「トーバルズ、Solarisを斬る」

「トーバルズ、Solarisを斬る」

まぁ「斬る」ったって、要するに「興味ないよ」ってことなんだけど。

この中に、

新しいこと、変わったことがしたいという理由で、ゼロから新しいもの、変わったものを作ろうとするのは、私にいわせれば愚の骨頂であり、思い上がりです。Linuxが目覚ましい成果を上げているのは、細事にこだわり大事を逸する愚を犯していないからです。しかし、この穴に陥るプロジェクトのいかに多いことか。NIHシンドロームは病です(編集部注:NIHはNot Invented Hereの略。NIHシンドロームとは他所で開発された技術を嫌い、自社の研究成果にこだわる考え方のこと)。

というのがある。ちょうど昨日、会社の連中と昼飯を食っている時にこんな話をしたところだった。
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カテゴリー: OSS

処女と臓器移植とオープンソース

今日は帝京大学まで診察に行った。その途中でふと思ったこと。

処女の「あそこ」は汚ないものである。「そんなことないよー」という声もあるだろうけど、それはそーゆー心掛けをしている人がいたというだけで、一般的にはそう綺麗なものじゃない。むしろ「綺麗だったらニセ処女」だと言っても良いくらいだ。

ところが男を知り、経験を積み、セックスって良いものだと思うようになると、綺麗にするようになる。
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swapしたら負けだと思っています(c)minmin

働いたら負け

部下Hのマシンは2GBもメモリを積むこととなった。

こいつのマシンは入社した時に買って来たP4 2.4GHzで、弊社の普通の人が普通に使っているマシンと同じ。まー細かい差異はあるのだろうけど、だいたい同じ頃に入社した人達は、同じようなスペックで使っている。

私はそれとは別にある日ぷらっとで安かったので衝動買いをした、P4 Xeon 2.4GHz x 2である。ハイパースレッドでCPUは4つあることになっている。メモリは1GBで、今朝までは社内最強マシンだった。とは言え、メモリがあるのをいいこ とにいろいろ重いことをしてしまっているので、かなり重い。

Hのマシンは再インストールということで、私の作ったミドルウェアも再コンパイルすることになった。もちろんソースから入れるしかないのでmakeをする。

これが速いのだ。とんでもなく速い。見ているとCPUを完全に使い切って動いている感じである。まぁミドルウェアと言っても私が書いたものだか ら、そんなにデカいわけじゃない。つまりメモリの中にソースから何からみんな入っているわけだ。そうなると、メモリがデカいシステムだと、swapもしな けりゃバッファのお陰でI/Oすらほとんどない。つまりCPUは待つことがない。

そうなると、いかにCPUの利用効率やらスケジューリングやら工夫されていようと、若干メモリが不足して待ちの発生しているマシンでは、メモリがいっぱいあるマシンに負けてしまう。せっかくの「CPU 4つ」が意味がない。

そりゃもちろんスケジューリングの効いて来るような、生きてるプロセスがいっぱいあるような状態になれば、多少メモリが不足していても全体の処理 効率は私のマシンの方が速いだろう。しかし、「コンパイルの速度」みたいなものの比較だと、メモリ潤沢な方が圧倒的と言えるくらい速い。

今時だと、CPUにかける金はメモリにかけた方がお得だと言うことですな。あたり前っちゃーあたり前なんだけど、今日は思い知らされた。

今日のエロ画像

と言っても期待してもらっても困るけど。

着替える女子高生

幸いにして、まだこういった光景は見たことがない。目撃した人はかなりショックを受けるらしいが、運が良いのか悪いのか直接目撃したことはない。

ただ、この靴下を履こうとしている娘の「パンツ」に注目して欲しい。これカメラの収差じゃなかったら、多分短パンだよね。

まぁこの娘はまだ短いからいいけど(多分スカートの外には見えないだろう)、時々スカートの裾から見えてる娘がいる。あれっていったい何? どうもジャージを適当な長さに切ったようにしか見えないんだけど。以前嘆いていた「レイプされた後のネクタイ」の方が100倍マシ(当社比)に思える。ど う価値感変えてもかわいくもないし、実用的にも見えないし。制服のスカート(もちろんミニスカ改造済み)の下にあれって、何を意図しているのだろう。

