オーディオにオカルトが多いのは確かなんだが…

痛いニュースより。

電源コード替えたら音が格好良くなった

まぁ確かに「ハイエンドオーディオ」の世界にはオカルトが多い。とは言え、それを批判するのだったら、それに足るだけの理屈なり見識なりが必要じゃないか? このスレの批判コメントを見ていると、「それはまた別のオカルト」の類が多い。

まぁ2ちゃんの「批判」の何割かは、「正義に迎合して一緒になって叩きたいだけ」なので、そういった類はまぁしょうがないかなと思うのだけど、いわゆるマジレスの類がどうにも批判の体を成していないのが、あまりにも酷い。ブラインドテスト云々と言いながら、どう見ても実際に聞いてないとか。

特におかしいのが、「理論的に」とかの類の奴。「影響があるかどうか○○学の本でも読んで来い」とか。これって、

理論は完全である

という「別のオカルト」そのものだ。なぜなら、「理論」というのはあくまでもモデル化に過ぎず、モデル化するということは「モデルの外」は無視しているのだから。

理論はその理論に閉じた世界では正しい。ところが、現実はその「理論」に盛り込めなかった諸々が同居している。

たとえば、「電池」は回路計算の時には、「直流電圧源と直列抵抗」でモデル化されるわけだが、電気化学的にはそれだけでは済まない。電極が均質なわけでもなければ電解質が均質なわけでもないないから、起電力は一定ではない(つまり直流電圧源ではない)。化学反応が元で起電しているのだから、負荷の変化にすぐ追従するわけでもない(つまり単純な抵抗ではない)。電池は使ってると発熱するけれど、電池の起電力は温度の関数だったりする。回路計算の時には「直流電圧源と直列抵抗」だったものが、もっと厳密なモデルになるとそんな単純なものでは済まなくなる。「直流電圧源と直列抵抗」というモデルからは、「電池の品質」は音に影響を与えようはずがないのだが、もっと厳密なモデルを持って来ればいくらでも影響を与えることがわかる。

じゃあそれが聴感にどれだけ影響を与えるかは、これはこれで別の問題だ。与える影響が知覚限界以下であれば「無関係」だし、そうでなければ「影響あり」になるわけだ。実際に調べてみて、影響がなければ「直流電圧源と直列抵抗」というモデルで問題ないということになるし、影響があればそのモデルではダメだということになる。「そのモデルではダメ」という結論が出てしまえば、そのモデルを前提としている「理論」は総崩れになる。

でも別にそれは「個々の理論が間違い」というわけではなく、「現実を記述するのに十分な理論の取り込みがされてなかった」というだけ。つまり、モデル化が甘かっただけのこと。とは言え、いわゆる「理論的に」という言葉をふり回す奴は、モデル化が甘い奴が多い。モデル化が甘いから理論を通して現実を見ることが出来ない。

つまり、単純なオカルトにやられる奴も、単純にオカルトを批判する奴も、結局

事実に対する謙虚さ

が不足している点で同じだ。コメントの中に「理系な奴ほど」という言葉が何度か出て来るのだが、それがいい傍証だ。事実を見ないで理屈ばかりを振り回していた「理系」が、今度は事実を見ないでオカルトに振り回されてしまう。「事実は事実の中にしかない」という、あたり前のことを忘れている。

「理論」というのは基礎として持っておくのは大切なんだけど、それはあくまでも「モデル化された範囲でのみ正しい」ということは、忘れがちだけど忘れてはならない。まぁたいていの「事実」は主観のフィルタを通しているので、理論的考察なしで「事実」ばかりを信用してしまってもいかんけど。

PS.

あと、生の方が高音質だと思い込んでいるのがちょっとおかしい。試してみるとわかるけど、本当の「生」ってのはマスキング効果が効きまくっていて、あまり高音質じゃない。「生を聞け」とか言ってる人は、実は本当の生を聞いたことないか、「生の方が音がいい」と信じ込んでいるか。もちろんオーディオ云々するには、「生の音」を知るのは必要なんだけど、「生の音がいい」というのはちょっと違う。「生の米」と「炊いた米」の違いだと言えば極端過ぎるか。まぁ何を持ってして「いい音」というかは、人それぞれなんだけど。

オーディオにオカルトが多いのは確かなんだが…” への5件のコメント

  1. ここ2年ほどポータブルオーディオにハマっていろいろネットで調べているときにこちらにきました。

    掲示板などでオーディオの議論もそうですし、それ以外の議論でも、いわゆる「理系」出身らしい方からの学校で教わった理論を元にしたご批判を読みながら、いつも引っかかることがありながらもなかなか言語化できませんでしたが、こちらの「モデル化」の例でなるほどと思うことが出来ましたので、お礼ともどもコメントしたいと思います。

    ドラえもんに、「もしもボックス」で科学の代わりに魔法が発達した世界の話がありました。
    そこで、「科学的な」という単語を使ったのび太にしずかちゃんが「のび太さんは『科学』なんて信じてるの!?」とあきれた顔で話していたのを、「理系」的なものを必要以上に振り回す意見を読むたびに思い出します。

    パラダイムなんて話ももちろん大事ですが、おっしゃるとおり、「事実に対する謙虚さ」が基本なんだろうなぁ、と反省かたがた思う次第です。

  2. 「モデルの正当性」を検証せずにモデルの精度を云々するとか、「科学的」な人達にはありがちの間違いですからね。たまに「その事実は間違っている」とか言う人までいます。

    「事実は事実なんだよ。そのツジツマの合うモデルを考えるのが仕事だろ?」と思うんですがね。

  3. 「生の音を聴け」というのは生の音がいいのでは
    なく生の音を体に染み込ませる必要があるからで
    すよ。視聴するという行為だけで言うならオーデ
    ィオの方が良い音を出している可能性が高いです。大抵の場合一番ベストな視聴位置にマイクを設置
    してますのでオーディオからは一番いい場所の音
    が聴こえているはずですので(自分が録音した
    ソースは実際そうなってます)。

    オーディオマニアは現場の音を知らなさすぎです。
    ある程度の編成の音を個別に把握できるように
    ならないとシステムの音が評価できませんので。

    楽器の音色すら理解できていないのに、闇雲に自分
    の好きな音だけを追いかけるから、基準となる音が
    曖昧でお布施を繰り返すんでしょうけどね。

    もっとも、メーカーの人間ですら現場に足を運ん
    で音を聴いてるかというと疑問ですが。耳を覆い
    たくなる音を吐き出す酷いスピーカーが世の中に
    は沢山転がってますので。どんな調整してんだか
    と本当に思います。

  4. きっと難しいんですよ。「生」ったって、楽器やホールの質の問題はあるし、安物の楽器でも綺麗に聞こえるのが良いのか、楽器の質がわかるのが良いのか。カラオケだと「安物のマイクは下手でもマシに聞こえる」傾向にあったり。

    そういった「基準」も明確化しないで「○○はいい」とか言っても、いろいろ虚しいわけです。

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