おごちゃんの雑文 http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay おごちゃんの雑文 Sat, 04 Feb 2012 04:56:23 +0000 ja hourly 1 http://wordpress.org/?v=3.3.1 「肉屋」 http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3513 http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3513#comments Fri, 03 Feb 2012 09:21:11 +0000 ogochan http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/?p=3513 わりと有名店だと思う。

肉屋

歩いて行ける限界あたりの店なので、思い立たないと行けないんだけど、行かないといつまでも気になるので、勢いで行ってみた。

「肉屋」とゆーことで、チャーシューが売りの店みたいだけど、わりと好みのラーメンだった。

この店は、

チャーシューいっぱい

で有名らしい。通常のラーメンでも、無料オプションでチャーシュー追加が可能とか、どんだけチャーシュー食わせたいんだよ。

だいたい、こーゆー「オマケ」に力が入ってるところって、「本体」がロクなもんじゃなかったりする。だから、「オマケ」で有名な店ってのは、基本的に避けることにしてる。そういった意味では、この店は

地雷臭

しまくりだ。さらに、「お茶の水」あたりだとゆーのも微妙だ。あの辺って、要するに学生向けに店多いし、そーゆーところって… ってことで、どっちかと言うと、敬遠するタイプの店。

とは言え、それだけチャーシューを売りにするんだから、どんだけチャーシュー凄いんだよとゆーことで気になってた。チャーシュー単体で良ければ、それはそれでいいし。

つーことで、「無料オプションのチャーシュー」があるにも関わらず、「チャーシュー麺」を食うことに。もちろんさらに「無料オプションのチャーシュー」もつける。もうチャーシューだらけになる。

ラーメンの方はあまり期待してない。なんせ地雷臭してるんだから。

ところが、このラーメン。個人的に好みぴったりだ。

うちの隣りのラーメン屋とか結構評価高いし、まぁ私も嫌いじゃないんだけど、なんとゆーか「濃い味のラーメン」とゆーと、このタイプばっかり。正直、この手の味には飽き飽きしている。また、他の系統で「こってり」と言うと、やたら背脂を入れられて、脂身ドロドロ、それでいて味が… ってのが少なくない。

ところが、「肉屋」のラーメンは脂多めだけど、背脂ドロドロでもないし、やたらに魚臭くもない。「天下一品」の「こってり」とはまた意味が違うのだけど、濃厚な豚骨。九州系の豚骨とは違うけれど、しっかりとした濃厚な豚骨。

チャーシューの評価は、まぁ世間の言ってる通り。

そんなわけで、「オマケ」で売ってるラーメン屋ではないと思うのだけど、どうも世間ではチャーシューのデカさばかりが評価されてるっぽい。個人的には下手に「二郎インスパイア」してる店なんかよりずっと良いと思うのだけど。

まぁ遠いから、そんなにしょっちゅうは行けないと思うけど。

PS.

この店の食べログのレビュー。あらためて読んだけど、妙な食通気取りが大きて食傷。あのさ。しょせんラーメンだし、そもそも食べ物なんてのは、

好きかどうか

でいいんだよ。「○○が××の方が良いのでは」とか、お前自分で作れるのかよ。それお前の好みだろ。「いい悪い」じゃなくて「好きかどうか」で書けよ。まぁこのイライラ感は、気が向いたらまた書く。

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政治とビジネスは似て非なるもの http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3503 http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3503#comments Mon, 30 Jan 2012 06:35:14 +0000 ogochan http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/?p=3503 話題のエントリっぽい。

橋下市長に「ついてゆけない」ひとたち。

基本的に正しいと思うんだけど、橋下氏も件のエントリの人も、致命的な間違いをしている。それは表題のこと。

政治にビジネス的なセンスを持ち込むのは良いことだと思う。てか、そういったセンスは悪いことではない。石原都知事はあまり好きではないけれど、氏のビジネス的なセンスは悪くない。他の首長も見習うべきだ。

でも、せいぜいそこまでだと思う。なぜなら、政治とビジネスには、根本的な違いがあるからだ。

gdgdいろんなところを省けば、ビジネスの世界では「ついて行けない」奴はクビにすりゃいい。別にクビにしなくても、自分が「ついて行けない」と判断したら、気の効いた奴なら自分で辞めるだろう。それは「脱落」でも「卒業」でもいい。そこで働くことに価値がないと、自他共に認めれば、

