「blog」を書くことの意味

始めたからには読ませたい–より良いブロガーを目指すための10のコツ

この記事の冒頭に、

あなたがせっかく更新したブログを誰も読んでくれないならば、投稿せずにその内容を紙ナプキンにでも書き殴っておいた方がましではないだろうか。

と書いてある。まータイトルが「読ませたい」だから、そう言いたいのはわかる気がするが、それは「blogのある側面」の強調しすぎのような気がする。

私はmixi日記は「なれあいのために書いている」と以前書いたことがある。だから、どんなに「blog向き」っぽい文章であっても、あくまでも「なれあい」のためのネタでしかない。まぁ最近は長文はここに整理して置いていたりするし、ここはWordPressを使っているので、一見blog風である。ただ、やはり私は「いわゆる blogを書いている」という意識はない。そもそも、「刺激の強い文章」はコメントもトラックバックもできないようにしてあるから、「blogであるメ リット」というのは、Web 2.0な人達からすれば、随分と殺しているように見えるだろう。

blogでもないのになんでそんなことをしているかと言えば、「別に積極的に公開する気はなくても、blogエンジンというCMSを使うと書き物を整理するのに便利」だからである。

何が便利かと言えば、「blog」というものには「日付」と「タグ」がつくからだ。つまり、書き物を「時系列」に整理することと、「分類」して整 理することができる。後からふり返ってみる時に、これは都合がいい。別に他人に読んでもらわなくても、「紙ナプキンに書き殴る」よりもマシなのだ。私が 「公開」しているのは、元々が公開文書だったので、あえて非公開にする意味がないからそうしているまで。

mixiの日記を読み返して思ったのは、人間の行動や考えは、「日付」と「タグ」でたいていうまく整理ができるようだということだ。PDL (HTMLやTeX)で物を書き始めた頃、物事は「論理的なつながり」で表現できるものだと考えていたのだが、どうやってもその「つながり」がうまく表現 できなかったり、単純に「つながり」を考えると木構造になってしまって分類に困ったりしたものだ。

この「木構造」から「日付とタグ」への変化をよく見ると、データベースの進化に似ている。CODASYL型DBからRDBへの進化だ。そう思ってみると、「日付とタグ」による情報の整理は、もっと進化させることができるようにも思う。