この前のエントリ
で、「初期値としてのスキルなんてどうでもいい」と書いたことを、もうちょっと詳しく。
この理由は3つある。
まず第一は、
働けばスキルは身につくのが当然
ということだ。
これはどこの世界でもそうだが、その仕事をしていれば、その仕事に必要なスキルは自然に身につく。また、身につける必要性も日々感じる。そうなれば、自分で進んで身につけようとするだろうし、職場でもそういった教育はなされる。自分の仕事に必要なスキルを進んで身につけようとしない人は、始まる前に終わっている。これは、そういった教育の機会を設けない職場も同じだ。スキルは日々の精進のたまものだ。
そうなれば、多少「初期値」に違いがあったところで、その差は埋まって行く。特にコの業界は求められるスキルが変化して行く世界だから、「初期値」の高さよりは「追従性」の方が重要ですらある。つまり、「初期値としてどれだけのスキルを持っているか」ということよりは、「スキルを高める能力がどれだけあるか」の方が重要だ。
コの業界の変化は激しい。今もてはやされる技術やスキルが、明日価値がある保証はない。もちろん数学や語学のようなスキルの価値は変化が少ないから、「初期値」にも価値があるが、いわゆる「ITスキル」の類はそうでないことが多い。むしろ、「RoRでwebアプリがバリバリ書けます」の類のスキルに価値を認める職場は、危険であるとさえ思った方がいい。
第二には、以前にも書いているが、私はプログラムを書くのに一番必要な能力は、
考えること
だと思うからだ。これこそが上質なプログラムに一番必要なことであり、「○○言語で素早く記述すること」とか、「××アルゴリズムを知っている」とか、「○×CPUの得意な処理」とかなんてのは、あくまでも「従属的」なことだと思う。つまり、必要なら必要な時に調べるなり身につけるなりすればいい。それよりも、考えることとか考える習慣の方がずっと大事だ。
もちろん、考えることとか考える習慣というのも、スキルのうちだ。しかし、そういったものは表に見え難く、評価もされ難い。また、いわゆる「ITスキル」だと思われていないし、その意味も軽視されがちだ。
そして、3つ目が、
今や技術は遍在している
ということ。つまり、必要な「技術」は何も人材を抱えて作り出さなくても、買うなり拾って来るなりすれば済んでしまう時代になってしまっている。「サーチエンジン」が必要なら、下手に自分たちで作るよりは、Googleを使う方が早いし上質だし低コストだ。だから、そういったものを「作り出す技術者」よりも、「評価できる」あるいは「探し出す」人の方が価値があったりする。
もちろん、本当に必要な技術については、自分たちで握る必要がある。それは他との差別化に必要な技術であるから、自分たちで握ってなければ意味がない。と同時に、他で身についているような技術だったら、既に意味がないということでもある。特に(弊社も含めて)、ニッチで高度な技術を必要とするところであれば、その度合は高い。
もちろんそういった「技術」は他の技術の上に立つものであるから、そういったものが邪魔であるとか価値がないとかということはないが、「他の技術」の部分は買って来るなり拾って来るなりが出来ないわけでもない。だから、「あればあったに越したことはないが、ないからどうということもない」のである。
そんなわけだから、真に身につけておいて欲しい「スキル」は、
- 学習するスキル
- 考えるスキル
- 基礎教養
なのである。
じゃあ、情報系学科は虚しいかって? このエントリを読んで、もしそう思うのであれば、多分どの学科も虚しいに違いない。