消える

ということが可能だ。つまり、お互いに選択の自由があり、その「自由」を行使するハードルは、そんなには高くない。

でも、「社会」でそれは出来ない。「ついて行けない」からと言って、「お前死ね」ってのも無理だし、「引っ越せ」も容易ではないことが多い。そもそも、たいていの「ついて行けない」人達は、そんなに強くない。だから、基本的に「少数を切り捨てる」ってことは出来ないのだ。

橋下氏に「ついて行けない」とか思う人達、そういった人達を擁護する人達の何割かは、そういったことに気がついている人達だろう。「保証」だとか「担保」だとかを求めるのも、そういったことなんだろう。

もちろんなんつーか「面倒臭い少数派」ってのは確実にいて、下手にそういったのがいると無駄に自治体のコストがかかるってのも確か。だから、そういったのを無視したいってのは良くわかるし、無視した方がいい局面はあると思う。外野にいると、「ハシズム」なんて言葉に説得力があったりするけど、おそらく大阪の人達はそういったものが必要だと思ってるから、ああなってるんだろうと思う。

でもそこで必要なのは、そーゆー「面倒臭い少数派」を単に切り捨てるのではなくて、

黙らせる

ことなのではないかな。ビジネスと同じセンスで単に切り捨てるんじゃなくて、少なくとも客観的には「文句言えない」ようにする。まぁ、それでも文句言う奴は言うんだろうけど、やることやってりゃ切り捨てても周囲が黙らせてくれる。

そういったのが見えて来ないから、「ついて行けない」って人達がヒステリックに騒ぐ根拠になっちゃうんじゃないかしらん。何事も「飴と鞭」は必要で、その「飴」も「ビジョン」みたいな大袈裟なものじゃなくって、もっとわかりやすくすること。ファシズムの代表みたいに言われるていつも悪者にされてるヒトラーは、たいそうな「ビジョン」だけじゃなくて、もっと市民が喜びそうな「飴」も用意してたよ。「ビジョン」に誇りがあるなら、そういった足元も大事でしょう。

PS.

ありむーが「切り捨てる側にいるつもりか。おめでてーな」と言ってたけど、「切り捨てる」ってのは油断してると自分が切り捨てられる側になる… ってのは、古今の諸々が証明してるのだよ。「自由の制限」について、よくマルチン・ニーメラーの言葉が引用されるのだけど、こういった「切り捨て」も同じようなもんだ。

また、効率ってのは、限りなく追求されて行く。「下位1割」を切り捨てると決断された時、もっと効率を上げるにはその切り捨てが完了した時に残りの9割のうちの「下位1割」を切り捨てるだろう。そして、さらに効率を求めて… と言えば、別にエントリで書くつもりでうろ覚えだったのを探して来た小噺で、

昔・・・。お江戸に主人と女房、番頭と手代、丁稚を使う米問屋があったそうな。
ところがその主人が吝嗇で、丁稚の飯代がもったいなくてしかたがない。
そこで、丁稚を首にしてみたが、仕事はなんとかなる。
今度は手代の給金がもったいなくなる。
そこで、手代を首にしてみたが、仕事はなんとかなる。
今度は番頭の給金がもったいなくなる。
そこで、番頭を首にしてみたが、仕事はなんとかなる。
今度は女房にかかる金がもったいなくなる。
そこで、女房を離縁してみたが、仕事はなんとかなる。
今度は自分の飯代がもったいなくて仕方がない。
そこで、首を吊って死んでしまった。

ってぇのがある(テキストは「人生に起きる事象の9割は致命的ではない」から)。「効率の追求」ってのはつまりこんなことで。それに、現代のビジネス界って、その結果みんながワープアになってると言えなくもない。

安ければいいと誰が言う

それは「政治」が求めるべきものとは違うはず。

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http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3503/feed 0
「人月dis」の反例 http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3498 http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3498#comments Sun, 29 Jan 2012 03:48:41 +0000 ogochan http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/?p=3498 よく、「人月」をdisるのに、

10の能力を持つ物を10人集めて出来ることは
1の能力を持つ物100人集めて出来ない

的なことを言う。表現とか数値はいろいろだけど、かけ算して同じ結果になっても、同じものにはならないよ的な。

でも

AKB48

ってその反例になってないか?

