Archive for the ‘上から目線’ Category

基準のない「優秀」は寝言である。

えふしんさん辺りからFBで流れて来た。

なぜ優秀なエンジニアを低待遇で採用してはいけないか

こじらせちゃったんだねぇ…

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「写経」にそんなにたいそうな期待はいらない

プログラミング学習手段としての写経について

あるブログが「写経には効果がない」という趣旨のことを書いていて「何を言ってるんだ?」と思いじっくり読んでみたら、彼の言う写経は「動くとわかってる10000行のコードを何も思考せず作業として書き写すこと」を指しているようだった。「そんなわけないじゃん」と笑ってから「もしかして世の中は写経をそういう捉えてるのか?」と不安になった。

いやいやいやいや… それで十分だよ。

てかさ、「写経」に何を期待してんのさ? いや、期待するのは勝手なんだけど、期待しすぎると、効果の低さにがっかりするだけだし、効果を出すために難しいことやっても、面倒になるだけだよ。まぁ、「10000行」の必要性については疑問だけど。

「写経」する時に、そんなたいそうなことを考えなくていい。ただ、書き写せばいい。それでこそ「写経」だ。

それで何が得られるか? それは人それぞれ違うのだろうけど、一つだけ明確なことがある。それは、「写経」をするということは、

一字一句漏れなく、ゆっくりと読む

必要があるということだ。

我々は本を読む時には、つい飛ばし読みする。私は買って来た本が何冊であろうと、寝るまでにその本を全部読んでしまうことにしている。まぁ小説とかは無理だけど、専門書ならそれは難しいことではない。

じゃあ、その時に一字一句全部漏れなく読んでいるかと言えば、そうではない。長年の訓練のお陰で読むことそれ自体も速いのだけど、それ以上に

今は用がないと思うところは目を通すだけ

にしていることに負うところが大きい。つまり、その日に全部読むとは、

脳内にインデクスを作る

という作業をしているに過ぎない。その途中で、必要と思われるところは精読するし、「後で読む」にすることもある。そういった「作業」は、まず買った当日にしてしまうのだ。まぁ、たいていの本のほとんどの部分は三度目読む必要性(買って来た本は、本屋で既に一度読んでいる)はないのだけど。

そういった読み方でスキルが身につくかと言えば、まるっきりスキルにはならない。いくら「知識のインデクス」を作ったところで、それはインデクスに過ぎない。それはスキルとは呼ばない。

読書をスキルにまで昇華させるには、いろいろなことがあるのだけど、その一番目のステップが

精読

なのだ。「写経」はその大きな助けなのだ。

当然のことながら、本を精読しただけでスキルになるかと言えば、そんなことはない。だから、「次のステップ」は必要になって、それは件のブログの通りのことも、「次のステップ」としては意味がある。

でも、最初は何もわからないままに写してて良いんだよ。それがすぐにスキルになるわけじゃない。でも、そうやって

じっくり取り組む

という姿勢を持つとゆーことが、理解への近道なのだ。

「写経」はそんなにたいそうなものじゃない。だから、難しいことをする必要はない。単に写すだけでいい。でも、それで得られる効果は「精読」程度だとわきまえていればいいだけ。

いじめはあってもいい

釣り臭いタイトルなんだが。

私は別にいじめ自体はあってもいいと思う。いや、別にいじめを推奨するとかそんなことは当然思ったりはしてない。あくまでも、いじめが存在することそれ自体は、不思議でも異常でもないと思っているというだけだ。

どれくらいそう思っているかと言えば、

「生きている」ということと等価

なくらい当然だと思っている。それは、いじめが本能に根差すものであり、社会的にも不可避であるし、人間の持って生まれた性(さが)というものとしてしょうがない。キリスト教で言うところの「原罪」のようなもので、人が気をつけたところで逃れられるものではないとさえ思っている。あるいは「交通事故」と同じようなものだと言ってもいい。個々人はそうならないように気をつけていても、集団としてとらえれば一定確率で発生してしまう。一つ一つ潰したところで、同じ数だけ発生する。

