Archive for the ‘雑感’ Category

ローカルコミュニティに行こう!

私はクリスチャンなので、日曜日には教会に行きます。

諸般の事情があって、長いこと教会に行かないでいたのだけど、また行くようになって1年ちょっと。行くとクリスチャンとして気持ちいいし… という抹香臭い話は、わかる人にだけすることに。抹香臭くないところの話をすれば、

ローカルコミュニティはいい

ということ。

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マスク女キモい

こんな話は増田で書けとか言われそうだが、「便所の落書き」で済ませたいとも思わないので。

最近、若い女のマスクをよく見掛ける。

まー、花粉の季節ならしょうがないし、花粉なんてのは年中何かしらあったりするので、それぞれの花粉症のある人はしょうがない。

しかし、見ている限り、そういったものと無関係に思われる人がマスクをしているのをよく見掛ける。

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松江市にいたということを黒歴史にしようと思う

もう散々目にしてると思うが、

<はだしのゲン>松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」

松江市では昨年8月、市民の一部から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出された。

「一部の市民」とは、在特会らしい話を聞いた。まぁ、それは良い。彼等は彼等の思想を主張する権利は当然にある。そういった陳情をする自由は保護されるべきだ。もちろん私はそれを支持することはありえない。でも、彼等の権利と私が支持するかどうかは、全く別の話だ。「この蛆虫未満め」と思うけれど、それはあくまで私の価値観の中でのこと。彼等には彼等の価値観と主張がある。

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「切り捨ての論理」は通用しないかも

相変わらず、バカッターが進化していて、DQN行動に歯止めがからない。

ちょっと前まで、あれは

  • 単なるネットによる可視化(昔から馬鹿はいた)
  • DQNの想像力の欠如(身内でウケてりゃ満足)
  • 「近頃の若いもん」の行動(「俺も若い時はヤンチャした」)

的な考察があった。てか、たいていの考察ってこのどれかを結論にしてると思う。

これらに共通するのは、要するに「俺達とは関係ない奴等が馬鹿やってる」的なものだった。普段マトモな生活を送っている人達ほど、そういった結論になりがちだ。そりゃそうだ、自分でやるとは想像もつかない行動だから、「俺達とは違う人種」と分析するのは、そう突飛なことではない。

でも、最近ふと、そういった「俺達と違う人種」という結論で良いのか、疑問に思うようになって来た。

あくまでも「疑問」に過ぎないので、それでどうしたとか言えないんだけど、

  • いくらでもある
  • 騒ぎになった後からでも出て来る
  • バリエーション豊富

とか思うと、そういった単純な結論で良いのかと思えて来る。つまり、

構造的な何か

があるのではないかとさえ思えて来る。

もちろん「社会が」とか「ネットが」「貧困が」的な理由づけもされているのだけど、そういったわかりやすいと言うか、安易な結論で終わるようなものでもない。もちろん「ユダヤの陰謀」の類でもないだろうけど。

何だかよくわからんけど、もうちょっと成行きを注目してから説明しても遅くないような気がして来た。DQNの分析みたいな話は、それはそれで意味があると思うのだけど、それでバカッターの説明は拙速なように思う。

DQNの子はDQN

「コンビニ店長」の話から底辺とかDQNとかの話になってる。

個々の話にはそれ程興味がないのだけど、それらを見て気がついたことがある。

それは、

例外の扱いを間違っているものが多い

ということ。

こういった話になると、すぐに「例外的な人」の話になって行く。いわく「中卒でも偉くなった人はいる」とか「東大出ても云々」といった類。まぁ、「数学的な反例」としてなら意味があるだろう。

でも多くの場合、この手の議論は勝手な思い込みをベースにしたものは別にすれば(そういったものは読む価値がないから無視していい)、基本的には

統計の話

だ。DQN集団の中にいれば、DQNに染まるのがほとんど。たまに例外的にそうでない人がいるというだけのこと。 低学歴の集団は反知性的であることが多い。もちろん、たまにはそうでない人もいる。便乗エントリではないが、