別にまぁこれは「AKB48」に限らず、古くは「おにゃん子」もそうだし、「モー娘」でもそうなんだけど、「大勢のユニット」ってみんな同じだ。興味のない人にとっては誰が誰だか… んで、一人一人を見ても、「普通の女の子じゃん」としか言いようがない。まぁファンにとっては違うんだろうけど。

そーゆー一人一人はどうってことないものを大勢集めても、凄いスターをどーんと置いたのには到底叶わないよ… ってのが人月disの1つの言い方だったはず。でも、「AKB48」はちゃんと

みんな揃ってスター

になった。個々の魅力は低くても、いっぱい集めたら立派にスターだ。

理由はまぁいろいろあるんだろうけど、

  • プロディーサが偉い
  • 実は数人のスターで持っている
  • 実は表に出ないのも含めると48人よりも大勢いる

とかあるみたい。ひっくり返せば、そういったものがしっかりしていれば、元々低い能力であっても、数を集めて何とか出来るってことかも。

まぁAKB48云々はネタだけど、「人数分の能力」って、出す方法がないわけじゃないってこと。計算通りに行かないのは、能力を引き出す力がないってだけだってこと。まぁ、実はそれが大変なんだけどね。

PS.

書いた後で思ったんだけど、今時の「人月dis」する人達って、「人月の神話」

くらい読んでるよね?

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http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3498/feed 0
これはこれで正しい人材スカウトでは? http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3494 http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3494#comments Sat, 28 Jan 2012 04:17:52 +0000 ogochan http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/?p=3494 増田のエントリ

IT系人材ブローカー

なんでも空気読めないしつこい人に会うのはお気の毒だよねーと思うけど、これはこれで別に悪いことでも何でもないと思うのだが。

この話、主催者目線で見れば、「勉強会開いて目ぼしい奴をスカウトしよう」とゆー話だろう。元々勉強会に来る奴ってのは、その分野に興味のある「意識の高い」奴なんだから、不特定多数を相手に「就活パーティー」やるよりも、ずっといい人材に会う確率は上がるはずだ。

仮に転職する気がない奴であっても、「面白い事例」を見て、その面白いことをやっている会社に興味を持って転職をしようかと思う… ということも十分ありうるだろう。

実際に「××勉強会で会った縁で、この度○○に転職しました」ってのは、テンプレにしたいくらいあちこちで聞く話だ。そういった話をブログで見た人材屋が、「勉強会開いてスカウト」ってことを考えたとすれば、そいつはかなり優秀だし、わかってる奴だ。

そういった意味で、この話はむしろ「いい話」の部類かも知れない。

まぁ問題があるのは、「うるせー」と言わなきゃいけないくらいしつこくアプローチして来た担当者だろうけど、それもまぁ仕事だしねぇ。

「無料です」

ってのはウラがあるんだよと。

別に「人材屋」でなくても、企業が場所をタダで貸してくれるとかって、この手のことがなかったら

やる意味がない

と言ってもいい。「開きたいです」って言って来た担当は、そういった意識はないかも知れないけど、「上司」あたりは絶対にそう思ってる。ってゆーか、そうでないと開かれるわけがないと思っていい。「部屋を貸す」ってのは、それなりにコストとリスクがあるんだから。まぁ、中には道楽や社会貢献欲で開く人もいるんだけど、それはむしろ例外だと思うべきだ。「行く側の立場としては」だけどね。てーか、増田の奴、絶対「無料ですには裏があるんだよとか、ドヤ顔して言ってただろ?[要出展]

でも、世の中この手の意識のアンマッチなものはたくさんある。「遊びの合コン」かと思って出掛けたら、女の方は婚活のつもりだったとか、「ただ部屋で飲んで遊んでるだけでいいんだよ」とか言われて誘われたら、出会い系喫茶だとか。就活の学生が来たんで喜んでいたら、単なる腕試しだったとか。つまり、こーゆー「出会い」が絡むもの、人が出会いそうな場所ってのは、そーゆー意識のズレってのは、

あって当然

だと思わなきゃいけない。だから、いくら合コンだからと言って、その気のない相手をストークするようなことをしちゃいけないとか、おいしいところだけ取ってデカい顔するとか、そういった類のことはしちゃダメとゆー

出会いの基本

を身につけておきましょうよ… って教訓じゃないかなと思うわけ。

むしろこういった人材のスカウトって、これからはアリではないかな。

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http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3494/feed 0
SC 22/COBOL WG委員を辞任しました http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3491 http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3491#comments Fri, 27 Jan 2012 18:54:53 +0000 ogochan http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/?p=3491 正確には正委員ではなく「エキスパート」という身分だし、「辞任」と言っても座長に届け出ただけで、まだ承認された訳ではないのだけど。

