半身浴

程々歳を取ると、一番大切なものは時間になる。1分節約できれば1分長生きしたのと同じ。1分無駄にすれば1分早死にしたのと同じだ。そんなわけで時間はできる限り効率良く使いたい。

ところが、世の中には時間をかけないといけないことは少なからずある。ひたすら待つしかないこともたくさんある。また、またーりした時というのも、人生にとっては大切なものである。

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「愛国心」

http://www.asahi.com/national/update/1008/037.html

長野県議会で国旗掲揚が決まり、これで日本中の全都道府県議会での国旗掲揚になったらしい。

君が代斉唱をしなかった教職員が処分を受けたりとか、この手の「愛国的なもの」への締めつけが厳しい。

個人的には私はいわゆる国家主義的も部分を持っているので、声高く「日本国を愛します」と言いたいのではあるが、どうもこの手の「締めつけ」には
疑問を感じてしまう。それは自分がアナーキーもあるという部分があるからということだけではなくて、どうもこの辺の「愛国」というのが、「なんか違う」と
思うのだ。

私は「国を愛すること」と言うのは、その国の上に成立しているもの、あるいはその民族の性質といったものを愛することが、第一歩だと考える。だか
ら、「美しい日本語」とか「日本の歴史」とかいったものだとか、「日本人の特性」とかいったものを学んで、それを肯定的に受け止めること。これが「愛国」
だと思うのだ。また、友達やら家族やら同僚やらといったものを愛するということも関係がある。

ところがなぜか「愛国」と言うと、いわゆる戦前の天皇制回帰のようなそういったことになってしまっている。その時代の「愛国」とは、つまりは「国
防のための動機づけ」であって、「なぜ国防が必要か」という部分の説明がない。まさか今「愛国」だの「国防」だのを言っている連中だって、「最後には天皇
陛下お一人が助かれば」なんて本気で思っているとも思えん。

だから、まずはそういったいろんな人が嫌なことを連想してしまう「戦前的な愛国」と「愛国」を切り離すことをまず行い、「現代日本人にとっての日
本国とは」みたいなことをまず整理してから、「愛国的なもの」を進めるべきだと考える。つまり、愛するべき対象をはっきりさせる必要がある。

その辺を抜きにして、形だけ「愛国的なもの」にしても、あまり意味がないし、反発されるだけだと思うのだが。

ドンキの寸胴

ビーフシチューであるが、結論から言えば失敗した。

味つけを間違えたわけはないし、肉もちゃんと食える。食えばそれなりに「俺って天才?」とか思うのだけど、これは失敗作である。なぜなら、焦げついてしまって、かなりスモーキーな風味になってしまったからである。
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freshmeat

ちと訳あってfreshmeatのアカウントを取った。

取るのは簡単で、ちょっとした情報を入れてやればいい。これだけで、freshmeatがずっと見易くなる。今までアカウントなんていらないと
思っていたのだが、これだけ見易くなるのならもっと早く登録しておけば良かった。別に公開するプログラムなんてなくても構わないようだ。

とは言え、せっかく登録したので練習も兼ねてMONTSUQIを登録してみた。

http://freshmeat.net/projects/montsuqi/

なのだが、本日の新着にも出ている。

特に何があるというわけではないが、登録して掲載されると何となく嬉しい。ちょうど自分が「ふりーそふと」なんてものを初めてパソコン通信で公開した時のような、そんな高揚感がある。

それで満足していたら、しばらくしてなんか知らない毛唐人からメールが来た。今となっては毛唐のメールなんて珍しくも何ともないのだが、これがまた不思議に嬉しい。初めて海外からメールが来た時のような(その時の差出人はRMSだ)高揚感がある。

いわゆる「ふりーそふと」の世界にかれこれ20年近くいて、もう忘れかけていたような感覚をまた味わえるとは思わなかった。これだけでもモチベーションが上がる。もう慣れっこになっていた感覚だと思ったんだが、不思議なものだ。

冒頭の「訳」については、また後日。

パンチェッタ(経過)

パンチェッタ作り中。

いろんな文献を見ると、「ピチット」を使って乾燥させることが書かれているが、塩でかなり水分を抜いているということもあって、ザルに載せて冷蔵庫に入れている。冷蔵庫は低温かつ乾燥した環境だからね。

