前にも似たようなエントリを書いたと思うんだけど、なぜか見つからない。
この記事が物議をかもしていたようだ
かなり当事者が特定出来ること、書かれた時点での現職に対するdisであること。などなど、いろいろなことから、
関係者の顔に泥を塗る
類のことだということらしい。
言いたいことはわかるし、私もそこで「怒っている人達」とは同じように思うことなのではあるのだが…
辞める会社、辞めた会社のことを悪く言うのは、あまり好ましいことだとされていない。同じように、辞めた人について悪く言うことも、あまり好ましいことだとされていない。
転職に際するお作法ってものが世の中にはあるんだよね。転職理由にどんな酷い状況や仕打ちがあったとしても前職の環境や会社を悪くいう人は、この先しっぺ返しがくるよ。 業界内狭いので繋がる人の多さ知ってると迂闊にそういうことできなくなるものですよ。
こういった意見は、まぁあることかも知れない(ネガティブな引用なんで引用元へのリンクはしないでおく。本人からクレームあればリンクします)。
それらの理由は一々もっともであるし、それについて思うところは私も書いている。引用した意見と殊更に異なる考えを持っているわけでもない。
基本的には「発つ鳥後を濁さず」と言うのは、
体制側の論理
であって、不条理な思いをしたことを言っていけない理由はない。
仮にそれが主観に基くことであったにせよ、そもそも「不条理な思い」なんてのは主観の問題なのだから、仮にそれが「先輩に親切にされたので不愉快でした」みたいな、第三者の方が不条理に思うようなことであっても、言いたければ言って構わない。今回の場合は「わかってる人は当事者が特定出来る」という形式だったので、
という点では良かったように思う。しかも、「わかってない人」にとっては当事者が特定出来ないというメリットすらある。
もちろん、世間の方が不条理に思うようなことであったり、他の当事者達が不満に思うようなことを書けば、あるいは
「この業界で生きて行けなくしてやる」
的な展開になってしまうようなことがあるかも知れない。あるいは「付き合いにくそうな人だな」という評価を受けるようになってしまうかも知れない。一方的な主張で誰かを傷つけてしまうようなことがあれば、裁判沙汰になることもあるかも知れない。
どちらのことであっても、それは
本人の責任
である。第三者が「老婆心」で忠告したりする必要はない。どうせ人間は不完全なものである。やり過ぎてしまった時も「ごめん」で済ませて赦しあう方が、「老婆」が先回りしてゴチャゴチャ言うよりも楽しいと思う。
と言うか、ネットにはこの手の「老婆」が多過ぎるんだよ。聖書に
あなたに助言する者が多すぎて、あなたは疲れている(イザヤ47:13)
とかあるのだけど、ほんとそれ。確かに「助言」は悪いことじゃないんだが、多過ぎる。てかさ、「老婆心」とか聞こえいいんだけど、言い替えたら、
姑の小言
だよね。