公開の場でBSDライセンスを批判すると、

厨房が湧いて来るんだな。とmatz日記を見て思う。

使う局面によってBSDライセンスの方が優れていることを否定する気はないし、局面によってはGPLの方が楽だということも確か。どっちを選ぶか は、局面によるだろう。その「局面」についての背景説明等を抜きに「BSDマンセー」をやられると(「GPLマンセーをやられると」でも同じ)、げっそり してしまう。そしてそんな議論は厨房が大好き。

というようなことを見るにつけ、オープンであるということへの限界を感じる。基本的にオープンであることは悪いことではないどころか良いことだと思うのだが、「オープンである」ということは、

  • 一般に参加資格を問わない
  • 参加者の責任を問わない
  • 参加者の背景が見えにくい

ということもセットであり、目標がはっきりしていない限り、なかなか方向性が一致しないで発散してしまうか、議論好きな厨房のスクツになってしまう。

MIXIの日記やコミュニティのありがたい点は、「MIXI参加者である」というハードルさえ超えれば(この部分がオープンではない)、これら 「オープンである」ということの弊害の部分がかなり減るということ。この辺にSNSのもっと広い活用が考えられるのではないかという気がする。たとえば 「オープンソース開発者SNS」といったような。

# 本当はもっと別のことも考えてるんだけどね