情報処理学会情報規格調査会

そろそろキレかけて来たんで書いておく。

私はこの組織でJIS COBOLの規格を作るための仕事をしている。今やグローバルスタンダードということもあって、JISは独自の規格ではなく、出来る限りISOやANSI に合わせた規格を作ることになっている。そのため、実質の仕事はISO規格の翻訳である。翻訳そのものは翻訳屋さんがやってくれるので、私の仕事は訳語を 決めることと、校正である。校正の過程で変な訳を発見すると、また訳語を考えて…の繰り返しである。COBOLくらい歴史のある言語になると、過去に 決めた用語というのがあるので(それをベースに書かれた教科書があるわけだ)、それと矛盾しないような訳語を考えなくてはならない。技術の進歩は時として 予測を超えるわけなので、なかなかとんでもないことが起きてくれている。英文と訳語と戦いながら訳語を決めて行く。そういった地味な仕事の委員会である。

ここで作ったJIS原案が、経産省のそれなりの委員会を経て、JIS規格となる。そしてJIS規格は処理系や教科書を作る時の根幹となる規格なの である。我々の責任は重大である。実装者はISO規格の方を読むことが多いので、あまり重要ではないと思っているようだが、教科書の類はJISの用語や文 章を使うことがままあるので、かなり重要である。

ところがこの委員会に出席しても、1円の日当も出ない。交通費も最初の数回は出るのだが、それを消化すると出なくなる。そればかりか、規格調査会 はいろいろ利権の絡む委員会ということになっているために、正規に入会すると年間60万もの大金が取られてしまう。責務は大なので、なかなか時間も労力も 使う。はっきり言って全くペイしないのである。

まぁ私のような自分でスケジューリングできる身分で、都内に住んでいるものであれば、下っ端でもあることもあるし日当なぞ出なくても構いはしない (つか諦められる)。ところが、遠くの委員となると、奈良や神戸から来る人もいる。彼等にも交通費は出ない。そのために、委員会があると、それにぶつけて 他の用事を入れて、そのついでに会議に出るという方法を取っているようだ。もちろんそういった人達に手間賃なぞ出ていない。上役のいる人なんて、どうやっ て説明しているのだろう。そういった人達はモチベーションも低いし、動こうにも動けない。かくして、JIS規格の制定は遅々として進まない。COBOLの ISOは2002年に作られたのだが、JISは2004年度内に出せるかどうか。

JIS規格は日本の規格の根幹である。そのJISを作る現場がこのような情けない状態であるということに、日本の未来の暗さを感じてしまう。

頑張って委員会出たら、「論文掲載券」とかもらえて、論文を優先的に査読掲載してくれるとかって特典つかないかなぁ。「肩叩き券」と同じで元がかかるわけじゃないと思うのだけど。

自転車男

スーパーからの帰り、途中のマンションの前で座っているおねーさんがいた。なぜかそのおねーさんの上には自転車があった。

ではなくて、どうやらそのおねーさんは自転車で転んだらしい。あんまり凄い様なので「大丈夫?」と声をかけてみた。「いたいのぉ。でも大丈夫」と かって甘え声を出してみるところにノリの良さを感じて好感。「大丈夫なら」と行こうとしたら、「ちょっと自転車持ってて」とのことなので、支えてあげる。 自転車起こして、おねーさん立って。「ありがとー」「いえいえ」

そんだけのことで、何事も起きる気配はない。

冷蔵庫

やっと冷凍室付き冷蔵庫を買った。これでアイスも溶けないぞっと。

予算10万くらいと思って行ったんだが、選択肢多過ぎ。と言うよりは、10万も予算があったらよけいに迷ってしまう。容量はデカい方がいいし、使いやすい方がいいし。

ところが、メーカ毎に「これくらいの値段はこれくらいの容量」というのは決まっているようだ。10万くらいだと、だいたい私の背丈くらい。容量にして350〜400Lくらいか。

機能の差と言っても、実はそう大差あるわけじゃない。基本機能は「物を冷やす」だけのものなのだから、差なぞつけようがない。違いは、いわゆるオ マケの部分とか、扉の開き方や数が違うくらい。だいたい、私はメカものは苦手なので、機能が増えるとダメだ。また、「流行りの仕様」というのがあるよう で、オマケも似たようなもの。

これらのことは、つまるところ「どれを選んでも決定的な違いがない」ということである。なので、ひたすら選択に迷う。結局、「小さく見えて中身がデカい」という尺度で選ぶことになってしまった。

またドライフラワー

引越しの準備でいらないものをドンドン捨てている。

以前書いていたドライフラワーも、ほぼ今日捨てた。くれた人、くれた時のシチュエーションとか思い出すと切なくなるが、逆にそんな過去はとっとと捨ててしまった方が良いかとも思う。

色褪せてしまったドライフラワーも、捨てて潰す時にはまた香りがする。かつて自分が花であったという主張をするように、まだ自分は価値があるのだと主張するように。その時にまた切なくなるが、ここでセンチになってもしょうがないんでグシャグシャに。

片付けをすると、かなり過去と訣別できるものだな。さようなら美しき思い出たちよ。