 僕が交換機を作っていた頃

ってのもあって、これはこれで読むに値する。昔はこんな人いっぱいいた。それはそれで現代の「低学歴」とは違う理由で低学歴だったってだけなんだけど。

でも、そういったものってのは、ほとんどが

例外あるい上澄みまたは沈殿物

の話に過ぎないのだよ。元々凄い人がいて、そういった人がたまたまそういった不利な環境にいて、それでもそれを押し除けて勝負出来るだけのものを持っていた。それだけのことだ。あるいは、どんなに恵まれた環境であっても、しょせんクズは存在する。それだけのこと。

あるいは、はてなあたりで「DQNな環境だけど」的なエントリ上がって来る。そりゃそうだろ。「はてな」なんて、なんだかんだ言ってそういった上澄みの吹き溜まりだ。そんなバイアスのかかった母集団で一般論を展開するのはナンセンスなのだよ。

統計的結論は例外を無視する。それが正しいのだよ。「例外」を殊更に重く扱うことと、「統計」を無視して先入観だけで語ることは、結局同じレベルの間違いなのだよ。

我々はつい「例外」に目が行ってしまう。例外の存在はそれ自体が面白いし、そういったことを知っていることは、自分に知性があるかのような錯覚を持ちやすい。でも、例外は例外に過ぎない。

まぁそんなわけで、私は「高学歴は優秀」「DQNの子はDQN」ということを支持することに何の躊躇もない。もちろん「例外」の存在は否定しない。あくまでも「例外」としてね。

DQNは学歴とかなんとか関係なくね?

増井さんとFacebookで話してたんだが。

徒然草 第五十三段

これも仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、おのおのあそぶ事ありけるに、酔ひて興に入る余り、傍なる足鼎を取りて、頭に被きたれば、詰るやうにするを、鼻をおし平めて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座興に入る事限りなし。

しばしかなでて後、抜かんとするに、大方抜かれず。酒宴ことさめて、いかゞはせんと惑ひけり。とかくすれば、頚の廻り欠けて、血垂り、たゞ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響きて堪へ難かりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足なる角の上に帷子をうち掛けて、手をひき、杖をつかせて、京なる医師のがり率て行きける、道すがら、人の怪しみ見る事限りなし。医師のもとにさし入りて、向ひゐたりけんありさま、さこそ異様なりけめ。物を言ふも、くゞもり声に響きて聞えず。「かゝることは、文にも見えず、伝へたる教へもなし」と言へば、また、仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母など、枕上に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんとも覚えず。

かゝるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらん。たゞ、力を立てて引きに引き給へ」とて、藁のしべを廻りにさし入れて、かねを隔てて、頚もちぎるばかり引きたるに、耳鼻欠けうげながら抜けにけり。からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。

現代語訳の方は著作権の問題があるので、引用は原文の方で。

宴会でウケを狙って、鼎をかぶった坊主の話だ。抜けなくなって周囲があわててあれこれするけどどうにもならんので、とうとう「鼻とか耳とか千切れても死ななくね?」とゆーDQN論理で無茶苦茶引っぱって抜いたとか。

キモは「酔ひて興に入る余り、傍なる足鼎を取りて、頭に被きたれば、詰るやうにするを、鼻をおし平めて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座興に入る事限りなし。」のところ。「コンビニの冷蔵庫に入る」ってことと、どれだけ違うんだ?

やったのは「坊さん」なので、当時としてはそれなりの知識階級であり、DQNとは違う人種のはず。そりゃまぁ、当時のことだから、炎上 -> 謝罪みたいな流れにはならなかっただろうが、いろいろあっただろうなーとゆーことは想像に難くない。

とか思うと、実は「コンビニの冷蔵庫」みたいなことは、実はDQNだなんだってことは実は関係がなくて、単にノリで結構されていて、その一部がネットに漏れて炎上案件となった… ってことなのかも知れんね。

