おごテクノロジー

私はわりと職業選択の自由がなかった。いや、もちろん日本国民なんだから法的にはあるには違いないけど、選択の余地がなかったとゆーか。

最初の会社は就職内定率を異様に気にする就職担当教官が、「さっさと決めろ」と言わんばかりの態度を取り続けていたので、さっさと決めさせられた会社だった。表向きの業務内容には別に不満はなかったのだが、会社の内情はどう見てもブラック企業だった。どれくらいブラックかと言えば、特定顧客への派遣が主で、会社は1時間いくらという単価での契約をしていて、残業手当は「やっただけもらえる」というシステムだった(当時は派遣法すらなかった)。今時の残業カットなご時世からすると、天国のように見えるが、これはまるっきり地獄で、「売り上げ少ないのは残業しないからだ」的論理がミエミエの会社だった。実際「もっと働いて来い」的なことを言われもしたし、派遣先についてない残業はカットだった。。新卒2ヶ月にして、手取り給与は倍になった。その時に「いくら給料が増えても、使う時間がなかったらないのと同じ」ということを学習した。

そこは10ヶ月で辞め、縁のあった(と言っても学生時代インターンで行ったくらいなのだが)テレビ局に勤めた。一応ソフト関連の子会社を作るからそこの採用試験ということだったのだが、なぜか本体のテレビ局の方に採用になった。とは言え、局の仕事をしたのは数ヶ月で、後は退職するまでは主にコンピュータ関連の子会社を点々とし、最後の2年はまたテレビ関連の子会社に出向。ちょうど10年前の今頃に「辞めます」と言った。辞めるに至ったのは、「地デジ、インターネット時代の地方局の将来性」からであって、「現状が嫌」だったわけでも、新会社に誘われたからでもない。まぁ後者がゼロかと言えばそうでもないけど。

その後の10年は、こないだまで勤めていた会社。まぁそこで何をやっていたかは、わりと知られているので割愛。

で、それなりに良さそうに見える経歴で、何の不満があろうかと言う人もあるだろうが、どれも共通しているのが、「やりたいと思っている仕事は自分の隣」とか「何とかやりたい仕事がやれる環境を作っても、さあこれからと思う時に異動」とか「異動はいきなりで、それまでやったことのない仕事に回される」という点で、かなり不遇だった。じゃあ辞めればいいじゃないかと言う声もあるだろうが、田舎だとそうそうちゃんと給料がもらえる民間企業はないし、「田舎縛り」のある身だったので、都会に転職することもできない。田舎縛りと待遇悪化を避けると、職業選択の自由はなくなるのだ。

今となっては笑い話でしかないが、Linux界で「教祖様」なんて言われていた時(満ち干で氏の紹介文参照)、私のやっていた仕事は、「潰れそうなキャプテン会社でのメインフレームのおもり」だったり「テレビ子会社で草刈り」だったり「やたら偉そうな地主に頭下げて土地を貸りる交渉」だったりしたのだ。普通に考えれば「退職勧告」だったりするような仕事なのだが、当時の会社(テレビ)の都合で考えれば「人材温存」だった。あのまま勤めていれば、今頃は本社でそれなりのポジションになったはずで、そうかと言って「上」がいっぱいだった当時はそうやって人材温存をする。それがあの会社の人事だった。まぁ何にしても、普通の「やりがいのある仕事」からは遠くかけ離れていた。

じゃあ日々クサりながら仕事をしていたかと言えば、そうでないところが「おごテクノロジー」だ。また、それを身につけさせてくれた環境にも感謝している。

なんでそんな状況でクサらずに仕事することが出来たかと言えば、それは仕事が面白かったからだ。それも単なる「気の持ちよう」ではなく、いつどの時点でもその状況に戻っても構わないくらい楽しかったのだ。それは単なる過去の美化でもなく、その時もそう思っていた。

