女は表情

あいかわらずエロ画像掲示板のバルク落としは続けている。ざっと日に2000枚程度の画像と戦う。「ただのエロ親父」とも言えるし、いい加減飽きつつあるのだけど、こういった作業の中にもいろいろ発見がある。compaction有りの並列GCなんてもの低コストなアイディアなんてものまで湧いて来るのは、gimvだからだろうな。

そういったわけで、日に2000枚程度の女性の画像を見る。この他にも、外を歩けば数えようがないくらいの女性の顔を見る。

電車で通勤していた時に思ったことは、どうにも萌える女性がいないということである。これだけ大量に女性を見るのだから、1車両に1人や2人いてもおかしくないのだが、「萌え〜」と思うのは、何日かに1人である。私は通勤の時間が遅いので、そのせいかとも思ったのだが、もっと早い電車に乗っても同じなので、どうも世の中にはそんな女性はいないのだろう… なわけはないはずである。

片や休日の渋谷で見掛ける女性は、それなりに萌える女性もいる。計算したわけではないので数値的信憑性はないが、電車での遭遇確率の数倍以上はある。いや、もっとかも知れない。とにかく「萌える」感じの女性はそれなりの確率で遭遇する。

渋谷の街で見掛ける女性のほとんど全ては、電車で運ばれて来る(東京のバスは老人専用だ)。通勤と休日は当然人々は違うわけだが、萌え対象の女性が休日に偏在しているとも思えないので、おそらく「休日の女性はいい」ということではないかという気がする。

掲示板から落として来る画像を見ると、その撮られた状況が見えて来る。撮った人との人間関係だとか、撮られた人の意識とか、そういったものが「モデル」の表情から見えて来るのだ。そして、何気ない表情の時、撮っている人が恋人な時、カメラマンな時、不幸な状況な時、不安に満ちた時、同じモデルが全ての状況で撮られることはないだろうが、傾向としてはそれぞれの状況で違う。まるで別人かのように違う。

などということを思いながら、「電車」のことを考えると、通勤の時には、おそらくは大部分の女性達にとってはそれが「不幸な状況」なのだろう。不幸な状況な時に萌え対象になれるような表情になれない。それゆえに通勤電車では萌える女性を見ることが少ないのではないかと思う。休日に萌える女性を見掛けるというのは、楽しい状況だからなのだろう。

と言えば、「いい女は彼氏持ち」という話もある。これもやっぱり「楽しい状況」だからいい顔ができるではないだろうか。

私はよく「人は外見だ」と言う。いろいろ意見もあるだろうが、やっぱり人は外見だと主張したい。なぜなら、気持ちの違いだけでこれだけ器量が変わってしまうのだ。本当に良い内面があるなら、それなりにいい外見になっているはずである。

それはさて置き、これだけ状況で女性の顔の見え方が違って来るというのを見ていると、美人不美人なんてものは、実は「いい表情がどれだけできるか」ということで決まってしまうのではないかと思わざるをえない。つまり、「女は表情」なのである。