最初白かった脂がかなり褐色になって来た。いい感じの色になりつつある。赤身の表面はかなり乾いてカラカラな感じだ。このまましばらく放置しておくと良いかな。

ビーフシチュー

土曜日に中村屋のビーフシチューを食った。その時に、自分で作ってみるのも面白いではないかとゆー話になって、作ってみることに。こーゆーひたすら煮込むという料理は、手がかからなくて良いのだ。
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テレビゲームとデジタル科学館

http://www.kahaku.go.jp/game/index.html

「おー!」と思ったのは、最初の展示室のものだけで、ちょっとしょんぼり。一番いけないのは、自分にとってリアルタイムだったものが「歴史」に
なってしまっていたことだ。自分が急に年寄になったような気がする。まぁそうは言っても、最後のあたりにはPS2やら凶なんぞがあったので、実は子供もそ
う思ってる?

科学博物館にはFUJICが収蔵品としてあったはずなんで、それが見たかったのだけどそれはなく。ETL mk2とかENIACとかのモジュールを見る。

あっと言う間に全部見てしまったので、常設展示も見る。全部見るのに2時間くらいか。子供連れでも半日あれば全部見れるだろうし、子供連れなら説明とか読んでる暇はないんだろうな。今日は子供連れとアベックが多かったけど、こんなものかしらん。

「生物の進化」なんてところも興味を持って見たのだが、バージェス動物群(http://mixi.jp/view_community.pl?id=9497)
はほとんどなく。どうも全体的に面白くない。なんとゆーか、「お子様ランチ」という感じだ。子供を連れて行くには良いのかも知れないが、「大人の知的好奇
心」を満足させるものではない感じだ。シカゴのMuseum of Science and Technologyに行った時みたいな面白さがない。

それとも「科学博物館」に求めるものが違うのだろうか?

女は表情

あいかわらずエロ画像掲示板のバルク落としは続けている。ざっと日に2000枚程度の画像と戦う。「ただのエロ親父」とも言えるし、いい加減飽きつつあるのだけど、こういった作業の中にもいろいろ発見がある。compaction有りの並列GCなんてもの低コストなアイディアなんてものまで湧いて来るのは、gimvだからだろうな。

そういったわけで、日に2000枚程度の女性の画像を見る。この他にも、外を歩けば数えようがないくらいの女性の顔を見る。
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コンビニ

コンビニは偏在している。遍在はしていない。

この近所には、やたらにam/pmが多い。秋葉の中央通りを通ると、同じ側に複数のam/pmを発見すると思う。別に秋葉の中央通りに限らず、am/pmはこの辺には多いような気がする。

逆にないのは7-11だ。一番近いのは「たん清」の近くの新し目のビルにあるもので、それより家に近いところ(会社からでも同じ)にはない。ローソンも一体どこにあるのやら。御徒町の駅のに行く途中にあるのがローソンだったかな。

さらに言えば、家と会社の間にはコンビニはない。今までコンビニは通勤経路にいくつもあるのが当然だと思っていたので、これはかなり不便だ。致命
的なのは、マンガ本の購入と公共料金の支払い。「わざわざ」出掛けなければならない。一番近いところまで直線で200m(もっと?)あるだろうか。と言う
か、家のある台東2丁目にはコンビニがないのだ。3丁目まで行かねばならない。

渋谷に住んでた頃は「毎日同じコンビニに行くのもなぁ」とか言いながら、日替わりでコンビニに行ったものだ。実際チェーンがかぶることに目をつぶ
れば1週間違うコンビニに行けた。ちょっと歩くことをいとわなければ、チェーンをかぶらせることなく行けそうなくらいだった(トークスなんてマイナーコン
ビニもあったからね)。今住んでいるところは住宅街で、渋谷のぁゃιぃ街と違って、住んでいる人も多いはずだから、もっとコンビニがあってもおかしくない
のに。

実は東京で生活して最初に身につけた生活の知恵が、「コンビニを使うこと」だった。「そんなもんあたりまえだ」と言われるだろうが、これには深い
意味がある。これは「コンビニにあるもので生活を組み立てる」ということだ。髭剃りから調味料まで、モノに対するこだわりを捨て、コンビニで調達できるも
のを使うことを基本にする。そうすれば、消耗品がなくなることに泣くことなく、予備在庫を確保する必要なく暮せる。つまり、部屋に保存するものが少なくな
り、部屋が広く使えるのだ。広い住居を確保するのが難しい東京での生活の知恵だ。

ところが、ここ台東2丁目ではこのメソッドが使えない。ここは本当に東京なのだろうか? 一応、下町、江戸のどまんなかのはずなんだが…