公開の場でBSDライセンスを批判すると、

厨房が湧いて来るんだな。とmatz日記を見て思う。

使う局面によってBSDライセンスの方が優れていることを否定する気はないし、局面によってはGPLの方が楽だということも確か。どっちを選ぶか は、局面によるだろう。その「局面」についての背景説明等を抜きに「BSDマンセー」をやられると(「GPLマンセーをやられると」でも同じ)、げっそり してしまう。そしてそんな議論は厨房が大好き。

というようなことを見るにつけ、オープンであるということへの限界を感じる。基本的にオープンであることは悪いことではないどころか良いことだと思うのだが、「オープンである」ということは、

  • 一般に参加資格を問わない
  • 参加者の責任を問わない
  • 参加者の背景が見えにくい

ということもセットであり、目標がはっきりしていない限り、なかなか方向性が一致しないで発散してしまうか、議論好きな厨房のスクツになってしまう。

MIXIの日記やコミュニティのありがたい点は、「MIXI参加者である」というハードルさえ超えれば(この部分がオープンではない)、これら 「オープンである」ということの弊害の部分がかなり減るということ。この辺にSNSのもっと広い活用が考えられるのではないかという気がする。たとえば 「オープンソース開発者SNS」といったような。

# 本当はもっと別のことも考えてるんだけどね

カテゴリー: OSS

オープンソースにおける設計者や企画者の地位

私には書きたいプログラムがいっぱいある。「書きたい」ということも確かではあるが、その動機の根源は「使いたい」であり、存在してないから書くしかないので、書きたいということになるものが少なくない。ところが自己の能力には限りがあり、また書きたくても書く時間がなかったり、優先度の高い仕事があったりして、書けないでいる。

とは言え、「使いたい」であっても具体的なイメージがあるわけなので、外部的仕様はかなり決まっているし、それを「書きたい」と考えているわけなので、技術的課題はかなり解決をして、「書けば書ける」というレベルまで見通しは立っている。単に「書く手間がないから書けない」という状態なのだ。
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カテゴリー: OSS

剃刀

私は髭は剃刀で剃る。その方が深剃りができるし、何よりも剃り残しが出ない。私は風呂は朝に入るので、風呂に入っている時に剃ればいいだけなので、そう手間のかかることでもない。と言うか、電気髭剃りで剃る方が剃り残しを気にすると手間がかかるように思う。

そろそろ剃刀の切れ味が悪くなって来たので(なぜかこれはある日突然気になりだす)、刃を交換した。いつも不思議に思っていることなんだけど、刃よりも明らかに柔かいはずの髭しか切っていない刃が、どうしてだんだんなまって来るのだろう。もちろんこの理由を「科学的」に考えれば納得することではあるのだけど、どうも感覚的に納得できない。刃よりも堅いものを切っているのであれば、だんだん切れなくなるということも納得しやすいのであはるが。

ということを考えた時に、いわゆる「こみゅにてぃ」な世界で私を攻撃して来ていた「名無しさん」のことを思ってみた。誰も「そんなの気にならないでしょ」とか「無視してりゃいいんだよ」とか言うわけだし、私としてもこいつらをバッサバッサと切り捨てることは、結構快感だったりした。まぁつまりは「剃刀で髭を剃る」ようなものである。こっちよりもいろいろな点で「下」でしかない「名無しさん」なので(本当に私より偉いなら、実名でもいろいろ言えるだろうけど、そんな人達からメールなんてもらったことは一度もない)、切ったところでどうということはない。ところが剃刀と同じで、明らかに柔かいものばかりを切っていても、結局刃が切れなくなってしまう。

柔かいものしか切ってないからと言って、刃がずっと切れるかと言えばそうではないのである。

引退宣言

あと1ヶ月程で、私の日本Linux協会 会長という役が終わる。これを機会に当分この手の活動はお休みしようかなと いう気がしているので、ちょっと寂しいかなとも思っている。

と、同時に、かなり

せいせいしている

のも事実だ。 続きを読む

アドバイス

最近はいろいろなところでアドバイスをすることがある。また、それ以前からnet newsやML等でいろいろなアドバイスをしていた。これらの多くは、

日本Linux協会会長

なんてこととは無関係に、エンジニアとしての経験がものを言っている。無論、

経験だけで話す奴はステ

なのであるから、理屈の裏付けを用意して喋る。そんなことは言うまでもないことである。
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