私は10年ちょい前、地方民放を退職しました。古い日記にその辺のことが書いてあります。
年齢も程々だし、退職直前の部署はテレビ現場に比較的近い子会社にいて、そのまま何年かいれば本社勤務になるんじゃないかな… なところで、前の会社の誘いがあったのと、「自分的ハードル」を超えることが出来たので、「脱落して辞めることにならない」と自分的に納得をして辞めました。
それはまぁ前向きの理由なのだけど、それを後押しした「後向きの理由」もあったわけ。それは何かと言えば、
10年後地デジ開局
でした。地デジ対応の局設備を整備する費用と、自分の勤めている会社の利益、CM販売の伸びを考えると、
この先10年はボーナスなし??
と思ったのでした。現実にそうなったかどうかは知らないけれど、当時の経営環境(バブル崩壊後)を考えると、そうなってもおかしくない状況でした。さらには、「新しいメディア」がいろいろ出て来て、メディアの多様化が進み、広告業界におけるテレビの独占的地位というものも、危うくなって来るだろう。「地デジのための我慢の10年」を過ぎてその先に何があるかと考えた時に、とても、「明るい未来」を想像することが出来なくなったということもあります。
いろんなことを考えると、「このままいろんなことを我慢して勤め続けても、たかが知れている」と結論せざるをえなかったわけです。要するに、私は「テレビ業界」を見限ったわけです。
この記事を見ていると、その頃から10年たった今、どうやらかなり多くの人達がテレビを見限って行くように見えます。
現在地デジを視聴していない人の中には「この機会にテレビを見るのをやめる」とする回答が2.48%存在した。少数ではあるが、テレビに見限られるのではなく、見限る人もいるのだ。
今は2.48%なんだろうけど、これはきっともっと増える。私なんぞもう10年以上テレビはロクに見てないし、最近買った携帯にワンセグがついているのだけど、それを見ることもまずない。映像技術や画像処理やテレビ技術に興味がなくなったわけではないけど、「テレビ放送」というものはもう私の生活と無縁になってしまった。
先日、車のメンテの間にチラと面白い番組を見て、「たまにはテレビもいいかな」とか思ったのだけど、「どうせこの手のものはYouTubeあたりにあるだろうし」とか思ったら、結局どーでもいいものになってしまった。もう放送を見る意味はないのです。
ということを思って件の記事を見て、その奥付を見て笑ってしまった。
もり・ひろし
新語ウォッチャー。1968年、鳥取県出身。電気通信大学を卒業後、CSK総合研究所で商品企画などを担当。
1968年生まれで鳥取県出身? と言うことは、彼は多分私が作っていた(というと大袈裟だけど)番組を見ていたわけだし、そういった「地方民放」という環境を見て育って来たわけだ。
となると、件の記事はますます味わい深いものになります。
彼には「難視聴」ということは身近なことだっただろうし、地方民放はいろんな意味でテレビ業界から置き去りにされてしまっている。その「思い出」を持ちながら広告業に従事していたわけです。
最後の節の「テレビを見限る人も現れ始めた」というのは、よりリアリティを持って来ます。都市にいて「民放いっぱい」の環境からテレビを捉えている人達とは違う視点での意見なわけですし、そういった「地方視点」があると思われるわけです。まぁ逆にそういった地方寄りの視点なのかも知れませんが、東京で広告の仕事をしていたのだから、おそらくは「日本は東京だけで出来ているわけではない」という視点なんだろうと思います。
こういった見方もあるわけなので、私が10年前に見限ったように、4年後に見限る人は大勢いるように思えてしょうがありません。