私は容赦ないです

ちょっと古いエントリのようなんだけど、twitterで誰かが挙げていたので。

【長文】全グルメブロガーに問う

ここで問われている、

あなたは、自分の意見にどのくらい自信がありますか?
また、自分の意見の影響力について考えた事がありますか?

は確かにそうだなと思う。でも、あえて、またそうであるがゆえに、私はダメな店は容赦なくdisる。

まぁ「容赦なくdisる」と言っても、ファーストフードに高級レストランみたいなサービスを要求して騒ぎ立てるのは、イタい行為だ。そういったのはやめればいいのになーと思う。向こうは「サービス」と言えども「業」なのだ。報酬に見合ったサービスを提供すればいいだけで、それを超えたことをする必要はない。いくら「お客様は神様です」とか言っても、限度がある。過度にサービスすることはない

とは言え、セルフサービスでない店だったら、席に座ったら水くらい出して欲しいし、注文も適当な時に聞きに来て欲しい。それくらいは要求する権利はあるだろう。そこで出し方がどーのとか、水の味がどーのとかってのは、分を超えている。

と、それくらいの常識をわきまえた上であれば、ダメな店は容赦なくdisってもいいし、それが主観であっても構わないと思う。なぜなら、

しょせん個人の意見に過ぎない

わけで、その正当性についてあれこれ言ってもしょうがないということと、ダメなサービスで嫌な思いをしたら、声は上げるべきだからだ。

後者については最近書いているので、そっちで。

「しょせん個人の意見に過ぎない」というのは、私がよく言う「ネットの意見は人それぞれ」ということと共に、

サービスの良否は主観的

だということからだ。

どんなに優れたサービスであっても、誰にとっても最良ということはまずない。ある人にとって良いサービスであっても、他の人にとってそうであるという保証はない。「ダメなサービス」については、わりと一致するところなのだけど、良いとなると難しい。ましてや、マス相手のサービスは難しい。だから、良心的な店としては「これがうちのベスト」として提示する。

ただし、その「うちのベスト」が「私」にとって良いかどうかは別だ。「他の人」にとって良いものであっても、「私」にとってそうだとは限らない。だから、よくある「店舗評価」で星がいくつかつくとかというのは、あくまでも「そう思う人が多かった」というだけであって、自分にとってそうだとは限らない。

とは言え、プロファイルの似た人は同じように受け取る可能性は大だ。また、具体的にどうだと書いてあれば、「それは私にとって良い」「それは私にはちょっと」と判断することが出来る。だからこそ、「自分」のプロファイルを明らかにしつつ、「自分の感想」を述べたり、「具体的な内容」を書いたりすることには意味がある。

だから、disりたかったら容赦する必要はない。もちろんそれで悪い印象を持つ人もいるだろうけど、他の人で良い印象を持つ人もいるだろう。さらにそれが「具体的」であれば、そこからいろいろ思うこともあるだろう。「ああ、ここでは酷く言われているけど、これは自分にとってアリだな」という人だっているかも知れない。

逆に変に容赦したり、オブラートにかけてあったりすると、良くわからない。また、感情だけが書かれていては、情報としての価値がない。だから、お店の感想とかレビューのようなものは、

容赦なく、事実と共に

書いてある方が有用なのだ。「私の一言で店の売上が」みたいなことを考えるのであれば、最初から何も書くなと思う。明らかにマズいものを「面白い味」みたいな表現で語られても、レビューとしての価値はない。まぁ「雑文」として楽しむ分にはそれでいいけど。

容赦なくdisり、容赦なく褒める。この方が情報としての価値がある。

自重はダークサイドだ。

私は容赦ないです” への1件のコメント

  1. ピンバック: CURRY DIARY (・x・)

コメントは受け付けていません。