「新聞」って何?

私は遠からず「新聞」は滅びると思っている。

この文脈で言う「新聞」はあの毎日配達されている、紙の新聞のことだ。遠からずあれはなくなると思っている。

ところが、新聞人達は「新聞は滅びない」と思っているらしい。

サンデー時評:新聞・テレビ消滅論にみる「大仰」

この文脈で言う「新聞」とは何だ?

件の記事の前半の部分についてはあれこれ言うまでもないと思う。それは

大学生が新聞を読まないという話は以前から聞いていたから驚かないが、新聞社を希望する学生まで読まない。そこまで来ている。ビール会社に就職したいからといって、前もってビールを飲まなくてもいいでしょ、という理屈を聞かされているみたいで、新聞人の一人として心穏やかでない。

に集約されている。自分がそもそも読まないものを作る側になるなんて、どんだけ「ゆとり」なんだよと。てか、件の学生、もし自分が新聞記者になりたいんだったら、それなりの夢とか希望とか持っているべき。それがない、新聞に将来性がないとか思うんだったら、そういった職を選ぶなよと。まー、ウェブな業界でよく言うところの、

てめーの犬の餌を食え

ってことだ。

それはいいんだが、後半の佐々木さんの書いたものへの批判がおかしい。件の本は私は読んでないんだけど、そういった本を読んで批判した上で、なんで「二〇一一年に、新聞・テレビが消えるはずがないのである。」という言葉が唐突に出るのかわからない。一人で「わかった」とか言ってて、何もそれを共有しようとしない。「わかった」のなら、また件の本の結論と違うことを言うんだったら、それなりの理由を言えよと。

というのもさることながら、どうも読んでいると「ニュース」と「新聞」をごっちゃにしていることがわかる。

新聞・テレビは思い切った意識革命を迫られているが、第一次情報の発信源が新聞・テレビであることに何の変わりもないのだ。

ここで言っている「新聞・テレビ」とは、何を指そうとしているんだ?

「岡崎市図書館」のことでの朝日新聞の記事は実に素晴しく、「さすがに長年記事を作っている新聞社の記者はやることが違う」と言っても良いと思う。まだ新聞記者からジャーナリズムは消えてなかったんだと、感心したものだ。なんだかんだ言って、「ニュース発信者」としての新聞は、いろいろと蓄積がある。最近は「マスゴミ」とかよく言われるけれど、

少なくとも一つの情報源

として存在しているのは悪くない。不満だ偏向だと思うのであれば、他のニュースも見ればいいだけなんだから。

他方、「マスメディアとしての新聞」を考えてみれば、遠からず「毎日宅配されてニュースが印刷されているアレ(一々面倒臭いから以下『アレ』ってことで)」が滅びるんじゃないかってのは、そんなにおかしな予測ではない。記事が良いか悪いかは別にしても、事実として購読数は漸減状態にあるわけで、これが回復に向かう材料も期待出来ない。今や新聞社は赤字状態にあるところばかりなので、経済活動としては

どこまで株主が我慢するか

というレベルになりつつある。もちろん経営合理化して、規模を縮小して… という方向もあるだろうが、「アレ」が存在するためには、ある程度以上の規模が必要なので、その規模が維持出来なくなった時点で清算に向かうしかない。ある程度以下の部数になってしまえば、マスメディアとしての価値がなくなってしまう。

「新聞社」という企業としては、ネットメディアに舵を切るという選択はアリだろう。ネットメディアになっても、「一次情報の発信者としての新聞社」という地位を維持することは、あるいは可能かも知れない。不可能かも知れないけど、まぁそれは企業努力って奴だ。

仮にそうやってネットメディアで成功してしまった時、「新聞社」は「アレ」を生産し続けるかと言えば、多分それはないだろう。だって、「アレ」を生産するのが赤字で、ネットメディアが黒字だとしたら、「アレ」の方を切るのは普通の経営判断だから。

さてそうなった時、「新聞」は生きていると言えるんだろうか?

確かに「新聞社」は生きている。だけど、「新聞社が作るものだから新聞なんだ」って言って良いんだろうか? 「新聞社」がネットメディアで成功して「アレ」を製造しなくなったら、「新聞」は生きているんだろうか?

「アレ」ってのは「毎日宅配されている紙」という「メディア」だ。そこには「広告が掲載出来る」という価値もあれば、「宅配契約によって購読者の囲い込んだ」という価値もある。「大量に出回っている」というspam的価値もある。そういった「プラットフォーム」を持っているのが、「新聞社」の価値の一つでもある。それが、単なる「通信社」とは違う点だ。

でも、この「アレ」はそろそろみんながいらなくなっている。みんなが価値を感じているのは、「アレ」がメディアとして運んで来た「ニュース」や「広告」であって、「アレ」そのものじゃない。

件の記事の人の言う「二〇一一年に、新聞・テレビが消えるはずがないのである」とは、いったい何を指しているんだろうか? また、「アレ」を製造しなくなった「新聞社」は、他の情報源に対する優位が維持出来るんだろうか?

「新聞」って何?” への1件のコメント

  1. 佐藤信彦です。

    紙の新聞と報道メディアがごっちゃにされやすいのは、今の新聞社側の姿勢に原因があるのではないでしょうか。先日の「紙があって、よかった」なんて紙のノスタルジーに頼るような広告なんて、その典型ですよね。新聞業界の電子書籍化への対抗手段はもはや涙しかないのか、と以下のように感じました。

    http://life-with-guitar.cocolog-nifty.com/nobusato/2010/08/post-af89.html

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