「藁の一本」は、

「OpenCOBOL活用セミナー」

でハブにされたとゆーことなのだけど、それは「藁の一本」でしかない。

「藁の一本」と言えども根拠がなくブー垂れてるわけでもないのだけど。

元々、私が情報処理学会のCOBOLの委員会に招聘されたのは、当時の委員会の主査の今城先生からでした。ちょうどISO COBOLの2002が決まり、JIS化をするという時に人手が足りなかったと言うこと、私がCOBOL 40周年イベントの時に呼ばれて、FLOSS COBOLの可能性について話をしたということ、FLOSSのCOBOLについていろいろやっているということ等の背景があるということを氏がご存知だったということで、誘われてのことでした。FLOSSやっててCOBOLがわかって、いわゆるCOBOLerでない人ってのは、かなりレアな存在だということで、規格調査会賛助員とかと関係なく入ることになりました。まぁそういった経緯で委員になったので、「Open COBOLからハブにされたら、委員である根拠がない」わけです。またお誘い戴いた今城先生もお亡くなりになってしまったので、その辺の経緯を説明出来る人ももはやいないし。まぁシレっとそのまま続けていれば、そのまま続けられたと思うのだけど、やっぱりケジメは大事だし。

というのが「藁の一本」の話なんだけど、それは結局「藁の一本」でしかない。

個人的には、COBOLをバリバリ使うなんてことは、おそらく今後もないだろうし、そういったプロジェクトをやることも多分ない。また仮に使う側になったとしても、便利に使うのはCOBOL 85(92)の範囲を出ることはまずない。2002や次期規格(2002の改訂として今年出るはず)のような「凄い言語仕様」をバリバリ使うということは、「COBOLを使う」という場面と整合しづらい。ということで、新しい規格を作ることにあまりモチベーションがなかった。「オブジェクト指向を取り入れたんだから、そーゆーのは標準クラスライブラリを定義しようよ」的なものをどんどん言語仕様として入れようとする某海外ベンダーさんとか、頭おかしいんじゃねーのとかw

また、結構時間の取られる作業があったりして、マジメにやると相当時間が取られる。本業がそんなに上手く行ってないところにそういった時間を取られるのは、なかなかに厳しいものだった。かと言って国際規格を検討する委員でもあるので、「本業が忙しいので」とかサボるのも申し訳ないし、逆にそういった作業があるからと言って本業をサボるわけにも行かない。本当は標準クラスライブラリとか提案したらいいなとか思ってたのだけど(途中までやりかけた)、それをやるにはあまりに物事が大袈裟過ぎて、次期大改訂の時にとかゆー話になりかねないし、それいったいいつよとか、そこまで行くのにどんだけの「敵」を倒さなきゃいけないのよとか、そこまでやっても俺使わねーよとか、そーゆーこともあった。

また、外部から見ているとわからないと思うのだけど、こういった作業は

全て手弁当

なのだ。会議の日当どころか、足代すら出ない。だから、私みたいな身分だと、「一生懸命やればやる程自分の首を締める」ことになってしまう。それだけやって、何か「名誉」的なものがあるかと言えば、2ちゃんあたりで

「おごちゃんって誰?」
「COBOLer」

とか言われてしまう始末で、なーーーーーーーーんの得もない。それでも、「凄い人達」と一緒に仕事が出来るという機会だったので、頑張ってたのだけど。

そうそう。メーカからそういった場に出て来た人は凄い人達で、大学から出てる人もやっぱり凄い人達で、私みたいなチンピラがいると、申し訳ないくらいの人達ばかりで、最初の頃は小さくなっていたのではあるけれど、

JISらしくCOBOLらしく今風でもある訳語

の検討には、それなり貢献出来たかなーと思ったり、たいしたことしてないよなーと思ってもみたり。

そう言った「凄い人達」と一緒に働く権利を放棄してしまうのは、非常に残念なことではあるし、そういった人達に良くして戴いたことはとても感謝なのだけど、自分(自社)のモチベーションが切れている上に、背景もなくなっているし、規格調査会というシステムにも参っているので、中途半端に続けるよりは辞めた方がいいなと思って、辞任することにしました。良くして下さった皆様には本当に申し訳ないし、次期規格のことも気にならないわけではないのだけど。

8年半の間ありがとうございました。

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http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3491/feed 0
日清のレンジ用から揚げ粉はダメ http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3487 http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3487#comments Wed, 18 Jan 2012 14:04:43 +0000 ogochan http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/?p=3487 インスタント食品を評価する時のモノサシは、手作りの料理であってはいけない。

インスタントはあくまでも「インスタント」であることに価値がある。だから、手間暇かけた料理と比較するのはアンフェアだ。手間が節約出来れば、まずそれだけで万々歳であって、スタートラインからして違う。