だから、「いじめをなくそう」的なスローガンは、ある意味

ナンセンス

だと言ってもいい。それは「人間やめろ」と言っているのと、大差ない。それくらい人間の本性と深く結びついているものだと思った方がいい。

ということを前提に考えるなら、「いじめがあった」ということは恥ずかしいことでも何でもない。むしろ、

あって当然

と考えるべきなのだ。実際に今なくても、それは「たまたま」ないか「見えてない」だけだ。何かが上手く行っているからじゃない。むしろ、いじめる活力や余裕すらない集団ではないかと心配した方がいいくらいだ。人間の、いや動物の集団である限り、「いじめ」は必ずある。生存本能に近いレベルの行動なのだから。

だから、学校が「いじめ」がなかったことにするという必要はない。叩けば誰でもホコリが出るのと同じように、学校では探せば絶対に「いじめ」は出て来る。

「いじめ」のない学校なぞない。

と思っておく方が、現実的だ。実際、「いじめ」がないことになっている学校(組織)であっても、水面下ではいろいろある。人間なんてそーゆーものなのだ。

だから、学校(組織)では、「いじめ」というのは、「存在するもの」「起こるもの」という前提で考えるべきことである。いじめられてる奴はなぜいじめられているのか、そこに構造的な原因はないのか、あるいは何か他の問題が「いじめ」として表面化しているのではないか、「いじめ」でどれくらい傷ついているか。そういったことを考えなきゃいけない。つまり、

どんなケアをしたか

が問題視されるべきことなのだ。

学校(組織)には、「いじめ」は絶対に存在している。存在しない学校(組織)は、半分死んだようなものだと断言していい。それが人間の「性」だ。

でも、「性」だからと言って、放置しておいて良いわけではない。いじめられた方は少なからず傷ついている。だから、そういった人には「ケア」をしなきゃいけない。また、「いじめ」はいろんな現象が表面化した結果だ。「いじめはやめましょう」的な注意をしても、あるいはいじめた奴を罰したところで、本質的な解決はされないかも知れない。

繰り返す。「いじめ」は「あったかどうか」が問題になるものではない。絶対に「ある」ものなのだ。それよりも大事なのは、「ケアしたかどうか」「どんなケアをしたか」だ。そして、その前提となる

発見をしたかどうか

だ。だから、「いじめ」を一生懸命隠蔽したり、「ありませんでした」「認識していませんでした」とか報告したりするというのは、「いじめ」が実際に行われていたことよりも、はるかに恥ずかしいことだ。

何度でも言う。「いじめ」のない学校(組織)などありえない。あるのは、

いじめを発見出来なかった学校(組織)

なのだ。「いじめ」はなくならないしなくせない。「自然」ということであれば、なるなるべきでもない。もちろんない方がいいんだけど、本当になくしてしまったら、多分重要な何かまでなくなってしまう。けど。大事なのは、それを早く発見してケアをして、「致命傷」にならないようにすることだ。「いじめ」がないなどという報告をするのは、

泥棒を発見出来なかったので、盗難事件は存在していませんでした

と報告するようなものなのだ。

PS.

全くわかってない人が…

いじめ

いじめの本質。
それは、他人の不幸を喜ぶ“心”。
それは、他人を誹謗・中傷することで他人より自分が優位にいると喜ぶ“心”。
それは、そこにいない誰かを悪口や陰口で自分より下にする事を喜ぶ“心”。
「いじめ」とは、人間が本来持っている悪魔の心が、
素直に表現された行為に過ぎない。

この考え方を取る人がいるが、はっきり言ってこれは間違いだ。と言うか、この観点でいる限り、「いじめ」がなくなるわけがない。いや、なくならないんだけど、対策が出来るわけがない。

