でもない人達にとっては、

全く関係のないこと

のはずだ。銀座行く気も金もない奴にとっても関係ないし、「なんか騒ぎになってるなー」程度に流してる私みたいな奴にとっても関係ない。

ところがなぜか「炎上物件」になった。まぁ、「なぜか」とか言いながらも理由は明らかで、「乙武の不愉快をネタに何か叩きたい奴」と「乙武の影響力をネタに乙武を叩きたい奴」が盛り上げてしまったからだ。

車椅子でない奴にとって、「車椅子の扱いの悪い店」ってのは、本来どーでもいー。強いて言えば、「多分ベビーカーでも無理だろう」とか「デカいスーツケース持ってるのもマズいだろう」ということとか、「そんなに狭いのか」みたいなことを想起させるだけだ。

普段から乙武気に食わないなーと思ってる奴にとっても、それ自体なら「ざまー」で終わる話。

それがまぁ、「叩きたい奴」が集まって盛り上がってしまってるのだから、「いまどき」って感じになってしまっているのが風流だ。

というのと、まー一連の「ヘイトスピーチ」的なものを見ていると、

おまえらそんなに叩きたいか?

と思うくらい酷いものが並んでいる。普段理性的なことを言ってる人達までが、言葉は汚なくなくとも、結局ヘイトスピーチみたいなものを書いていたりする。2,3日Facebookは見ないでおこうかと思ったくらいだ。こういったのを見ると、あまりに残念な気持ちになるので、チラと「取り締まれよ」的な思いが、頭をかすめる。

とは言え、そういったものを一切消してしまったらどうなるかと想像したら、Facebookのような生暖かい、表面を取りつくろった、リア充のフリをした、なんつーか気持ち悪い世界になってしまうに違いない。乙武とは別の意味で、不愉快を口にすることの出来ない世界になってしまう。それを思うと、「当事者」として

ヘイトスピーチが出来る世界は幸せ

だなぁと感じる。

確かに、あまり目にしたくないので、うまくフィルターかけて目に触れないようにしたいと思う。でも、それを「黙れ」と言ってしまうと、フィルターで消してしまえるもの以上に、いろいろ目に触れなくなってしまうだろう。それが幸せかと言えば、ヘイトスピーチを嫌う私でも、あまり幸せなようには思えない。

とかとゆー、ちょっと斜め上のことを考えてみる事件だった。

さらに「いまどき」なのは、「話題になったんで行ってみたい」とか言う奴がいること。まー、確かにこんなことでもなかったら店の名前知ることもなかった人達に名前を知らしめたという点で、

悪い宣伝はない

ということを地で行くような事件だなーということもある。乙武叩いた奴は店の味方なんだろうから、行ってやれよ。おまいらの嫌いな乙武がいないことが約束された空間がそこにあるのだし。

「マス」って面白いね。

例の韓国のIPアドレスの件

私よりも頭良くて経験豊富な奴が書くと思うんだけど、とりあえずFacebookに書いたので、修正転載しておく。

ネトウヨが韓国の悪口を言うのは、パン屋がパンを売るようなものだと思うのだが、腐ったパンを売るのは悪いパン屋だ。

例の韓国の件で、「よそのグローバルアドレスつけるなんてwww」とか言ってるガキが多いので、解説しておく。まぁ、彼の農協がそういった事情であるかどうかは別だが、「未開の韓国人」的なイメージと共に語ってる恥知らずがいるので、黙らせておきたい。

「ローカルIPアドレス」とゆー概念が一般的になったのは、RFC1918によるものだ。

プライベート網のアドレス割当

これ以前は、そういったものはなかったので、IPを使う時のアドレスはちょっと苦労したものだった。何せ今ほどネットワークについてわかりやすい解説書はなかったし、「わかってる人」も今の目で見ると、「ちっともわかってない人」程度の知識でなかったりした。

LAN上のプロトコルとしてTCP/IPが一般に普及したのは、1980年代の半ば頃からだ。その当時は「イソターインターネット」なんてものは、一般には存在していなかったので、LAN間が接続されるなんてことは想像もしなかった。だから、IPスタック設定の説明書に「IPアドレスは…」とか書かれていても、なんつーかピンと来なかったものだ。しょうがないから、適当な数字を使う。