という前置きはしておくのであるが、「日清レンジでジューシーから揚げ粉」は、ダメだ。


インスタント食品と手料理を比較するのはナンセンスである。だから、そういったモノサシで評価してはいけない。インスタント食品は、まず手間を省くもの。その上で良い悪いを評価しなきゃいけない。だから、インスタント食品の美味い不味いは、

同様のインスタント食品

の中で比較しなきゃいけない。

ということで、表題のから揚げ粉の比較対象は、前の「手抜きの唐揚げ」で取り上げた、

レンジでチンするから揚げ粉

である。てか、この2つが「ライフ」に売ってたんで、「前回と違うもの」ということで、日清のを買って来ただけ。

というもったいつけた前置きを書いたんだが、まぁ一言で言うなら

まずい

のだ。ちっとも美味しくないので、比較の対象ですらない。

「昭和産業」の方は、かなり好意的なエントリになった。それは実際にそれだけ美味しかったからだ。でも、「日清」はもうだめ。買ったことを後悔してる。

何がダメかと言えば、「いかにも」な化学調味料(って最近は呼ばないそうな)の味がしてしまう。そればかりが強くて、風味も何もあったもんじゃない。しょうがないんで、醤油びしゃびしゃかけて、やっと完食した。

私はだいたいに化学調味料が苦手だ。と言うか、グルタミン酸のキツいのは、総じてあまり好きでない。鎌田醤油のだし醤油は化学調味料を使ってないらしいのだけど、これもちょっと多く使うとグルタミン酸が強過ぎると感じるくらいだ。

とは言え、ラーメンはインスタントでも「800円ラーメン」でも、無化調はあまり好きでない。無化調を全面に出しているラーメンで、「これは」と言う程のものを食ったことがない。そんなのを選ぶくらいであれば、化学調味料入りを選ぶ。

インスタント食品は化学調味料なしに成立しえないと言ってもいい。本質的に関係があることではないと思うけれど、どうも世の中そんなもんだ。まぁ、ちゃんと取っただしであっても、乾燥させて粉にすればグルタミン酸は結晶する。入ってるもんは入ってるもんだ。別に「化学」に罪はない。

こういったスタンスで件のから揚げ粉を評価するんだが、やっぱりダメ。酷い言い方をするなら、

味の素まぶした

って感じがする。いや、同じ「味の素まぶし」でも、「ハッピーターン」の方がまだおいしい。何が足りないかと言えば、「風味」の

の方が足りない。塩気も足りない。粉をちょっと少な目に使ったせいもあるだろうけど、それを割り引いても足りない。てか、規定量使うと、パサパサになって粉落ちるし。「少な目」になったのはそのせい。もっと水気のある肉だったら良かったのかも知れないが、解凍品じゃない鮮度の高い肉をそのまま使ったら、たいていこうなる。

ちょっとdisが足りない気がするけど、まぁそんなものだった。約束するよー、もうこの粉を買ったりしないよー。

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「安全」だから「安心」ということはない http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3483 http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3483#comments Wed, 18 Jan 2012 07:18:49 +0000 ogochan http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/?p=3483 低線量の放射線を怖がる人達がいる。まぁ、一々ソースを引き出して来るまでもなかろう。ネットのそこらじゅうにいるんだから。

片や、そんなに心配するもんじゃないと説明する人達もいる。

影響がはっきりわからないものを、はっきり安全とか言わないでください

真摯に説明してるようだけど、多分永遠に平行線だ。

回答者の答えが正しいかどうか、どの程度信憑性があるか。それについてはどうでもいい。いや、「正しいものは正しい」と思っている人達にとっては、正しいのかも知れないけど、それはここでは触れない。

問題は、質問者(クレーマ?)と回答者の意識に根本的なズレがあることだ。

回答者は限りなく正しい答えをしようと心掛けているようだ。それ自体は悪くない。でも、ここではそれは間違いだ。いや、間違いってこともないんだけど、それでは不足なのだ。

質問者は「安心」を求めている。ところが、回答者は「安全」を答えているに過ぎない。

幅15cmの線の上だけ歩けと言われてと言われたら、まぁたいてい誰でも出来る。じゃあ、同じ幅の塀の上が歩けるかと言われれば、それはなかなか難しい。

耐荷重1tのロープが800kgの石を吊り下げていたとしよう。その下で心穏かにいることは容易ではない。

東京タワーの展望台にある、床がガラスの部分。あそこに立つとチョー怖い。

どれも「安全」ベースで見れば安全だろう。怖がることは愚かに見えるかも知れない。でも、「安心」出来るかと言えばそうではない。「もしかしたら」とかちょっとでも思ったら、もう怖くてしょうがない。ましてや、とんでもなくワーストケースであっても、「もしかしたら」が現実に起きてしまっているとしたら、もうダメだ。