「いじめ」ってのは、↑にも書いたように、

生存本能

の発露だ。自分の生きる「場所」を確保するための行動であり、「資源」の奪いあいなのだ。「罪の意識」がない人が多いのがその傍証だ。「悪魔の心」じゃない。生きとし生けるものがみんな持っている「本能」だ。「悪魔の心」のない、動物だっていじめをする。それくらい自然な行動なのだ。

だから、なくなるわけがないと言っているのだ。減らすことはあるいは出来るかも知れないが、「資源」が有限である限りなくなりはしない(同じ理由で「戦争」もなくならない)。

そんな出来もしないことにエネルギーを使うよりは、「ケア」をすることだ。動物と人間の違うのは、「ケア」が出来るという点だ。

頼む側の論理頼まれる側の論理

伊東せんせの一連の話。

「本当に大切な相手にまじめに何かを頼みたいのなら、必ず万年筆全文自筆の手紙を記念切手でお送り等するのが人間として当たり前」

まー、読むまでもなく、想像に難くなく、ネガティブな反応が多いわけだが。

同じような経験を持っていれば、「ちょっと大袈裟だなぁ」と思いつつ、趣旨には非常にうなづくものがある。この辺の話は、昔も書いてる

出版社

実は以下の文章を書いてから↑のエントリを読んで「なんだ、同じこと書いてんじゃん」って自分で思ってしまったわけだが。

「万年筆全文自筆の手紙を記念切手で」と言うのは、確かに大袈裟なのではあるのだけど、依頼する側はそれなりの敬意とゆーか、配慮を持って欲しいと思う。こういったある意味

不遜

なことを思ったり言ったりするのは、言ってる本人としてもとても心苦しい。難しいことを言わずに、はいはいといい顔をして引き受けているのは、とても気が楽だ。実際、「依頼」が少ない時には自分でもそう思っていたし、そうしていた。

ところが、これも「依頼」がある程度までの話だ。自分の余暇の範囲で、あるいは自分の勉強の範囲で許容出来る範囲の「依頼」であれば、何の問題もない。喜んで引き受けていればいい。暇潰しでもあろうし、自己研鑽の機会でもあるし、顔を売る機会でもある。

ところが、ある閾値を越えてしまって、自分の本来業務を食うとか、自分が本来取るべき休息の時間まで使うとか、あるいは「持ち出し」が出て来ると、話は違って来る。非常に心苦しいが、

お断わり

をしなきゃけなくなる。そして、それでもさらに「依頼」が増えた時には「フィルタ」をかけてしまうことになる。伊東せんせの場合はそれが「万年筆全文自筆の手紙を記念切手で」になるということだろう。

こういった「依頼」というのは、たいていは自分の本来の業務の外だ。自分の自由時間の範囲であれば、それは何に使おうと自由なのだけど、それを越えて自分の自由時間の範囲を越えてしまった場合、いきなり

損得

を考えなければいけなくなる。

サラリーマンでもわかる範囲で言えば、「依頼」が「有給休暇」の範囲であれば、多少多くても我慢の範囲だ。アシさえ出なければ、まぁいくらでも引き受けていい。でも、その「有給休暇」を越えてしまったらどうなるだろう。もらえるギャラとか謝礼が、欠勤で給料カットされる部分を越えていれば、まぁ引き受けてもいい。でも、ノーギャラとかボランティアの類になってしまったらどうなるか。

あるいはそれが、「自己投資」と思えるようなこと、あるいは「自分で金出しても」と思えるようなことであれば、「欠勤」でもいいかも知れない。でも、そういった「依頼」が増えて来ると、そういった納得の仕方が出来ない種類の「依頼」も増えて来る。つまり、

