で、群衆の叡智サミット2007の話の続き。
この中で、
「オープンソースソフトウェア」は群衆の叡智か?
というセションがあった(ちょうど小飼さんと会話した後)。さっきの会話を引きずりつつ見ていると、SRAの石井さんの話とMozilla Japanの瀧田さんが順に話をする。石井さんの話によると、
OSC2007のアンケートによると、OracleとPostgreSQLのシェアはほぼ同数
だったらしい。まぁこれは当然ながらサンプルは偏りまくっているのではあるが、まぁそんな数字もあるということは知っておいて悪くない。また、Oracleのライセンス収入が1000億くらいだという話なので、PostgreSQLもそれくらいの市場価値はあるんだとゆー無茶な話になる。まぁこれは本人も無茶な話と思いつつ冗談な文脈で話しているわけだから、目くじら立てるのではなく「そんなモノサシもあるんだなぁ」と思うと良いと思う。その後、瀧田さんのFireFoxのコピー数とかの話となる。
FireFoxを金にしている人は少なくない。FireFoxそのものを金にするのではなく、FireFoxをbackendとして使うアプリケーションを金にしているところが結構あるらしい。それにも増して「webのインフラの一種」として考えれば、もっと金になっている。無茶な言い方をすれば、
webサービスの売上 × FireFoxのシェア
くらいの金になっていると言えなくもない。
ところが、こういったwebサービスの会社がMozillaに金を払っているかと言えば当然ながらそうではない。インフラとして「そこにある」から使っているわけだ。
世の中にいわゆる「インフラただ乗り論」というものがある。これのおかしさは、「インフラだた乗り論の不思議 」を見てもらうと良いのだが、ここで問題にされているのは「回線(ネットワーク)」である。ところがよく考えると、「インフラ」というのは回線だけじゃない。FireFoxしかり、IPスタックしかりだ。
まぁそんなことを考えると、「インフラただ乗り」というものが仮に存在するならば、「俺はただ乗りされてるー」と言う権利は、何も回線屋の独占的なものじゃない。「インフラ」に属するもので、特に金もらってない人達は等しく言う権利があるはずだ。
もちろん私は「インフラただ乗り論」というのはナンセンスであると思う。しかし、
井戸の水を飲む人は井戸を掘った人への恩は忘れない
ものでもある。また、井戸を掘った功績は語り継がれるべきものでもあるし、「掘ったお礼」が来てもおかしいものでもない。それを思えば、「儲けた」人達が進んで「井戸を掘った人々」への感謝を表しても良いのではないか? そうすれば「あるふぁな人達」の不幸も減るのではないだろうか? また、「井戸を掘ったお礼」は、金にモチベーションがない人であっても、「正当な評価としての対価」なのだから、悪い気はしないだろう。
これはいわゆる「寄付」というのとは、ちょっと違う話として見てもらうと幸いだ。