「安心」を求めている人に「安全」を説いても意味はない。

中にはそれで安心出来る人もいるだろうけど、それは全てではない。「安心」を求めている人には、「安心」を与えなければならない。

システムを運用してる時にバグでえらい目にあった客が、「もうバグはありませんよね?」と聞いて来ることがよくある。技術者にしてみれば、「バグのないソフトウェアは存在しない」のが常識だから、「いや、まだあると思います」と、つい答えてしまう。まぁ実際私もそうだった。でも、それは顧客の求めている答えではない。最適な答は状況次第で変わるので何とも言えないけれど、顧客の求めているものは「安心」であって、ソフトウェアの品質管理上の真理ではない。

我々は、つい「不安」に対して「安全」を説いてしまうし、「理論的には」みたいな言葉を使いがちだ。でも、「不安」ってのは「安全」で払拭されるとは限らない。むしろ、

大丈夫だよ。僕がついてる

的な(根拠のない)言葉の方が、よっぽど意味がある。そこを間違えてると、いつまでたっても平行線になる。よく「理系はモテない」とか言われているのも、だいたいその辺に理由があったりする。

PS.

「お化けや幽霊見える」 心の傷深い被災者 宗教界が相談室

(幽霊が)いる、いないは別にして見ているのは事実。

こういったセンスが大事なんだよ。いるかいないか、そんなことと関係なく「見て」いる事実を肯定して、「じゃあどうするか」って話。「いるわけない」と言っても何の解決にもならない。

宗教よく知らん人のために蛇足つけるけど、仏教もキリスト教も、基本的には幽霊が出ることは肯定してない。「出る」とかゆー坊主は商売で言ってる。お寺でもらう冊子にそう書いてあったw だから、「いない」って言っちゃえば「安全」は提供出来るんだよ。

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せっかく書いたエントリをステマ呼ばわりされない方法 http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3479 http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3479#comments Mon, 16 Jan 2012 18:27:03 +0000 ogochan http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/?p=3479 相変わらず、ステマとPR記事の区別がつかない中学生が騒いでいるようだ。もう冬休み終わったんじゃないの?

この時期に商品レビューのエントリとか書いたら、中学生にステマ呼ばわりされるであろうことは、太陽が東から上るくらいの必然だろう。とは言え、それで稼いでいる人たちもいるだろうし、もっとピュアに商品を褒めたい人もいるだろう。そんなときの処方箋だ。

と言っても大したことじゃない。その記事がどのような背景で書かれたものか明記する習慣を付けるということ。「献本もらったんでー」とか、「ブロガーパーティー行って来ました」とか、「書いてって頼まれました」とか。いきなりやっても意味はないので、それを日頃からの習慣にしてしまう。

これは元々新聞がPRとかタイアップの広告、つまり紙面っぽい広告を出すときにやっている手法だ。ノンブルのあたりに「広告」とか書いてある紙面や記事っぽいものがあったら、それは広告だ。これは確か新聞協会あたりのルールだったと思う。まぁ、あくまでも紳士協定だし、新聞協会に入ってないところはやらないけど。とにかく、

金品をもらって書いてますよ

ということを明示しておく。これで読者は普通の記事ではないんだという目で記事を読む。

新聞協会のルールは、「媒体」としての信用を護るためでもある。新聞の価値は、基本的に記事の信頼にある。タテマエとして新聞の記事は正しいものだとして、購読者は読む。そこにこっそり宣伝を紛れ込ませることは、彼らの倫理観として許容できないし、購読者も納得しないだろうと。そういったことのために、誰が読んでも広告にしか見えない「記事っぽいもの」にも、全部「PR」のような文字が入っている。そうやって区別することが、新聞としての矜持なのだ。歴史があるだけあって、こういったことはキチっとしている。

どんだけ新聞が腐っていようと、このことだけは曲げていない。そこで中学生は「じゃあ偏向報道はどうなんだ」とか言うだろうけど、あれは新聞社の普段の企業活動から出てきた「方針」とか「文化」を背景としたもので、どこかから「そーゆーPRしてよ」とか言われてやっているものじゃない。「社の方針」で、彼等が信じる方向に「媒体価値」を上げるためにやっていることだ。

メディアの先達たる新聞様がそうやっているのだから、我々ネット雑文士もそれに倣って、「誰かに便宜を図ってもらったから書いたエントリ」にはその旨を明示するようにしたら良いのではなかろうか? 実は既に新聞系サイトや新聞子会社系サイトでは、そのようにやっているところもいくつかある。ブンヤ上がりのブロガーでも、そういった書き方をしている人もいる。