気乗りがしない上に得にならない

ことまでしなければいけなくなるのだ。

こう言った、一種「キレた」ようなフィルタと言うのは、実は「依頼」を誠実に引き受けている人程なりやすいのではないかと思う(実際伊東せんせは@には誠実に返事をする人だ)。自分の経験でも、「依頼」があったので一生懸命準備したり対応してたりしたら、

「やっぱりいいです」

とか軽く言って来る人は少なくなかった。引き受けている方は誠実に対応しているのに、依頼する方の気持ちの軽いこと。そういったのは、何回かに一回というくらいの高頻度で起きる。そういったのを何度か受けていると、

「頼む方も覚悟して来いや」

と言いたくなってもおかしくない。

断わる方は「どうせあちこちで同じ話してるんだろ」とか思ってるフシがあるのだけど(実際、他と同じ話でいいんで安くとか言って来る依頼者もあった)、「誠実」に対応すればそういうわけには行かない。「依頼」の度に準備をする。「もしかして前と同じ人が来ているかも知れない(たまにある)」とか思うと、同じ話なんて出来るわけがない。となると、そういった「やっぱりいいです」の準備は、たいていムダになる。

ギャラや謝礼の類もそうで、自分のいろんな単価と比べて安くなって来ると、元々の自分の顧客に対して申し訳なくなって来る。たとえば、「1人月100万円」の人を1日拘束すれば、5万円だ。ところが、高々1時間程度の講演会とかで5万円は「破格」なのだ。1時間の講演会であっても、準備や移動とか考えれば、1日やそこらはかかるわけだけど、講演者としては素人の隣りの人に、そんなに高いギャラや謝礼は払えない。つまり、「正価」を払ってる客から見ると、

「なんでよそで安く働いてるの?」

ってことになるのだ。

まぁそういった「細かい」ことはどうでもいい。ただ、「依頼」はある程度を越えると突然引き受けることが難しいことになってしまい、「原価」とかを計算しなきゃいけないものになってしまう。そして、誠実に対応すればする程、そのストレスは大きくなるということは、「頼む側」の人は理解しておいていい。

逆にまぁ、ある程度暇になって来ると(つまり閾値よりも頻度が下がると)、「たまにはそんな話来ないかな」とか思ってしまうワガママもあったりするのだけど、それについてはまた別の機会に覚えていたら。ただ、

「偉い俺様に依頼するんだったら、それくらいしろよ」

という意味で言っているわけではないこと、またそういったことを言う人は往々にして対応が誠実で、過剰なくらい手間をかけているんだということは、わかって欲しいなと思う。特に「講演」の類が本業でない人は、時間や手間のやりくり上、ある閾値を越えてしまうとこういったことを言わなければならなくなってしまうものなのだ。

PS.

意地悪なことをつけ加えると、こういったことを言いたくなるような不誠実な依頼者は、

いいことしてる系団体

に多かった。簡単に言えば、「我々はいいことをしているのだから、お前も協力させてやる。協力しろ」という感じなのだ。市民運動とか学会、あるいはFLOSSの勉強会。そういったところに多い。

個人的にそういったもの自体、そうそう嫌いではなかったのだけど、全てに賛同出来るわけでもないし、全てに協力出来るわけでもない。私には私の活動や仕事や考えがあるわけで、優先度としては本来そっちの方が高いはずなのだ。また、動けばコストがかかるのだ。ある閾値を越えると、勘弁して欲しくなるのだ。

と言えば、私がLinux協会の会長やってた時、こういったことを減らすために、講師として派遣した時には、ギャラや謝礼を補填する制度があった。それが十分であったか知らないが、いくらかはマシであっただろう。

割と他人事チックに言っているのは、私はその制度は使わなかったから。それでなくても金を集めていることにgdgd言う奴が多かったんで、「俺の懐には1円も入れてない」と言えるようにしておくためだ。

お前達、いつの間にそんなにご立派になったん?

