処女と臓器移植とオープンソース

今日は帝京大学まで診察に行った。その途中でふと思ったこと。

処女の「あそこ」は汚ないものである。「そんなことないよー」という声もあるだろうけど、それはそーゆー心掛けをしている人がいたというだけで、一般的にはそう綺麗なものじゃない。むしろ「綺麗だったらニセ処女」だと言っても良いくらいだ。

ところが男を知り、経験を積み、セックスって良いものだと思うようになると、綺麗にするようになる。
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無邪気な死神

どうも人の善意を期待する世界では、一部の人に心理的負担をかけて、他の大多数は無邪気にやっていることが多い。そういった無邪気な人達は、一部の苦しんでいる人が裏で頑張ってるからだということを考えもせずに、無責任に「楽しければいいのです」みたいな論陣を張ってくれる。あるいは、「難しく考える必要はないのです」とか言ってくれる。

確かに問題を難しくしてはいけないし、たいていの問題の答えはシンプルだ。しかし、その「無邪気」は一部の人の苦労の上に成り立っているものだし、そういった人達が言う「難しく考える必要はないのです」と、無邪気な人達の言うそれとは、まるで意味が違うのだ。

苦労している人達が「あー俺は苦労してるんだ。お前達も苦労しろ」なんて言うのはダサいことで、苦労している人達はそれを知っている。また、それを感じさせないようにするのが甲斐性だと思っている。だけど、そういった「苦労している人達」が苦しんでいるのを垣間見た時に、無邪気な論を張るのはいかがなものか。

確かに考えてどうなるというものではない。しかし、本来みんなで考えればどうってことないことを考えないということ、そういった無邪気な行為は、「コミュニティ」に死を招く死神なのだ。いわゆる「ボランティア」ないくつかの組織に属して来て、そのいくつかを率いて来た経験からそう思う。

別に難しいことを考えたくなかったら考えなくてもいい。だったら、考えていないなりに、人前で何かを語って欲しくない。逆に一度語ろうと思うのなら、無駄なことであっても考えなければならない。みんなが頭の片隅でチラとでも考えていれば、それだけで随分と相互の負担は減るはずだ。

XMDF形式

まぐまぐのダウンロード書籍が好きで、時々買っている。たまに重複して買ったりするが。

たいていはpdfなのであるが、最近になってXMDFという形式も入った。これはZaurusの「文庫ビュアー」の形式であるが、画面のサイズ変更に耐える優れた形式らしい。

ところがいけないのは、この形式はオープンになっていない。そのため、シャープが出しているプログラム(もちろんバイナリ)でしか読めない。
Zaurusならそれで良いのだが、席で読もうと思うとWindowsが必要となる。困ったものである。何もオープンソースで出せとは言わないから、

  • Linux用バイナリを出す
  • ファイル形式を公開する
  • 他のオープンな形式への変換サービスをする

といったことをやってくれないものか…

OSSのロードマップ

吉岡さんのCNETでゲストで書いてるblog(http://blog.japan.cnet.com/umeda/archives/001904.html)を見て思ったこと。

吉岡さんは、「舌禍事件」はたまに起こしつつも、それなりに業界ではマトモなことを言う人だと思っているし、誠実な人だと思うのだけど、どうももの足りない。と言うか、件のblogを読んで思ったのは「私が随分昔に言ってたことを言い直してるだけだなぁ」ということ。多分、私が件の吉岡さんの文章を読んで思ったような感想を持たなければ、きっと今でも似たようなことを書いただろう。
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MSの広告

久々にLinux雑誌を購入。買いに行ってもらったら、なんか3ヶ月分まとめて買って来た。つまりそれだけ買ってなかったということ。

いつも思うのだけど、こいつらにMSの広告が出ている。まぁそれは別に良かろう。たいていの人にWindowsなしのシステム設計なんぞありえないだろうから、必要なところに必要なものを用意するということは悪いことではない。
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「LinuxデスクトップはWindowsの代替ではない」,オープンソース推進団体OSDL Nelson Pratt氏

http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/NEWS/20041112/152512/

裏にどんな考えがあるか知らないが、こいつ大馬鹿だな。よくこんな奴がOSDLのディレクタとかやってるもんだ。

アプリケーションの互換性って何についてだ?
そこの部分をマトモに説明してないから何も言いようがないじゃん。

少なくとも私はプログラマとしての業務と、管理職としての業務をLinuxだけで行っているし、それで特別困ったこともない。前は「Word文書は勘弁ね」と言っていて、今もそれは変わってはいないけど、読む分には読めるから別段困らないし、書く方はたいていpdfで足りるし。

それにOSDLのような団体だったら、「○年後にWindowsを駆逐する」みたいな大見得切ってもいいじゃん。そういった政治的発言だってするべきだろ。

結局OSDLも「メーカ間の政治力学の産物」であり、「政治スキルを持たないヲタ」の集りに過ぎないということか。

みかちゃんフォント

お仕事絡みでちょっとフォントのことを調べていたので、「みかちゃん(http://www001.upp.so-net.ne.jp/mikachan/)」を見てみた。

「みかちゃんニュース」には、みかちゃんフォントを使った製品や物についていろいろ書いてある。作者は素直にあちこちで使われていることを喜んでいるようだ。また、それは自分のところに報告があったものばかりではなく、他人に教えられたものも多い。つまり、「自分の知らない間に自分の作ったものが使われている」ということを素直に喜んでいるのである。

何かと言えば権利主張やらライセンスやらとうるさい世の中だけど、元々フリーなものを作った時は、こんな「無邪気」な喜びがモチベーションの源泉ではなかっただろうか? それがそこそこ広まるに連れ、何か自分は「偉い者」になったかのような錯覚をして、強く権利主張をしたがるようになってしまう。

という中にあって、そこそこ有名になってしまった「みかちゃん」が、無邪気な喜びに満ちているのを見ると、とてもほっとした気分になる。

カテゴリー: OSS

freshmeat

ちと訳あってfreshmeatのアカウントを取った。

取るのは簡単で、ちょっとした情報を入れてやればいい。これだけで、freshmeatがずっと見易くなる。今までアカウントなんていらないと
思っていたのだが、これだけ見易くなるのならもっと早く登録しておけば良かった。別に公開するプログラムなんてなくても構わないようだ。

とは言え、せっかく登録したので練習も兼ねてMONTSUQIを登録してみた。

http://freshmeat.net/projects/montsuqi/

なのだが、本日の新着にも出ている。

特に何があるというわけではないが、登録して掲載されると何となく嬉しい。ちょうど自分が「ふりーそふと」なんてものを初めてパソコン通信で公開した時のような、そんな高揚感がある。

それで満足していたら、しばらくしてなんか知らない毛唐人からメールが来た。今となっては毛唐のメールなんて珍しくも何ともないのだが、これがまた不思議に嬉しい。初めて海外からメールが来た時のような(その時の差出人はRMSだ)高揚感がある。

いわゆる「ふりーそふと」の世界にかれこれ20年近くいて、もう忘れかけていたような感覚をまた味わえるとは思わなかった。これだけでもモチベーションが上がる。もう慣れっこになっていた感覚だと思ったんだが、不思議なものだ。

冒頭の「訳」については、また後日。

いまだに

オープンソースに「見返り」だの「寄付」だのと言った精神論を持ち出す奴がいるんだなぁ。私はこれを「乞食モデル」と呼んでるんだけどさ。まぁ趣味でやるのは構わないんだけど。
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