ある人の日記のコメントが香ばしかった件

マイミクの某さんが解雇になったらしいことが日記に出ている。

詳しい事情は知らないが、どうも会社の経営事情が好ましくない状況にあっての人員整理のようだ。そういった理由での解雇というのは、する側もあまり気持ちがいいものじゃないが、される側としたら不条理以外の何物でもなかろう。他人事ながら双方に同情を禁じえない。

ところが日記コメントがもうまるっきり「サヨ的香ばしさ」に満ち満ちている。「不当解雇だ」「権利がある」「戦え」まるで、60年代の労働葬儀^H^H争議の場に来たかのような錯覚を受ける。そんなふうに、細かい事情も知らないのに「戦え」とそそのかす人達多数。

まぁ確かに儲かっている会社が利益確保するための解雇であるなら、それは戦う意味がある。利益を確保しているのだから、補償の原資もあるだろうし、そもそも無理やり利益確保する必要もない。そんな解雇には戦うべきだ。まぁそんな理由で解雇するような会社で身分確保を求めるよりは、好条件を求めてとっとと辞める方がいいけれど。

しかし、それなりにマジメにやって来た零細企業が、マジメにやって来た社員を解雇するというのは、よほどのことだ。多分、一人でも戦う社員がいたら、会社は潰れるだろう。潰れてしまえば、諸々の借金は会社役員に降りかかるだけではなく、今まで付き合いのあった顧客を始めとする各方面に迷惑をかける。

マジメな零細企業では「役員」の身分は従業員よりも低い。顧客が一番大切で、その次が社員、その次に銀行があって、最後が役員だ。そんな会社では、従業員は最悪「辞める」という選択があるが、役員はなかなかそうも行かない。逃げることが出来ない戦いは、たいていの場合戦われた時点で負けなのだ。

そういう「社会のシクミ」を考えもせず、「戦え戦え」とそそのかす人達の香ばしさ。60年代で思考が止まっているサヨの頭の悪さを感じる。

その辺で思考を止めてしまっているから、「しょせんサヨ」という扱いを受けるのだ。その結果、自分たちの権利を縮小する方向に世の中を動かしているということに気がついて欲しいものだ。いわゆる「勝ち組でない会社(上場企業も含む)」は、「労使対立」のような構図は作りたくても作れず、「大人の対応」として「労使協調」でなければ、双方の得にならない。

まぁ捨民党的価値観が最高と思ってるような人達には理解は出来ないことだろうが。

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