「写経」にそんなにたいそうな期待はいらない

プログラミング学習手段としての写経について

あるブログが「写経には効果がない」という趣旨のことを書いていて「何を言ってるんだ?」と思いじっくり読んでみたら、彼の言う写経は「動くとわかってる10000行のコードを何も思考せず作業として書き写すこと」を指しているようだった。「そんなわけないじゃん」と笑ってから「もしかして世の中は写経をそういう捉えてるのか?」と不安になった。

いやいやいやいや… それで十分だよ。

てかさ、「写経」に何を期待してんのさ? いや、期待するのは勝手なんだけど、期待しすぎると、効果の低さにがっかりするだけだし、効果を出すために難しいことやっても、面倒になるだけだよ。まぁ、「10000行」の必要性については疑問だけど。

「写経」する時に、そんなたいそうなことを考えなくていい。ただ、書き写せばいい。それでこそ「写経」だ。

それで何が得られるか? それは人それぞれ違うのだろうけど、一つだけ明確なことがある。それは、「写経」をするということは、

一字一句漏れなく、ゆっくりと読む

必要があるということだ。

我々は本を読む時には、つい飛ばし読みする。私は買って来た本が何冊であろうと、寝るまでにその本を全部読んでしまうことにしている。まぁ小説とかは無理だけど、専門書ならそれは難しいことではない。

じゃあ、その時に一字一句全部漏れなく読んでいるかと言えば、そうではない。長年の訓練のお陰で読むことそれ自体も速いのだけど、それ以上に

今は用がないと思うところは目を通すだけ

にしていることに負うところが大きい。つまり、その日に全部読むとは、

脳内にインデクスを作る

という作業をしているに過ぎない。その途中で、必要と思われるところは精読するし、「後で読む」にすることもある。そういった「作業」は、まず買った当日にしてしまうのだ。まぁ、たいていの本のほとんどの部分は三度目読む必要性(買って来た本は、本屋で既に一度読んでいる)はないのだけど。

そういった読み方でスキルが身につくかと言えば、まるっきりスキルにはならない。いくら「知識のインデクス」を作ったところで、それはインデクスに過ぎない。それはスキルとは呼ばない。

読書をスキルにまで昇華させるには、いろいろなことがあるのだけど、その一番目のステップが

精読

なのだ。「写経」はその大きな助けなのだ。

当然のことながら、本を精読しただけでスキルになるかと言えば、そんなことはない。だから、「次のステップ」は必要になって、それは件のブログの通りのことも、「次のステップ」としては意味がある。

でも、最初は何もわからないままに写してて良いんだよ。それがすぐにスキルになるわけじゃない。でも、そうやって

じっくり取り組む

という姿勢を持つとゆーことが、理解への近道なのだ。

「写経」はそんなにたいそうなものじゃない。だから、難しいことをする必要はない。単に写すだけでいい。でも、それで得られる効果は「精読」程度だとわきまえていればいいだけ。