そんな時代のネットワーク機器ってのもいい加減なもので、デフォルトのIPアドレス設定が、なんか適当なアドレスだったりするのはザラだった。今だと192.168.0.1がルータのLAN側のデフォルトアドレスだったりるうので、「よそのグローバルアドレス」なんてつけるアホはおらんけど、その当時はそのアドレスがよそのグローバルアドレスだったとゆーベンダーも少なからずあったのだ。そこで「適当な数字を使う」のガイドラインが出来る。買って来たネットワーク機器についてたデフォルトのアドレスを使うのだ。頭いいww

そういったいい加減さでも誰も困らなかったのが、インターネット以前だ。でも、その当時からnfsとかtelnetとかは便利に使っていた。てか、それは

LANのコマンド

とか思っていた。そんな時代であっても先進的なところは、それなりの規模のLANを構築していた。特にメインフレームがあったところだと、端末の配線が結構大変だったり、分配装置がいい値段だったりしたので、LANはかなり重宝されたものだ。メインフレームやUNIXのあったところは、Netwareとかはお呼びではなかった。

そういったものがインターネットにつながるようになったのは、1990年代の後半以後だ。その頃から「そのうちIPv4のアドレス足りなくなるぞ」な話はあったし、それ以前(1990年代前半まで)はclass Aやclass Bを大判振舞いしていたのが、90年代後半になってくれるのはclass C単位とかCIDRでもっとちっちゃい単位とかもらうようになった。

その頃NATとゆー技術が開発された。初期はアドレスだけのマッピングだったので、グローバルアドレスがいっぱい必要だったけど、masquaradeなんつー「LANのアドレスとポートをグローバルなアドレスにマッピングする」とゆー技術が出来たので、IPアドレスの問題はいろいろ楽になった。お陰で、RFC1918に従ったアドレスだろうが、そうでないアドレスだろうが、うまい具合にインターネットに出て行けるようになった。

ネットワークのおもりやったことがある奴ならわかると思うが、IPアドレスのつけかえは面倒臭い上にリスクがある。クライアントだったら今時はDHCPだったりするから問題ないのだけど、サーバのアドレスを変えるのは当該サーバだけではなくて、そのサーバを参照しているところのアドレスまでつけかえなきゃいけなかったりするので、相当に面倒臭い。そこで、RFC1918が一般的になる以前に構築されたLANは、いまだに「適当なアドレス」が振られたままだったりする。私も比較的最近そんなLANに遭遇して、「そーいやーそんな時代もあったよな」とか思い出したものだ。

ローカルにグローバルのアドレスを使っていて困ることと言えば、

正式にそのグローバルアドレスを持っているところには接続できない

とゆーことぐらいだ。使ってるアドレスの規模にもよるだろうけど、仮にそれがclass Aだとしても、接続出来ないところはインターネットの1/256に過ぎない。本当はもうちょっと確率高いけど、大雑把にそんなものでしかない(あくまでもアドレスの確率)。そこが重要なところであれば、アドレスつけかえするコストを払う価値はあるけど、どうでもいいところだったら別に困ったりしないから、放置してあっても不思議ではない。件の事件、中国のアドレスらしいけど、普通の韓国人は中国には用はないので、アドレスかぶっていても何も困ってなかっただろう。困ってなかったら、少なからず工数のかかる作業に金払う奴はいない。組織内のヲタはgdgd言うかも知れないが、そんなのクビにしちゃえばいいだけだ。コストバランス考えろよと。

まぁそんなわけで、韓国の農協が中国国内に割り当てられたグローバルアドレスを使っていたなんてことは、歴史的には不思議でも何でもないし、それが「今」であっても殊更に問題が起きるわけでもない。また、それを誤認したとしても、あらゆる可能性を考えない限り、「勝手なグローバルをローカルに振っていた」と断定するのは難しい。まぁ、「中国からだ!」とか言っちゃったのも、相当アレではあるけど、素直に「間違いでした」って発表したのは、少なくとも一連の「猫事件」の捜査当局よりは知性がある行動だwww

PS.

