まなめのツイ
コーラばっかり飲んでる変な人?別人かな https://t.co/6TrRdq6Rqn
— まなめ (@maname) February 17, 2020
より。
言いたいことはわかるのだが、あいにく成長は必要なのだ。
「圧倒的成長」とか言う奴はウザい。てか、成長成長と言う奴は、あらゆる意味でウザい。そもそも会社は学校じゃないんだし、会社としては「ちょうどいい人」が必要なのであって成長する人そのものが必要じゃない。
他方、「成長」ということから背を向けてしまうと、何とも向上心のない奴が出来上がってしまう。そういった奴等に閉口して来たのは、私の高々30年ちょいの業界人生の中でも枚挙にいとまがない。実に「成長」をしたがる奴はそんなにいない。それは前職のような比較的意識の高そうな会社であってもそうである。
現状分析としてリンク先の記事のような人が実は多数派であるということは、そういった経験からもわかる。ただ、後半の「そういうもんだよ」的な話にはやっぱり異を唱えたい。
と言うのも、時代は変化しているからである。
たとえば「経済成長」というものがある。GDPとかで表現されると、前年比で○%の成長とか言う奴だ。この数字がよく誤解される。どう誤解されるかと言えば、
成熟した社会なら前年比で経済が伸びる必要はない
というふうにだ。確かに、去年買えたものが今年も同じ価格で買えるのであれば、別に給料が増える必要はないし、ひいては経済が成長する必要がないと思いがちである。しばしば、左がかった人達が言いがちである。
まぁ実際のところ、かつて—バブルの頃とかのように、年率7%とか10%の伸びなんてのは必要ない。「いや、給料はどんどん上がらんと」と言う声もあるだろうけど、それは生活ステージの変化に従ってくれていれば良いという話であって、社会全体、あるいはもっとわかりやすく言えば「平均給与」みたいなのが、どんどこ上がる必要はない。だから、昇給のために経済成長をさせるとかそのために消耗するとか、そういったことはナンセンスであろう。
とは言え、「平均給与」はすえ置きて、分配だけ生活ステージに合っていればそれで十分かと言えばそうはならない。
この辺は経済のいろんな話やらイデオロギーやらかかって、説明するのは私の能力を超えるのだが、ある程度以上のペースで「成長」してくれないとジリ貧になってしまうのだ。まぁ、その結果が今の日本なんだが。
なんでそうなるかわかりやすい部分だけ拾い食いすれば、要するに社会経済そのものがある程度のペースで成長しているので、それよりも遅いペースで成長する、あるいは成長しないということは、成長してないだけではなくて
相対的には衰退
しているということなのである。
河にいる魚は長い目で見れば「上流」を目指して泳いでいる。なぜなら、そうしないと「海」に落ちてしまうからである。その辺の河にいる魚が「渓流魚」になる必要はないが、「海水魚」にもなれない。河の魚が川魚でいるためには、流れの速度程度には上流に向かって泳がねばならない。「経済」というのはそういったものである。
同じようなことはコの業界でも言える。
世間の技術は放っておいても勝手に進歩している。だから、今の相対的なレベルを維持するには、世間の進歩と同じ程度には成長してないといけないのだ。
これもまた、「生活ステージ」の問題があって単純な話にはしにくいのであるが、「平均」をベースに比較するのであれば、世間の技術の成長に合った程度には成長していないといけない。
件のエントリの中に、
もちろん成長は重要ですし有力なんですが、「成長は単なる手段でしかなく、場合によっては必須のものですらない」という認識は、案外重要じゃないかと思うんですよね。
という件があるのだけど、コの業界にはまさにそれを実践して来た世界がある。それが
COBOLer
である。彼等こそ「成長は単なる手段」であると軽んじ、現状をひたすら最適化して業務をして来た。
「COBOLer」の能力はけっして低くはない。「業務をこなす」「手駒を有効に使う」という点では他の人達は見習うべきものがある。彼等は「COBOL」という手駒の能力を最高に引き出して業務をしている。それは、そういった現場に行けばわかると思う。「本物のCOBOLer」は私のようなニワカとは一味も二味も違うのだ。
でもまぁ、あくまでもそこまでである。彼等が力を発揮出来るのは、
彼等のホームフィールド
だけである。そして、その「ホームフィールド」は相対的に小さくなりつつある。
彼等の「ホームフィールド」が相対的に狭くなっているのは、彼等自身の問題ではない。「社会」とか「業界」とかが成長しているからである。拡げる努力を怠れば、狭まるしかないのである。
これがコの業界の面倒なところだ。
成長しない = 衰退
というのが、コの業界なのである。
我々は「時代」という流れの中にいる。そこで成長することに背を向けてしまうと、流れ流されて「海」に落ちてしまうのだ。何も「上流」を目指して必死に泳ぐ必要はない。しかし、流されて海に落ちない程度には、上流目指して泳がなければならないのである。