「ネットには嘘もいっぱいあるんだよ」というリテラシーも大事だけど、そういった「裏のある」エントリを明示するだけで、ずいぶんとネットの情報の信頼度を上げることができる。だって、賢明な情報強者様は、一次情報に当たるのが基本だろ。プレスリリースと同時にPR記事が出たら、そっちも読みに行くよね。ここに「PR」って書いてあれば、「これはリリース元と正規の契約で得られた情報で書かれているな」ということがわかる。「日経の一面記事」よりは信用出来るなってことがわかるはず。

どうせ公正平等な記事エントリなんて書けないし、書いたところで「ステマステマ」なんだよ。だったらはっきり「この記事はPRです」「ソースは配布資料です」って書いておけば、ステマ呼ばわりされてい嫌な思いをしないで済む。

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http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3479/feed 0
「ステマ」に騙される奴は情弱 http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3476 http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3476#comments Sun, 15 Jan 2012 06:20:50 +0000 ogochan http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/?p=3476 実はこの記事もステマである。

ネタとしては

「食べログ」は恥を知るべき

と同じ。2ちゃんあたりでステマステマとうるさいけれど、そもそもステマに騙される奴って、情弱だろwww

口コミがこういったものの温床になりやすいのは、「田代砲」の頃からの常識。

1位はなんと?TIME「PERSON OF THE YEAR」投票にネットの“力”

だから、ネットで口コミを使う時、こういったことを考慮しつつ情報を集めるのは常識。対処してない奴が馬鹿。いや、対処したくなかったらしなくてもいい。その代わり「そーゆーもんだ」と思っておけばいい。昔から言うだろ、「嘘を嘘と(ry」と。別にそれは「匿名掲示板」に限った話じゃない。「不特定多数」ってのは、その人達のプロフィールを知らない限り、「匿名」と大差ない。違いがあるとすれば、直接メールとかで連絡が可能かも知れないということだけど、その行動は普通取らない。つまり、結局のところ

不特定多数のレビューというのは、「匿名掲示板」と同じ

と思っていい。そうなると、利用するには「嘘を嘘と(ry」というスキルが必要になる。そんなもの当たり前だろ。もっと簡単に言えば、

「食べログ」の情報信頼度は、2ちゃんと大差ない

ってことだ。それを前提に読まなければ、「情弱」の謗りは免れまい。

信頼のある情報を得るには、

  • 信用出来る人から得る
  • 裏の取れた情報を得る
  • 自分で確かめる

ってのが基本だってことは、震災の後のデマ騒動で散々言われたことだったはずだ。あれだけデマに踊らされ、痛い思いや恥かしい思いをした人達は、

情報を吟味する

ことの重要性を感じたはずだ。まぁ、無邪気にデマを拡散したり、無責任に踊った人達は何ともなかったかも知れないけど。

確かに、もういい加減嘘を嘘と見分けるのには疲れた。でも、結局いまだにネットでは嘘を嘘と見分ける能力が必要だということは変わってない。少なくとも今は、

そーゆーもん

として扱うしかないのだ。

それをもうちょっと楽にしようと思えば、「信頼の出来る人からの情報」を信用する、つまり

ソーシャル

にやることだ。「友達」の評価が良ければ、多分自分も良い評価をするだろうと。まぁ「twitterのデマ」に踊らされた人達は否定的になるだろうが、あの時「どこからデマが来たか」をよく思い出せば、対処は出来る。

とか考えると、「ステマステマ」と連呼することは、あまり格好のいいことじゃない。

やった奴に罪がないわけじゃないが、やられた方が被害者面して良いってもんじゃないだろう。「twitterのデマ」に踊ったような恥だよ。

PS.

まさかこのエントリでもサーバコケたりしないよな。

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「営業活動」とゆー視点 http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3472 http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/archives/3472#comments Sat, 14 Jan 2012 11:58:12 +0000 ogochan http://www.nurs.or.jp/~ogochan/essay/?p=3472 吉田さんとの世間話。