仙石氏から、「最初に出たのはRFC1597だよ」と指摘を受けた。

閉じたインターネットの為のアドレス割り振り

「歴史」と言う意味では、現行RFCではなくて、先に出た方を挙げるべきなので、↑の文章は

s/RFC1918/RFC1597/g

s/1996年/1994年/g

と読み替えて下さい。となると19年も前なので、ますます知らん奴が増えて来るなぁw

「分散的にネット上に存在する数ある性風俗の一つへと成り下がる」

開沼博 闇の中の社会学 「あってはならぬもの」が漂白される時代に

第2回
「売春島」の花火の先にある未来

時々読んでいる連載。表題はこの記事の中にあるフレーズ

「客は何でもネットで探す。女のコの質、料金、なんでも出てくる」(同)。それによって、安易に旅先として明かせない秘境となる一方で、分散的にネット上に存在する数ある性風俗の一つへと成り下がることとなり、島の潜在顧客を絞ってしまった。

という話。

ここでは「性風俗産業」ということで書かれているのだけど、別に「性風俗産業」に限った話ではなくて、世の中のあらゆるビジネスはこうなっている。この辺は「楽天」で買いたいものを先に決めて検索していると気がつく。いつも言うことなのだけど、ネットでショップを検索する時には、「安く」「速く」ということをモノサシとして探すものだから、全ての店舗は「ネット上に存在する数ある」になってしまう。

ネットでない場合、お店や商品を探す時にどうするかと言えば、まずは「近く」とか「馴染み」とかで探していたはず。もちろん「安い」とかも重要だけど、同じ商品を持っている店舗をくまなく探して最安店を… なんてことは、学生や主婦ならいざ知らず、普通の社会人には難しい。休日の秋葉でそんなことやっている人もいるけど、そうやって手間かけて探しても、数1000円のパーツが数10円安いとかその程度の違いだったりするので、それならまとめて揃う店で割引きしてもらった方が良かったりする。実店舗の場合、「安く」は意味がないわけじゃないけど、そんなに重点を置くファクターではない。

ネットの場合、まとめて買うと送料が安くついたりするので、そういったまとめ方をすることはあっても、それにしても結局「安く」のモノサシは変わらない。チャリンコ系のショップにひっかかると面倒だから、「1円でも安く」はしない人が多いけど、出来るだけ安いところで。そして、早く手に入れたいとか、チャリンコ系を避けるためには、納期が短いとかってのも大事… ってことで探す。ある店でしか扱ってないものを買う時は、以前購入してどうだったとか、いわゆる「口コミ」的なものを気にすることはあるけど、どこでも手に入るものなら、「安く」「速く」だ。つまり、全ての店舗はそういったもので表現される、

ネット上に存在するデータ

に成り下がる。

これについてどうだこうだ言うことはしないし、言ったところで解決が思いつくわけでもないのだけど、「ネット上に存在するデータ」を越えた何かにならないことには、単なる優勝劣敗な世界になって終わる。

件の記事を見ていると、もしかしたら「物語り性」と言うものが鍵なのかなーとゆー気がしないでもない。まぁ、件の記事は「性風俗産業」なので、それゆえに「物語り性」に意味があるからそう思うのかも知れないけど。

  • 私について

    ただのプログラマです、ハッカーではありません。

    秋葉で暮し秋葉で仕事してますが、秋葉系は嫌いです。物事を冷静に分析することは好きですが、ニヒリストは嫌いです。

    秋葉でちっこい会社をやってます。 こーゆーことがお仕事です。

    詳しいことは、自己紹介のページでも見て下さい。また、mixiの方でもいろいろわかるかも知れません。twitterは@ogochanですが、たいしたこと言ってません。近頃はShorplug内の別館で日記書いたりもしてます。だいたいここのコピーだったりしますが、ログインするとコメントがつけられます。

    日経ITProに連載(生越昌己のオープンソースGTD)を書いています。「ちゃんと書いた文章」が読みたい人は、そっちを読む方がいいと思います。

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