コスプレテーマパーク

さだおコミュのお花見に豊島園に。

咲き始めではあったけど、我々の席の上には一見満開風の桜(左)。まぁ咲いてるのは我々の頭上だけで、他のところではあまり咲いてないのだが。西輪キングの日頃の行いのお陰で、我々だけはお花見だった。まぁ頭上の桜なんて見ないわけだが、気分はよろしい。
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「大切なマイミクさん」

あしあと辿って行くと、紹介文の「関係」のところに「大切なマイミクさん」というのをよく見掛ける(表現はいくつかある)。

まぁそれに限らず、関係に「マイミク」と書いてあるのを見ると、ちょっと引く。そもそも「マイミク」だから紹介文が書けるわけだから、そこに「マイミク」と書くのは「馬から落ちて落馬して」みたいなもんだ。
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カテゴリー: mixi

「blog」を書くことの意味

始めたからには読ませたい–より良いブロガーを目指すための10のコツ

この記事の冒頭に、

あなたがせっかく更新したブログを誰も読んでくれないならば、投稿せずにその内容を紙ナプキンにでも書き殴っておいた方がましではないだろうか。

と書いてある。まータイトルが「読ませたい」だから、そう言いたいのはわかる気がするが、それは「blogのある側面」の強調しすぎのような気がする。
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MLというメディアの終焉

ちょっと前から気がついていたのだが。

IRCの某チャネルで、「某MLのトラフィックはspamばかりになって来た」という話が出ていた。私の管理するMLもその傾向がある。

これは実は2つのことが含まれている。1つは「spamが増えた」ということ。もう1つは「MLがあまり使われなくなった」ということだ。
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「犯罪告白してる馬鹿を吊るし上げ」

「犯罪告白してる馬鹿を吊るし上げ」というコミュがある。

当初、かなりいやらしいことをやってる連中だなぁと呆れる。行為の程度として「2ちゃん晒し」と大差ないからである。おそらく動機もその辺ではないかと思 う。他人が犯罪行為をやったところで、自分が直接の被害者でない限りどうでもいいのが人間だ。その証拠に「電車男」は「美談」だ。

私は世の中で一番厄介なのは、「正義」だと思っている。全ての戦争は「正義を守るため」に行われるし、「自分を正義を信じる匿名の人達」ほど暴力 的になる。正義を信じる人達にとっては正義は正義だが、その「正義」によって「悪」とみなされた側は「正義の鉄槌を受ける」のが正しいと信じられている。 以前日記に書いた、

仮面ライダーになりたかった戦闘員

を読めば「正義」というのは「絶対」を信じる人達の横暴の口実に過ぎないことが感じられるのではないか。

# 件のリンク先はショッカーの側から仮面ライダーを描いたもの

とは言え、「やらしいなぁ」と思うと共に、「こいつらにやられるような日記を書くこと自体が脇が甘いな」とも思う。公開の日記で「飲酒運転しまし た」みたいなことを書くというのは、あまりに脇が甘い。それが「マイミクにのみ公開」であるなら、「身内のノリ」であるが、「公開」になっていれば馬鹿でしかない。

かつてmixiは「巨大な身内」であったのだが、これだけデカくなるとそれは通用しない。残念なことではあるが、「mixi」ではしょうがない。公開設定が細かくできないのがmixiの仕様であるなら、油断は禁物である。

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肩書で自らをアイデンティファイしようとする人達

私自身はそんなに肩書に興味がない。

もちろんないよりはあった方がいいものだし、「ある人」を喜ぶ傾向にある世の中では、適度に誇示しておくのも悪くない。ただ、個人的にはどうでもいいやと思う。あれはあくまでも「営業ツール」に過ぎない。タクシー(「営業ツール」の一つ)がどんなに便利でも所有しようと思わないのと同じように、肩書が便利に使えても特に所有しようとは思わない。前にも書いたように身につくものじゃないしね。
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マイミクにすることについて

今年になってマイミクがどんどん増えて行く。きっと良いことなんだろう。

その中の一人に「気軽にマイミクにする人なんですね」と言われた。そう。はっきり言って私は危険を感じる人でない限り、ミクリクは断らない(「危険」を感じた人は断りました)。袖触れあうも他生の縁である。ましてやミクリクが来るなんて… と思う。

今年になってマイミクになった人達の多くは、自己紹介のところの文章に釣られた人である。

> 頻繁にあしあとがあるのに、マイミクでもなくコメントもなく、本人の公開情報もあまりなく… の場合は、悪意とみなしてブロックかけるかも知れません。シャイなだけならマイミクに。

この文章だ。

どうも、私の日記が気にいって見に来てくれているらしい人が少なからずいる。その人達がこの文章で釣れるわけだ。

私はmixiは「日記やコミュを通して友達の輪を拡げるシステム」だと解釈している。だから、私は足あとのある人のページは訪問するが、その時に 日記は必ず読むし、読んでコメントがつけられそうな人ならコメントをつける。そこで交流が始まればいずれマイミクに… と思っている。それがmixiの中での「縁」だと思っている。

そのような関わりというのは、ある意味「希薄な関係」かも知れない。しかし、最初は希薄でも縁がある人との関係はだんだん濃くなって行く。ならなければそれはそれ。ただそれだけのことである。

そんなわけで、日記をヲチするために「お気に入り」に入れられて来るというようなことをするくらいなら、遠慮なくマイミクにして下さると嬉しい。きっとその方がお互いに幸せになれると思う。

mixi日記と言えど他人に公開する文章なので、一応他人を意識した文章になっている。つまり、読んでもらうことが前提である。mixiは2ちゃ んねると違って、「誰が読んだか」ということがかなり明確にわかるシステムになっている。それゆえ、「日記を読む」というのは一つの意思表示を含まざるを えない。2ちゃんのヲチとか、著作を購入するといった行為とは違って、「語らい」が存在するはずである。だったら、語らうための仕組みを積極的に使って行 くのが良いと思う。

別に無闇にマイミクの数だけ増やそうと思っているわけではない。かと言って、マイミクが「濃厚な友達関係の表現」だとも思っていない。何らかの縁のある人がそんな形で表現されていればいい。

「朝遅刻しそうになったのでパンをくわえて走っていたら角でぶつかった」ことからでも縁は始まる。

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