「上から目線」と「ドヤ顔」

よく、マトモなことが書かれているブログのコメント欄やらブコメに現れるのが、「上から目線」とか「ドヤ顔」とかって奴。

新卒が早く一人前になりたいなら質問の仕方を考えろ

これなんか極めてまっとうで、当たり前のこと、100歩くらい譲っても「少なくともこいつの体験の中ではそうなんだろうなぁ」というくらいの納得感がある話なのだが、コメント欄には

上から目線で偉そうですね

とか書いてあったりする。

こういったのを見る度に、「別に目線なんて上からだろうが下からだろうがいいだろ」とか思ったり、「誰かに教えてもらう時はむしろ目線は上からの方が楽だろ」とか思ったりするんだけど、こういったことを言いたがる奴がいる。私なんぞ、「下から目線」に慣れちゃってるから、何か教えてもらう時とか金もらう時とか、いつも下からだよ。ネットの文章しか知らん奴はわからんだろうけど。当たり前だろ、ネットでわざわざ書くようなことなんだから、「上から目線」で言えることしか書かねーよ。そーゆーバイアスがネットの文章にはあるんだよ。

これをまぁ、世代論で語る人達もいる。

上から目線 世代

いっぱい出て来る。

でも、そういったことを思うかどうかを別にして、「批判」として「上から目線」とか言っちゃうのって、たいてい

他に反論出来ない時

だよね。上で引用したエントリみたいに、自分以上の位置(自分の位置も含む)の人達が、自分達向けに正しいけど「痛い(!イタい)」ことを言った時に、「上から目線」とか言っちゃう。痛くなかったら、「ふーん」としか思わないわけで、「上から目線」とか反撃しちゃうのは、痛かったからでしょ? で、正し過ぎて他に反撃するところがなかったから、「仮想目線」を攻めちゃうんだよね?

とか考えたら、「上から目線」とか言われちゃうってのは、

「悔しいけどあなたの言ってることは正し過ぎて辛いです」

と言われてるのと同じだってことだ。これは、そういったエントリを書いた人にとって、賞賛以外の何物でもなかろう。だって、そんなこと書きたかったから、「上から目線」で書いちゃったわけだから。

同じような「反撃」として「ドヤ顔」とか言うのがある。これも、なんとなく「凄いこと」が書かれているエントリへの「反撃」として書かれてることが多い。まぁ、「反撃」ですらないんだけど。

私もしばしばそういったブコメがあったりするんだけど、こっちとしては

「はぁ? 別に当たり前のこと書いただけで、ドヤ顔で書く程のことじゃないし」

とか思ってしまう。で、次の瞬間には、

「へー、お前がこういったことを書く時にはドヤ顔になるんだ。へー」

とか思う。いや、何にしたって「当たり前のこと」であって、別に「ドヤ顔」になる程のことじゃないよ。俺にとってもお前にとっても。

でもこれもよく考えてみたら、「上から目線」と同じで、

「悔しいけどあなたの言ってることに気がつきませんでした」

と言われてるのと同じだ。これも、そういったエントリを書いた人にとっては、賞賛以外の何者でもなかろう。

とかって考えると、「上から目線」とか「ドヤ顔」とか言われたら、仮に自分がそんなつもりはなくても、そんな態度に出ても良いってくらいの賞賛を受けたんだと思って良いんじゃないかと思う。つまり良いことだね。

「1周年記念半額」

ちょっと残念な気がしたので書いとく。

うちの近所のラーメン屋が「1周年記念半額」というのをやっていた。

ごっつ 秋葉原店

うちから秋葉駅の途中と言うこともあり、この店にはよく行く。

ちょうど用があって前を通りかかると、何やら行列が出来ていて「テレビにでも出たのか?」と思ったら、表題の通り。へー、そうなんだーとか思いながら過ぎる。

通り過ぎながら「この1年そこそこ行ってるし、嫌いなラーメンじゃないし、それに半額」とかってちょっと心が動いたのだけど、あの行列に並ぼうという気はちょっと起きなかった。いくら「よく行く」とは言え、店員に顔覚えられる程行ってるわけでもないし。

