多分twitterあたりから回って来た記事。
これ自体は「あー、そうなのねー、大変だねー」って話でしかないのだけど、最後にある
新興企業がまるで金融商品の一種のように見えることがある。
ってのにちょっとひっかかった。それは昔からそうだし、これからもそうだろうと思うから。
なんだかんだ言っても、世の中お金です。
1に資金繰り、2も3も資金繰り
毎日そのことばかり考えるのが経営者
「いや、金なんかでは」とか言う人も少なくないけど、それは君がお金に苦労したことがないからだ。どんな綺麗事も、金の前には無力だ。金より強いものがあるとしたら、、それは自分の内側にしかない。ただ、それを外に出すにはやっぱり金がいる。
経営者はそれを前提に動く。「ベンチャーは志だ」とか綺麗事を言ったって、金がなければ何も出来ない。小さければ小さいなりに、大きければ大きいなりに、金には苦労するものだ。そして、ある程度より大きな金になると、自分の力ではどうしようもなくなる。そこで他人様のふところを頼る。
「他人様のふところ」となると、これは元々は自分の金じゃない。いくらベンチャーへの「投資」は「資産を投げ出す」と書くもんだと言っても、出す側としては損のないように、得の多いようにするのが当然だ。出してもらう方も出す方も、それは暗黙の了解事項でなければならない。金出す方はそれを考えないといけない。市場金利よりも安いリターンとかしか約束出来ないのであれば、出資してもらうことは諦めるしかない。
この事実は「世の中が金」である限り、動かすことは出来ない。だから、
新興企業がまるで金融商品の一種のように見えることがある。
と言うのは全くその通りで、逆に言えばベンチャー経営者たるもの、
優良な金融商品
になることを意識しなきゃいけないし、そういった絵が描けない限りは「他人の金」を頼ってはいけない。「自己実現」だの「社会的使命感」だのというのは、「自分の金」とか「志を同じくする人の金」でやらなきゃいけないものなのだ。
といった腹の括り方をしないと、会社なんてやれないよ。だから、「新興企業がまるで金融商品の一種のように見えることがある」なんてことを言う人は、この世界にはお呼びじゃないんだ。
まぁだからと言って、件の記事に書かれているようなことが肯定されるわけではないのだけどね。約束は約束。
PS.
BLOGOSに転載されたエントリに海部さんがつっこみエントリ書いてた。
個人の心情としては、全くそーなんだけど、じゃあなんで「半分」しか正しくないことを書いたかと言えば、まさしく海部さんが書いてるように、
日本ではこういうことを「きれいごと」と呼び、「カネがすべてじゃぁ」という体育会系金儲け根性論のほうがウケがいいような傾向がある。
から。理想はもちろん大事だし、「カネがすべてじゃあ」ってのはいかがなものかと思うのだけど、だからと言って「金は不浄なもの」とゆー日本人の価値観は結局は何も生み出さないからね。「日本」でいる範囲であれば、「金融商品」くらいに思ってる方がいいのだ。