「教祖様」な時代、既に名前だけの名刺で通用するくらいの知名度はあった。「名前だけの名刺で通用する」のは、私の技術者としての一つの目標点であった。技術者としての著作もあった。その気になれば、それなりの会社からスカウトされることも難しくない。「田舎縛り」をやめればそれでいいし、収入がそれなりに保証されればそれも選択肢だ。「独立」も悪くない。その頃のkneo氏の本には「裏日本最高のプログラマ」という称号で紹介されていた程だし B) それでも私は楽しく草刈りをしていた。異動の時には嫌々だったのだが、もうコンピュータ業界に戻りたいとも思ってなかった。

じゃーなんでそんな仕事が面白かったかと言えば、仕事を面白く演出していたからだ。草刈りなんて私でなくても誰でもできる。いくらテレビの子会社とは言え「子会社」でしかないし、潰れそうな会社だったからロクでもない人材もいた。単に「地元の親方の子息」みたいな使えない奴もいた。英語のマニュアルを読んでただけで、いきなり尊敬を集めてしまうような、そんな環境だったから、そんな奴等と草刈りだ。「私でなくてもできる」度は高い。実際ローテーションだったし。当時の他の奴等に聞けば、多分「面白くも何ともない仕事」だと答えるだろう。でも私は楽しかったのだ。まぁたまには「テレビの子会社」なりに、誰が見ても楽しそうで面白そうな仕事もあったが(古い日記に出ている)、それらはたまにしかない。地方局というのはそんなもんだ。

じゃ、どうやって仕事を面白くしていたかと言えば、どの仕事も「やらされている」なんて思わないで、主体的にやっていたからだ。と言っても、常にリーダになっていたわけでもない。自分の仕事の範囲において、自分に責任を持たせ、自分の頭で考えながら、自分の意思で仕事をしていた。単にそれだけのこと。「自分のリーダーは自分」と思えば、自分はリーダーだ。そして、それにふさわしくふるまえばいい。自分一人であってもリーダーシップを持って仕事をする。そうするだけで、仕事は楽しくなる。

それと共に「向上心」を失なわないことだ。「目の前の仕事が楽しい」ことと、「より良い仕事を求める」ことは背反しない。

私のそんな時の「向上心」なんてのは馬鹿みたいなもので、草刈りをしていたら「俺は世界一の草刈りだ」みたいなことを妄想する。もちろん現実にはそんなものじゃないのだが、それを目指して、そうなるようにふるまう。馬鹿としか言いようがないのだが、本気でそう思っていたし、根拠がないわけでもなかったし、実際間違いなくその職場では一番だった。アホ上司みたいに、「うっかり漆の木に登ってしまって、1週間寝込む」なんてこともしなかった。

普通の人にとって草刈りなんて面白くないし、その職場ではたいてい草刈り以上の能力がある人が草刈りをしているわけだから、よけいに面白くない。面白くないと、みんな向上心を失うから、上手くなるはずもない。そこで向上心を持っている奴がいれば、簡単にトップになれる。たかが草刈りでも、「トップ」の座はおいしい。私は長いことコンピュータ子会社にいたから、その職場では一番経験が浅い。そこでいきなりトップだ。これこそ「世界制服^H^H征服」の第一歩だ。たかがくだらない職場でトップ取れない奴が、天下取れるわけがない。

どれも取るに足りない、ささいな「自己満足」に過ぎない。とは言え、たかが一人の勤め人がどれ程たいそうなことができるかと考えれば、「何でもいいからその職場で一番」というのは、そう悪いもんじゃない。転職という選択肢が事実上存在しないと思えば、「何でもいいからその職場で一番」というのは、待遇改善には必要なことだ。

まぁ理由なんてのはどうでもいい。「自分の仕事の支配者は自分」にすれば、いくらでも仕事は楽しくできるし、そうでなかったらどんなに楽しそうな仕事であってもすぐ飽きるだろう。私はここでこのことを「精神論」にしてしまうつもりはない。「俺は偉い」という類ものでもない(発見したのは偉いかも知れないけど)。これは再現性のある「テクノロジー」だ。それゆえ、

> おごちゃんは日本のLinux界隈では有名な人ですからね。「仕事を自己中心に持っていく」のは、出来る立場にある。

こーゆー「寝言」を言われると、腹が立つを通り越して呆れてしまう。こういった根性を持ってしまった時点で、どんな仕事もつまらなくなるだろうに。

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