似て非なるものとして、短めのスカートの下に普通丈のパンツを履いてるというファッションは、実は私は好意的。なんとなくかわいらくしくていい。 まぁあれは「スカートを履いている」という意識で足を動かしてくれていれば、なかなかいいと思う。パンツのつもりで足動かされるとげっそりするので注意。

ミニスカの価値は「パンティ見える」とか「足が見える」とかにある訳じゃないのだ。

# それもあるけど

マイミクにすることについて

今年になってマイミクがどんどん増えて行く。きっと良いことなんだろう。

その中の一人に「気軽にマイミクにする人なんですね」と言われた。そう。はっきり言って私は危険を感じる人でない限り、ミクリクは断らない(「危険」を感じた人は断りました)。袖触れあうも他生の縁である。ましてやミクリクが来るなんて… と思う。

今年になってマイミクになった人達の多くは、自己紹介のところの文章に釣られた人である。

> 頻繁にあしあとがあるのに、マイミクでもなくコメントもなく、本人の公開情報もあまりなく… の場合は、悪意とみなしてブロックかけるかも知れません。シャイなだけならマイミクに。

この文章だ。

どうも、私の日記が気にいって見に来てくれているらしい人が少なからずいる。その人達がこの文章で釣れるわけだ。

私はmixiは「日記やコミュを通して友達の輪を拡げるシステム」だと解釈している。だから、私は足あとのある人のページは訪問するが、その時に 日記は必ず読むし、読んでコメントがつけられそうな人ならコメントをつける。そこで交流が始まればいずれマイミクに… と思っている。それがmixiの中での「縁」だと思っている。

そのような関わりというのは、ある意味「希薄な関係」かも知れない。しかし、最初は希薄でも縁がある人との関係はだんだん濃くなって行く。ならなければそれはそれ。ただそれだけのことである。

そんなわけで、日記をヲチするために「お気に入り」に入れられて来るというようなことをするくらいなら、遠慮なくマイミクにして下さると嬉しい。きっとその方がお互いに幸せになれると思う。

mixi日記と言えど他人に公開する文章なので、一応他人を意識した文章になっている。つまり、読んでもらうことが前提である。mixiは2ちゃ んねると違って、「誰が読んだか」ということがかなり明確にわかるシステムになっている。それゆえ、「日記を読む」というのは一つの意思表示を含まざるを えない。2ちゃんのヲチとか、著作を購入するといった行為とは違って、「語らい」が存在するはずである。だったら、語らうための仕組みを積極的に使って行 くのが良いと思う。

別に無闇にマイミクの数だけ増やそうと思っているわけではない。かと言って、マイミクが「濃厚な友達関係の表現」だとも思っていない。何らかの縁のある人がそんな形で表現されていればいい。

「朝遅刻しそうになったのでパンをくわえて走っていたら角でぶつかった」ことからでも縁は始まる。

カテゴリー: mixi

無邪気な死神

どうも人の善意を期待する世界では、一部の人に心理的負担をかけて、他の大多数は無邪気にやっていることが多い。そういった無邪気な人達は、一部の苦しんでいる人が裏で頑張ってるからだということを考えもせずに、無責任に「楽しければいいのです」みたいな論陣を張ってくれる。あるいは、「難しく考える必要はないのです」とか言ってくれる。

確かに問題を難しくしてはいけないし、たいていの問題の答えはシンプルだ。しかし、その「無邪気」は一部の人の苦労の上に成り立っているものだし、そういった人達が言う「難しく考える必要はないのです」と、無邪気な人達の言うそれとは、まるで意味が違うのだ。

苦労している人達が「あー俺は苦労してるんだ。お前達も苦労しろ」なんて言うのはダサいことで、苦労している人達はそれを知っている。また、それを感じさせないようにするのが甲斐性だと思っている。だけど、そういった「苦労している人達」が苦しんでいるのを垣間見た時に、無邪気な論を張るのはいかがなものか。

確かに考えてどうなるというものではない。しかし、本来みんなで考えればどうってことないことを考えないということ、そういった無邪気な行為は、「コミュニティ」に死を招く死神なのだ。いわゆる「ボランティア」ないくつかの組織に属して来て、そのいくつかを率いて来た経験からそう思う。

