はしたないのと、「健康的色気」が関連つけ可能なのは、学生までだなぁ

JISの会議があったので、東京タワー(機械会館)へ。

会議の時にいろいろ思うこともあったのだが、それは別稿にて(書くのか?)。

帰りの電車の向かい側の席の女性2人。そのうちの1人がなぜかスカートが捲れ上がってる。と言っても「すごいこと」になっているわけじゃなくて、座った時に裾を直すのをしていないという程度なんだけど。多分膝下くらいの丈のスカートだと思うのだが、膝上くらいになっている。隣りの連れと夢中で話してるようで、足が開き気味。

と言えば、複数の女性が短か目のスカートで座っている時は、

パンチラチャンス

だ。たいてい話に夢中になって、足が開いているのを忘れ… ってことになっている。まぁ「を!」と思うのは一瞬で、すぐに飽きるわけだが。あーゆーものはシチュエーションだの瞬間だのに価値があるもので、「内容」なんてどーでもいいわけで。

で、元の話に戻ると、まーパンチラにはならないけれどこちら側から内股まで見えるようになってる。スカートの状態から察するに、方向によっては外腿も見えていると思われ。

はしたない

状態になっている。

これがまぁ、中高生くらいなら「楽しく話してるのだなぁ」と微笑ましくもあるのだけど、その2人は結構いい歳。30代後半〜くらいに見える。それくらいの歳になってしまっていると観賞的価値が… じゃなくって、その行為の「幼稚さ」にげっそりしてしまう。

雰囲気から「楽しく話している」というのはわかるし、多分気のおけない間柄なんだろうという感じを受ける。それはそれで結構なんだが、そういった「大人」が電車という公共スペースで油断しまくりというのが、どうにもいただけない。別に楽しく会話するということそれ自体がいけないというつもりはないのだが。

「はしたなさ」というのは「未熟さ」を連想させ、「未熟さ」は「若さ」と関連づけされているものだ。だから、「未熟さ」が許される範囲であれば、「はしたなさ」は「若さ」を強調する記号であり、その結果のパンチラの類は「健康的色気」と感じられないわけでもない。

ところが、「いい歳」の人がそういった「はしたなさ」を見せると、「未熟さ」は「若さ」とは結びつけられず、馬鹿っぽく見えるだけだ。「老獪に計算された未熟さ」なら「若さの演出」なんだろうけど。