とか考えたら、「1周年記念半額」なんて実は

何の意味もない

のではないかと思ってしまった。

やってる側の意図を想像するに、「1年間支えて下さった方々への感謝」とかってのがあるだろうと思う。でも、だいたい「1年間支えて下さった方々」と言うのは、つまりは常連であり、常連ってことは

いつでも来れる

と思っている人達だろう。そういった人達は「あー、今日は混んでるな。また次にしよう」とか思うのが普通だろう。いかにそこのラーメンが好きだとは言え、食わないと死ぬわけでもないし、常連になるからにはその辺に住居なり仕事場なりのある人だろうから、「別に今日でなくてもいい」とか思うものだ。実際、私はそう思った。そういった人達にとっては、「今日だけ半額」とかはそれ程嬉しいことでもなくて、「あー、そうなのね」くらいでしかない。もちろん支払いの時に半額だったら嬉しいと思うんだけど、「そのため」に行く程のものではない。

そう思うと、並んでる人達は基本的には常連ではなくて、「そのため」に来た人達だろう。まー、高々ラーメン屋の半額セールに遠くから来るとも思えないので、そんなに遠くから来たわけでもないだろうが、「半額」であることがモチベーション足りうる人達、たとえば普段は電気街あたりが拠点だとか、そういった人達ではないか。普段はそうそう来ないけど、半額だから来るみたいな。

そういった人達に「半額」でラーメン出して、店にメリットがあるかと言えば、多分なかろう。普段の価格に戻れば、また「普段の店」に行くだけであり、そのために来ることはない。この店の立地はいわゆる駅近ではないけど、遠いって程でもないとゆーくらいの微妙な位置なので、「これをきっかけに人が来る」という類の店ではない。好きな人は気にせず来るだろうし、それ程でもない人は面倒臭いと思うくらいだ。

とか考えていると、「○周年記念半額」とかって、店にとっても常連にとっても何のメリットもないなぁとか思う。それよりは、事前にクーポン配るとか、普段食べない高額トッピングを割引するとか、そういったことの方が、「感謝」としては意味があるのではないかと思う。

そーいやー、グルーポンとかの時にそんな話あったね。古くはHanako現象とかね。

同調圧力の犠牲者

調布の小5アレルギー死亡事故 再発防止へ報告書

事故につながった女児の「おかわり」は、クラスで目標としていた、給食の食べ残しをしない「完食記録」に貢献したかったからだと、同級生が新盆の際に泣きながら教えてくれたことを明らかにした。

また同調圧力の犠牲者か…

もうこういった「クラスみんなで力を合わせる」みたいなことはやめるべき。

いや、力を合わせて何かをすることは良いことだよ。でもね、それぞれにはそれぞれの事情がある。「力を合わせて何かをする」前提には、「それが可能だ」という見通しが必要。人数が少ない、目の届く範囲のことであれば、それはそんなに難しくない。でも、ある程度を過ぎるといきなり無理ゲーになるのだよ。

そして、そーゆー「連帯意識」の高いところだと、「それが可能でない人」は何らかの形で弾き出されるか、無理をさせられる。誰だって仲間外れは嫌だから、たいていは無理をしてしまう。

努力するのは悪いことじゃない。でも、努力は成功を約束するわけじゃない。あくまでも成功確率を上げるだけだ。過度に結果ばかりを見たら、過度な努力を要求することになり、それは下手をすれば人を「殺す」。

そろそろ「一つになる」ことは悪習ってことにしないか?

日本の残念な大学イノベーション

テクノフロンティア2013」に行って来た。

お目当ては、「ミニサーベイヤーコンソーシアム」の展示。理由はまたいずれ。

ぱっと見で内容見ると、大雑把に言えば「まぁまだこの程度なのね」でしかない。それからすると、UAVつかマルチコプターはまだまだ可能性があるか、まるっきりダメかのどっちか。いくつか「これは!」って思うのがあったのだけど、全体にはまだまだ「お遊び」にしか見えなかった。なぜなら、

ラジコン技術

の域を出たものがなかったから。「自律飛行」と言っても、まだ期待するようなものがない。

クアッドコプター群でジェームズ・ボンド演奏会(動画)