別に難しいことを考えたくなかったら考えなくてもいい。だったら、考えていないなりに、人前で何かを語って欲しくない。逆に一度語ろうと思うのなら、無駄なことであっても考えなければならない。みんなが頭の片隅でチラとでも考えていれば、それだけで随分と相互の負担は減るはずだ。

「韓流スターは日本の80年代スタイル」

http://japanese.joins.com/html/2004/1228/20041228181716700.html

あーーなるほど。目から鱗。全てを納得。

実は私はソウルは大好きである。なんで好きかと言えば、「現代に出現した昭和40年代の日本」という感じだからだ。

ソウルには古き良き時代の日本を感じる。日本人が日本人としての「無邪気誇り」を持ち(それ以前は「敗戦」の影響があったらしい)、国民的な意識
として「さーやるぞー」な空気があった昭和40年代。そのくせまだ古い時代の風俗や文化を残していて、日本はやっぱり日本であった時代。そういった諸々が
あった時代の空気を、現代の技術の中で築いた。それが現代のソウルだという感じがするのである。

なので、ソウルに行くと「日本人」としての誇りを取り戻し、テンションを取り戻す。何しろ韓国人達はそういった誇りやテンションを持っている。それに負けてはいられないと思うのだ。

韓国という国が嫌いな人は別にして、好きな人というのは、なんというかこういった「自分たちの忘れてしまった古き良き日本」の姿を、韓国に見るのではないかな。冒頭の記事に書かれているような、おばさん達のフィーバーぶりも、どうもそんな感じがする。

衝動買い

部屋があまりに寒々としているので、暖房器具を買うことにした。何たってうちの部屋の発熱体ってのは、ガスコンロと部屋に組みつけのエアコン、風呂。あとは強いて言えばノートパソコン(ThinkPad 240)だけで、部屋に帰ると寒いことおびただしい。

コタツ欲しい気もしたのだけど、一人コタツはあまり良くない気がするので、布団乾燥機を買った。最近のはちゃんと洗濯物も干せる仕様になっているようだ。これでせんべい布団から解放される。

さらに、ガスストーブも購入。ハロゲンヒータにも心動くものがあったのだけど、光を発するのがうっとおしそうだと言うことと、電気はあまり使いたくないなーってのと、部屋にガスのコンセントがあるので、ガスストーブにしてみた。

これで人の生活に近付いただろうか?

ちなみに、合わせて3万円程度。「衝動買い」とか言いながら、この程度なのが小市民だな。

受け取られなかったもの


ある人に何かをあげようとする。ところがその人が受け取らなかったら、それは誰のものか。


当然まだ自分のものである。

こうして、「好意」やら「愛」はいっぱい手元に残っている。
これが幸せかそうでないかは、考え方の問題だな。

ストロー笛

私がコンサートホールのエンジニアをやっている頃、神谷徹氏のコンサートがあった。神谷徹氏については、この辺を見る。

http://www.k-sw.co.jp/artist/yukai_3.html

私はステージスタッフなので、待っているあいだ氏と雑談をしていた。その時に「作るの簡単ですよ。こーやってこーやって」みたいに実演して下さったので、家で作ってみた。

曲るストローの口をつける側を潰して、横に切れ目を入れる。ダブルリード、つまりオーボエやひちりきと同じタイプのリードが出来上がる。吹いてみると音が出るので、後は適当にストローに穴を開けて行けば出来上がり。

穴の間隔はちょっと計算してみるとわかる。1オクターブは周波数が倍、つまり共鳴部分が半分の長さになる。1オクターブは12半音で… と考えればいいだけ。

残念なことにストローは細いので、半音用の穴を開けるのは難しい。じゃあ半音は出せないかと言えばそんなことはなく、吹き方を加減してやるなり、ジャバラの部分を伸び縮みさせてやるなりすれば問題ない。チューニングもジャバラの部分を調整してやると合わせられる。

アイロンなりストーブなりと鋏があるとすぐ作れるので(なくても何とかなる)、子供の前でサクっと作ると結構ウケるのでやってみると面白い。俺は楽器がダメ? なーに心配することはない。音色は「チャルメラ」の節がピッタリだから、ウケるためにはこれで十分。