床屋から帰る。今日、はじめて行ったところ。技術は高い。だけど、余計なことを話しすぎ。ワンマンショーになっていた。こうして客を失う。

という話から、「サラリーマン」「自営業」といった話になって、

@katigumi 周囲や上司へのウケとか、まさしく営業活動なのではないかなぁと。そう考えれば、技術だけで勝負というのではダメとゆー結論は同じになるかなと。

技術者が陥りやすい「スキル」の話。まぁ実は技術者に限らんのかも知れないけど。

技術者は「スキル」を磨く。その時の「スキル」というのは、たいてい「業務遂行能力」だ。プログラマだったら、腕のいいプログラマになろうとする。それは技術者として当然のこと。まぁ、世の中には、まずここに至らない人も少なくないのだけど、「スキルを磨け」と言った時に指すのは、たいていはこの辺なわけだ。

でも、「サラリーマン」であれば、

実は、上司や周囲と良好な関係をつくるのも、「スキル」であり、「ノウハウ」。

なのだけど、案外そういったことは馬鹿にされがち。いや、むしろそういったものは「日本的」とか言って嫌悪するのが最近の流れだったりする。「ノミニケーション」とか嫌悪するのが、今時の「出来るサラリーマン」だと思っている人が少なくない。

まー、確かにたいした能力もないのに、妙に出世してる奴とか、「上は何を見てんだよ」って気になるのは、何の不思議もないし、それが間違いだとも思わない。

でも、ちょっと視点を変えてみて、あなたは個人事業主だと考えてみよう。 「個人事業主」が気に入らなきゃ「社長」でもいいんだけど。要するに「口を開けて待っていれば、金と仕事が来る立場」ということを忘れて、「自分で仕事取りに行かなきゃ、金も仕事もない立場」と考えてみるわけだ。そうすると、きっと何らかの

営業活動

が必要になることに気がつくだろう。うっかりしてると正社員だってリストラされる時代だから、リストラされないためには潰れない範囲で自分の仕事を維持しておくのは大事なことだ。つまり、「サラリーマン」だって「自分で仕事取りに行く」必要がある時代なのだ。

「営業活動」なら、「商品のアピール」ということは大事だ。つまり、自分に能力があることを、周囲にわりやすく伝える、

魅力的な商品としての自分

を表現することが必要になる。もちろん仕事の内容によっては、そういったことをしなくても、自動的に伝わるようなこともあるだろうけど、世の中のたいていの仕事はそういった「派手」な仕事ではない。また、「派手」な人を求めているわけでもない。でも、「商品のアピール」がないと、わからない。

と同時に、「接待」みたいなことしなきゃいけないことにも気がつくはずだ。なぜなら、同じ能力があるものが並べば、

かわいげのある方

を選択するのは、発注者としては当然だからだ。

はっきりとした能力差があれば、能力の高い方選ぶかも知れない。でも、要求している能力が10であれば、10以上の能力は評価されない。要求している能力が10であるなら、「能力10以上でなるべく安い奴」「能力10以上でなるべく使いやすい奴」とかって選択になる。「使いやすい奴」ってのは、結局コスト安いからね。求められる能力が10であるなら、それ以上の分は持ち腐れる。

そう考えると、こういった「上司や周囲と良好な関係を作る」ってことは、「受注のための営業活動」と同じことだと気がつくのではないかい?

また、仮にあなたの能力が「10」を越えていて、求められる能力が10未満であるなら、あなたは10以上の能力を要求される仕事を受注する機会を作らなければ、せっかく身につけた「能力」はムダになる。そのことも考えながら勉強をしなきゃいけない。このまま会社にいてもしょうがないなと思えば転職するべきだし、社内でそういった仕事をする機会を作るのもいいだろう。あるいは起業してしまうというのも手かも知れない。いずれにせよ、ただの

勉強ジャンキー

では、「サラリーマン」として生きて行くのは難しいってことは覚えておいた方がいい。

PS.

多分、↑みたいなことに否定的な見方をする人もいるだろうけど、もっと「枠」を拡げて考えてみるといい。

FLOSSを公開すること、それ自体は実は「能力」とは関係ない。同じ程度のソフトウェアが書ける人は、多分世の中にいくらでもいる。では、なぜ公開するか。いろいろな理由があるだろうけど、「商品のアピール」という側面も小さくはないと思う。まーFLOSS云々についてはいずれ連載の方で書くだろうけど、

業績を公開すること

は「能力」そのものとは直接関係のないこと。それでも公開した方がいいのは、それがなければ、他人は能力があるかどうか知ることが出来ないからだ。つまり、それは一種の「営業活動」なのだ。それは「転職」のためなのか、「起業」のためなのかはわからないけど。

「能力」を身につけることは大事だ。しかし、その「能力」が活用出来るように行動すること、これがなければ「能力」は活用されない。「君」が「俺は能力がある」と思うのなら、そしてそれが高ければ高い程、「営業」にも力を入れなければならない。

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