「OpenCOBOL活用セミナー」

まぁ私憤なんで、どうってことのない内容。

Q:大阪城を作った人は誰でしょう?

A1:豊臣秀吉

A2:大工さん

当然どっちも正しい。違いは視点であって、どっちがなくても成り立たない。ただし、豊臣秀吉は「作者」とは呼ばれない。「作者」は名もなき大工さん。

まぁそういった意味で、「OpenCOBOL」の「作者」は私ではないのだけど。

お知らせ : 【プレスリリース】OSS COBOL支援プロジェクト立ち上げ

作者じゃないから「仁義」とかいらないけど、「声」くらいはかけて欲しかった。

OpenCOBOLの開発の経緯は、以前に書いた。

ORCAのアーキテクチャ(言語とデータベース)

この中から来たもので、dot COBOLがオープンな処理系でなかったので、しょうがなく開発してもらったものだ。プロジェクトのために言語処理系を作るとか、正気の沙汰じゃないんだから。それもまぁ、西田君とゆースーパーハカーがいたから出来たものなんだけど。そう、「作者」は間違いなく西田君だ。

元々はORCAから始まったプロジェクトなんだけど、いろんな経緯から今は他の人達がやっている。それで続いているのだから、まさしくFLOSSのエコシステムの成功例だ。まぁ、COBOLなんで地味なんで、話題に上ることはないのだけど。

ってことで、開発の初期には私はタッチしているし、「やる」って意思決定したのも私なのだけど、今は赤の他人が続けているとゆーソフトウェアなのだ。

今となっては私自身COBOLでコードを書くことなんてないんで、本当に他人なんだけど、いろいろ因縁もあるので、それなりに思い入れもある。COBOLの規格に関わる「ボランティア」を甘んじで引き受けているのも、その「因縁」でもある。

とは言え、私が何らかの権利が主張出来るかと言えばそんな権利は全くないし、別にその権利が欲しいというわけでもない。てーか、そんな権利があっても何も価値がないってことはいろいろ経験済みだから、欲しがる価値もない(*1)。そういった意味では、

売ってしまった商品

と同じようなものだ。「売ってしまった商品」ってのは、もはや自分のものではない。買った人のものだ。いや、別に直接それで金もらったって訳じゃないよ。感覚的にそうだってこと。それもまぁ、かなり前に売ってしまって、売ったとゆーことはどうでも良くなってるくらいのものだ。

そーゆーわけで、私には何の権利もないし、そういったものを主張するわけでもないけど、いきなり知らないところで

お知らせ : 【プレスリリース】OSS COBOL支援プロジェクト立ち上げ

とかやられると、もにょもにょする。「仁義」とかいらないし、求められる立場ででもないし、いろんな意味で「今さら」でしかないから、そーゆーのはどうでもいいんだけど、「声」くらいはかけて欲しかったなと。「権利を持たない」ってことと「縁がない」ってとは別のことだからね。いくら「売ってしまった商品」だと言っても、それなりに思い入れがあるものだから、粗末にされると残念な気持ちになるよね。もう売ったこと自体忘れていたってね。そういった感情と同じだと言ったら、ちょっとはわかるかな? まぁ、どこかの人達みたいに、著作が裁断されて心痛める程、豆腐メンタルじゃないけどさ。

ってこともあるけど、「WG」の面子に某社とか、某プロジェクトの関係者とか全くいない風味なのが、実は一番もにょもにょする。まぁコンソーシアムの「会員」じゃないからとか、お願いしたけど辞退されたとか、そんな事情もあるのかも知れないけど。さらに、

なんであんたらがおるの?

みたいな会社が並んでるのが不思議。そういったのを見ると、どうもこの組織の人達って、FLOSSに対して

作るよりも消費するもの

と思ってるんじゃないかと。だから、オリジネータとゆーかそのあたりにいた人達を軽視してるんだろうなと、納得してしまう。昨今のウェブサービス系の世界では、FLOSSに直接コミットするのがトレンドだと言うのに。

何をオープンソースにするべきか(1)

「井戸の水を飲む人は井戸を掘った人への感謝は忘れない」とか言うものけど、こと日本のFLOSS界隈の人達は、

ちょっとでも離れると過去の人にして忘れてしまう

ものなんだよなぁ。

まぁ、やるイベントが「勉強会」みたいなノリであるなら、どうでもいいし、大いに勝手にやればいいことだけどね。今回のはどうもそうではないようだ。

*1

何かと言うと権利を欲しがる人がいるけど、権利ってのはたいてい「責任」がついて回るので、無闇に権利など欲しがるもんじゃない。自分が主体的に行使する予定のある権利なら、持っておく価値があるのだけど、そうでない権利は「責任」とゆー面倒臭いものだけついて来て邪魔なだけだ。

PS.

誤解されぬように言っておけば、話を「通してくれ」と言いたいわけじゃない。そんなことされる立場じゃないし、されても何も出来んし。現実にされたとしても、「いや、それ私に言われても」とか言うしかないんので、あまりポジティブな反応も出来ない。でも「声」はかけて欲しかった。それなら、「勝手にすれば」から「何かあったら言って下さい」まで、いろんな反応が出来た。何もしなくても、ここで告知するとかくらいしたかも知れない。

今回は情報を知った時に(手違いとは言え)、参加が締め切られていたんで、コミットとかする余地すらなかったとゆーのが、まことに遺憾であった。まぁ、今さら何か言われても「知らん」って言うしかないけどね。

PS2.

ある筋からのタレコミによると、日立ソリューションズの担当者はこのエントリのことをご存知らしい。だったら何かアクションあってもいいと思うけど。完全スルーなんだな。まぁ、謝られるスジアイはないので謝られても困るし、勝手に怒ってるだけなんで、どうにかなるものでもないけど。

たださ。FLOSSつーかソフトウェア全般に言えることなのだけど、こういった「怒り」を持つことってのは、10年に一度出来ればラッキーな類の「怒り」なんだよ。たいていは、怒ることすら及びもつかないのが普通だ。消費者視点では「FLOSSはバザールモデルで選択肢豊富」ってのは真理だし良いことだし、生産者もそれで助かっている部分はあるんだけど、生産する側からすれば、

それなりに手間と時間をかけた一品

なのだよ。それはどんな「クソみたいなソフト」でも同じだ。

素人が手間かけて作ったラーメンより、インスタントラーメンの方が、たいてい旨い。食う方からしてみれば、インスタントラーメン食う方がマシなことはよくある(だから私はラーメンは作らない)。消費者視点で言えば、「インスタントラーメン」を選択するのは当然のこと。でも「手間かけて作ったラーメン」ってのは、作った人の思いがある。消費者にとってはそんなもんはどーでもいーし価値とは関係ないものだけど、「粗末」にされたら生産者は気分が悪い。そのことを謝られたところで、「至らぬ自分が悪い」ということがより明かになってしまって、ますます凹むだけ。