南方司君をdisった話の続き。
10年以上前から現在までに思っていたことを書いてみる。これはdisりではない。
私は10年以上前から、「ネットワーク利用技術研究会」なるものを作って、いわゆる「タダのレンタルサーバ」をやっている。それを始めた頃に書いたものが、「独白」なのだが、ここの「NURSの起源」になぜこういったことをやっているか書いている。そこに、なぜ「利用技術研究会」という名前にしたかを書いている。
また時代は従来のタイプの「物を作る技術」だけではなく、「物を利用する技術」ということに目が向くようになっていた。だから「でっち上げの団体」であるNURSは「ネットワーク利用技術研究会」なのである。物作り偏重の技術の時代は遠からず終わるであろうからだ。
これを書いたのは、20世紀も終わる頃なのだが、命名は1996年頃だ。つまり、その当時既に「作る技術」だけが技術ではなくなっていることを感じていた。当時既にインターネットはいわゆるネットワーク屋だけのものではなくなりつつあった。学術ネットワークが中心だった時代から、エロを始めとするエンターテイメントに使われるようになりつつあり、「web掲示板」なんてものが流行ろうとした頃だった。つまり、それまで「どう作るか」が中心だった世界が、そういった技術がコモディティ化した結果、「どう使うか」に中心が移りそうな予感がしていた頃だった(南方司君を知ったのもこの頃だ)。
当時もサーバはLinuxだったのだが、その程度にはLinuxは実用になっていた。その数年前まで「いかにしてUNIXモドキを作るか」が重要だったのだが、その頃は既に「いかにしてLinuxを使うか」が重要になりつつあった。つまり、
「作ること」から「使うこと」へ
いろんなものの重心が移りつつあった。もちろん「作ること」の重要さが低下したわけじゃないが、それにも増して「使うこと」ことが重要になり始めた。そんな時代だった。ちょうどRed Hatも金になり始めた頃でもあったので、「free softwareを作るだけでは金にならない」「でも何か工夫をすると金になる」ということがわかり始めた頃でもあり、
技術(者)は1円の金も生まない
ということを身にしみて理解させられた頃でもある。それよりも何年も前に友達と会社をやってみたことがあったのだが(黒歴史)、その頃も「いくら良いものを作っても売れなきゃ意味がない」ということを知った。まぁ何にせよ、
技術は何らかの形で金に転換しないと金にならない
ということを知ったのである。
資本主義社会では「金になる」ことが「価値」であるし、またそれが「社会貢献」なわけなので、ものを作るだけでは何もしてないのと同じなのだ。つまり、凄く技術のある天才だのhackerだのがいても、それだけでは何の意味もないということを知ったのである。
別の見方をすると、hackerだの天才だのってのは、彼/彼女だけでは幸せにはなれないということでもある。もちろん彼/彼女自身が商売をするという手もあるのだが、そうなると余計なことばかりしなきゃいけなくなって、「楽しくhack」ばかりが出来なくなってしまう。とは言え、普通にサラリーマンをやっていても、そのhackに似合った報酬は得られない。
そこで、当時〜現在思っていることは何かと言えば、そういった技術系の、いわゆる「理系hacker」に対応して、
文系hacker
なる人種がいれば良いのではないかということだ。「理系hacker」が物を作ることをhackする人種だとするなら、「文系hacker」はそれを金に転換する人種だ。よく「あるふぁな人達」は「ギークを理解するスーツ」とか言うけれど、それではまだ足りない。「スーツの革をかぶったギーク」あるいは「スーツとしてのギーク」だ。
私は「技術が金になる」ということについて、「技術を生む」側と「技術を金にする」側に、立場としての優劣はないと信じている。確かに今や技術は遍在しているが、遍在しているものはそのままでは金にならない。一時的には金になるかも知れないが、限りなくタダに収束して行く。前に「技術なんて買って来ればいい」という話を書いているのだけど、買って来て売るだけだったら、最終的には過当競争になってしまう。
だから「商品価値のある技術」というのは、そういった遍在している技術ではなくて、「生み出されつつある技術」の方だと思うし、そうでなければ金にはしにくい。だから、結局「技術を金にする」ためには、「技術を生み出す」ことをしなければならないのだ。どっちが欠けても金にはならないのだから、立場としての優劣はないと考えるわけだ。
であるなら、「技術を作るhacker」というものがある一方で、「技術を金にするhacker」というものがあってもおかしくないし、その方がバランスが取れるのではないか。私が時々、
社会そのものをhackしろ!
と書くのだけど、hackの対象はそこらじゅうにある。そういったいろんな種類のhackをして行くことで、(いわゆる)hackerが幸せになって行くのではないだろうか?
だから、「文系」だった南方司君にはその辺を期待してたわけ。
PS.
前の記事が彼にTBされているわけだが… ストレートに一言だけ言い返しておくと、
正攻法ばかりのものをhackとは呼ばん
のだよ。