4年も前の古い記事で思ったことなんだが。

広末の「ブラジャーが…」CM 消費者から「不快」指摘で変更

別に「古い記事」であることはどうでもいいだろう。この手のことはちょこちょこ繰り返されて、人品高潔な人達のdisにあっている。「世の中馬鹿が多くて困りますね」とかもあったな。古さが気になる人は、適当に最近の「クレーム事件」に置き替えて読めばよろしい。

青少年健全育成(ry でも同じことを思う。多分あの辺の先頭に立っている奴等って、たいてい私なんかと同世代だ。

私の記憶に間違いがなければ、私が若かった頃、同世代にそんな人品高潔な奴はあまりいなかった気がする。
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gdgd言うんだったら、もったいぶらずに書け

Android案件の見積り

というエントリのはてブ。

Android案件の見積り | Classmethod.dev()

ブコメで「自称わかってる業界人」達がgdgd言ってる。

おまいら経験豊富で見識あって頭いいことはわかったから、ブコメでgdgd言うくらいだったら、その素晴しい経験でこのエントリを凌駕するようなエントリ書け!

そんなことしてる暇がない? だったら、はてブなんか見てないで仕事片付けろよ社畜ども。

「自転車総合対策」の無茶

都心の自転車は嫌いだ。

横を通過する自転車がいたら、足でも傘でもひっかけて倒してやろうかと思うくらい嫌いだ。なんでこのクソ狭い歩道を我が物顔で走れるのか、しかも空いている田舎の歩道じゃなくて、都心の歩道を走るとゆー神経がわからん。

とゆーところで、

幅3メートル未満の歩道、自転車通行原則ダメ 警察庁規制強化

ってのがこないだ出たんだが、双手を上げて賛成… なわけない。
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まず何かやってからほざけ!

まぁ同じ業界にいる奴は、だいたい同じことを思うんだろうが。

インターネットでカネを稼ぐ方法は五ツしかない

まぁ、概ね「お説ごもっとも」なんだが、オブラード10枚くらいに包んでもタイトルのようなことを思ってしまう。
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「経産省クラウド」のアホさ加減

経産省から、、「クラウドコンピューティングと日本の競争力に関する研究会」報告書が出たらしい。

経産省がクラウド政策、基盤や制度を整備し40兆円市場創出へ、OSS推進フォーラムとも連携

一読してアレだったので、dis disにdisろうと思って全部読んでみたのだが、あまり読むと

馬鹿が伝染る

気がして来た。それでもちゃんと批判しようと思って我慢して読んだのだが、「こんなものdisったところで1円にもならないし、そんなことをしている暇に仕事でもした方がいい」と思ったので、たいしたことを書く気はない。でも黙ってるのもアレなんで、一言だけ書いとく。
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人気ブログやニュースサイトにありがちのこと

単なるヨタ。

「人気ブログ」や「ニュースサイト」って、どうもコメ欄がキモい。

iPadはとても残念なプロダクト

なんかコメ欄を見ると、「俺の方が偉い」って奴ばかりでキモい。これに限らず、「人気ブログ」とか「ニュースサイト」とか、上から目線(笑)で、それでいて馬鹿自慢としか思えないコメントが並んでるところが少なくない。
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  • 私について

    ただのプログラマです、ハッカーではありません。

    秋葉で暮し秋葉で仕事してますが、秋葉系は嫌いです。物事を冷静に分析することは好きですが、ニヒリストは嫌いです。

    秋葉でちっこい会社をやってます。 こーゆーことがお仕事です。

    詳しいことは、自己紹介のページでも見て下さい。また、mixiの方でもいろいろわかるかも知れません。twitterは@ogochanですが、たいしたこと言ってません。近頃はShorplug内の別館で日記書いたりもしてます。だいたいここのコピーだったりしますが、ログインするとコメントがつけられます。

    日経ITProに連載(生越昌己のオープンソースGTD)を書いています。「ちゃんと書いた文章」が読みたい人は、そっちを読む方がいいと思います。

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