MLというメディアの終焉

ちょっと前から気がついていたのだが。

IRCの某チャネルで、「某MLのトラフィックはspamばかりになって来た」という話が出ていた。私の管理するMLもその傾向がある。

これは実は2つのことが含まれている。1つは「spamが増えた」ということ。もう1つは「MLがあまり使われなくなった」ということだ。

MLはお手軽なネットコミュニティのツールだ。だから、かつては「何かあるとMLを立ち上げる」ということをしたものだ。仕事の話も趣味も遊び も、MLがあれば何でもできた。2人以上いればMLは作れ、上限は事実上なし。スケーラビリティに豊んだ、いいツールでありメディアであった。

もちろんMLに欠点がないわけではない。一番の欠点は「MLサーバ」なるものを用意しなければならないことだ。とは言え、これもそういったサービスがいくつかあるし、自分でサーバが立てられればQuickMLを使うという手もある。だから、今はそれ程の障害でもない。

ところが、世の中であまりMLは使われなくなった。原因はいくつも考えられるが、それは今から考えてもムダだ。古いものは新しいものに代わられるものだ。

では、「MLに代わる新しいもの」とは何なのだろう? 今のところ私のやっている「うさぎML」はmixiのコミュニティで代替されているように見える。実際、メンバーはかなりかぶっているようで、管理人は「うさぎML」のメンバーだった。

ある種のML、それも大きなものの代替は、2ちゃんねるだったりする。2ちゃんねるはmixiよりもはるかに懐が深いシステムだから、いろんな点でmixiよりもスケーラブルだ。

とは言え、それらで十分かと言えば、そうでもない。MLにあったメリットとこれらのデメリットを比較すると、

  • mixiのコミュニティは人口増加に弱い。情報は人が多い程集りやすいが、人が増え過ぎると情報は出にくい。情報の整理も難しくなる
  • 2ちゃんは公開過ぎる。MLでは「ここだけの話」が結構できた。MLのポリシで公開非公開の選択もできた。
  • いずれのシステムも身元特定が難しい 。事実」はステートレスだが、「主観」には「人格」や「文脈」が重要である。「人格」や「文脈」を把握するには「誰」ということが特定できないと困る。

とか考えると、いずれもストレートに「MLの代替」にはならない。もちろん「新しいシステム」は他のメリットはあるので、意味はもちろんあるのだが、まだ十分ではない点がある。とは言え、確実にMLのメディアとしての価値は下がっている。

この辺を考察することで、「次の情報交換の手段」へのヒントを得ることができるような気がする。