こんな感じのものは全くない。まぁ、目指す方向が違うと言えばそうなんだけど、こんな感じの「驚き」はなくって、「これMultiWii?」とか言っちゃいそうなものばっかり。いや、密かに制御ボードを見てしまったのは、その場では内緒だ。

その中で一つ強く興味をひいたのは、某大(あえて名は秘す)の展示で、エンジンで駆動したマルチコプター。たいていのマルチコプターが制御の都合で電動なんだけど、電動は飛行時間の制約が大きいので、実用的にしようと思ったら、こういったアプローチは意味がある。まぁ空撮目的には使えないと思うけど、「それ以外」には意味がある。

それは良いんだけど、そこにいた学生に「到達点は何?」と聞いたら、「自律飛行です」とのこと。それは良い。てか、ある意味当然だろう。「で、今は何をやっているの?」と聞いたら、機体の運動モデルの構築らしい。「飛行制御とかやってる?」と聞いたら、全くやってないとのこと。今はひたすら運動モデルを作っているとか。さらにつっこんでいろいろ聞いたら、いわゆる連続体とか流体のシミュレーションのような「あるがまま」のモデル化ではなくて、モデルによるあるタイプの式を構築しているようだ。

運動モデル作ること自体は悪くない。飛行安定性とかを解析しようと思ったら、そういったのがあれば良いのは当然。そういった研究は意味がある。うまくモデル化出来れば、いろんな人達にとって良いことになる。

でもさ。「到達点」が「自律飛行」だったら、それに向けていろいろやるべきでしょ。「ありがち」の制御でやれば、とりあえず飛ぶはずで、それで自律飛行の研究始めちゃえばいいじゃん。その途中でどうやっても制御出来ないとかって課題が出て来れば、運動モデルを構築して解析してみるのもアリだと思うし、それで制御方法の改良のスピードアップをするとか、そういったのはやるべきでしょう。

でもね。「自律飛行」が君達の「到達点」なら、まずそこをやるべきでしょ。どうせ「制御」でやれることってたかが知れていて、それは既に研究され尽してると言っても過言じゃないし、汎用コードもそこらじゅうにある。だったら、とりあえず安定飛行のためのコード書いて、飛ばしてみなきゃ意味ないでしょ。「今は飛んでるの?」って聞いたら、「頑張って手で制御してなんとなく飛ぶところまで出来ました」とか言ってる。「運動モデル」とか作ってる暇があったら、「とりあえず飛ぶ」ってところを作れよ。そうしたら、既存運動モデルの問題がわかるだろうし、自律飛行への一歩も出せるじゃん。「独自の研究」はもちろん大事だと思うけど、

巨人の肩に乗る

ことも大事だよ。

なんてことを学生相手に言ったんだけど、ピンと来てなかったっぽい。まぁ指導教官がダメ(と言っちゃう)なんだろうな。そんなことやってたら、いつまでたっても使い物になるものの研究なんて出来ないよ。せっかく「内燃機関駆動」とゆー面白いことをやってても、もたもたしてる間に他にやられちゃうよ。なんとゆーか、

日本の残念な大学イノベーション

の典型みたいなものを見たような気がして、とても残念だった。指導教官の問題だろうけどね。

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    ただのプログラマです、ハッカーではありません。

    秋葉で暮し秋葉で仕事してますが、秋葉系は嫌いです。物事を冷静に分析することは好きですが、ニヒリストは嫌いです。

    秋葉でちっこい会社をやってます。 こーゆーことがお仕事です。

    詳しいことは、自己紹介のページでも見て下さい。また、mixiの方でもいろいろわかるかも知れません。twitterは@ogochanですが、たいしたこと言ってません。近頃はShorplug内の別館で日記書いたりもしてます。だいたいここのコピーだったりしますが、ログインするとコメントがつけられます。

    日経ITProに連載(生越昌己のオープンソースGTD)を書いています。「ちゃんと書いた文章」が読みたい人は、そっちを読む方がいいと思います。

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