私がソフトウェア技術者をやめない理由

私は中学生の頃に「マイコン」なんてものを知ってから、ずっとプログラムを見ている。

元々ラジオ少年だったし、放送通信関係のエンジニアをやったり、「プログラマ」という肩書なのに鉄塔を設計してたってこともあったけど、趣味や勉強期間を含めればプログラムに手を出してない期間はほとんどない。

今も零細企業をやっているけれど、やっぱりプログラムを書いている。それは、間違いなくそれが

好き

だからだ。

文章を書くことは嫌いではない。ネットでgdgd世間話するのも好きだし、資金繰り表を作ることもそれなりに楽しい。もちろんエロ画像を見ることも、おねーちゃん口説くことも好きだ。でも、それらと比較しても、やっぱりプログラムを書くことが一番好きなのだ。

もちろん酒井さんが言っているように、同業者に失望したことは少なくない。その手の失望は、初めて就職した日にすらあった。「それは単に処理系がそうなっているだけでしょ」と思うようなことを、さも世界の常識であるかのように語られ、「それはたまたまそうなっているだけだ」と言っても、

単なる新人の非常識

としてしか見なかった奴等にまず絶望した。

最初の転職してからも日経エレクトロニクスの「オブジェクト指向特集」を見て心酔して、有効性を上司に説いたり、簡単な処理系をCOBOL上に実装したりして見せても、結局彼は「意味がわからないこと」という意味で「オブジェクト指向」という言葉を使う有様だった。クソみたいな上司のコードを修正したり、それこそ「なんだこりゃ」としか言いようのない日付計算ロジックを修正しても、

それはアルゴリズムを知らないとわからないから

とかってくだらない理由で元の「なんだこりゃ」に戻させられたりとか、そういう絶望したくなることはたくさんあった。

でもやっぱり私はプログラマをやめようと積極的に思ったことは一度もない。異動で放送通信の部署に移った時でさえ、ソフトウェアから離れてない。つか、「Linuxを256倍使うための本」を書いたのは、その頃だったと思う。

前の会社を作った時もやっぱりプログラマだった。あのまま辞めずにいて「うちには松本って世界的なエンジニアがいてですね」とか言ってりゃ、今頃はプログラム書いてる必要がなかったと思うけど、むしろそれが嫌で辞めちゃったのだ。プログラム書きたくて始めた会社でプログラムが書けなくなったら、やってる意味がない。

今はもちろんプログラムを書いてる。うちの若いのはとっても優秀で、「画像特徴量がどーだこーだ」みたいなプログラムも書けば、クソ長いSQLも書けるし、OAuth対応とかまるで

ジェバンニ

だから私が出る幕なんてないくらいなんだけど、やっぱり私はプログラム書いてる。

それはもちろん「天職」だって思っていることもあるけど、たいした仕事もしてないくせに

「いや~日本のIT業界ってのはさぁ~」

的に業界を上から目線で語るようなことをしたくないからだ。歩兵か大将かは別にしても、いつも「最前線」にいて、主体的に業界を見ていたい程度に業界が好きなのだ。

最前線

かつていた業界を、さもわかったような顔をして「だからダメなんだよねぇ~」と語るのは、ちょっと気持ちいい。私がマスメディアについて語る時は、ちょっとそんなのが入ってるかも知れない。でもね、結局のところ「評論家」が何を言ったって「業界」みたいなデカいものが変わるわけじゃない。変えられるのは、結局「最前線」にいる奴等だけだと思うわけ。で、私はそういったことを思う程度には

コの業界を愛してる

のよ。「数ある自分の能力が発揮出来る世界の中の一つ」じゃなくって、仮に戦死することになっても戦況を良くしたいくらい「愛業界心」があるわけ。

とか思ってたら、本当は「大本営」にでも勤めてるべきなんだろうけど、この戦いには「大本営」は意味をなしてないからね。

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