放送法第1条

放送局の仕事は辞めたので、遠慮なく放送局やマスコミのことが書けるようになりました。

表題の放送法第1条には、

放送の不偏不党

がうたってある。つまり、放送局の一番重要なものが、不偏不党であるということである。つまり、放送局は誰かの意向に添って運用すること許されていないということなのである。

しかし、放送が中立的であるなどと信じているような奴はいないであろう。フジが右傾であることや、朝日が左傾であることは、大人なら誰でも知っていることである。

ところが、そうであっても不偏不党とゆータテマエはあるわけで、少なくともフリだけは不偏不党なのである。子供にとっては、フジも朝日も公正中立なのである。

しかし、これははっきり言って、マズイことである。偏向した報道を中立だと言うのは、フェアではない。とは言え、何も無理に不偏不党公正中立になる必要もないのではないかと思う。むしろ、多少偏向してくれてる方が、視点がはっきりして良いのではないかと思う。重要なのは、偏向しないことではなく、

偏向していることの明示

であると思うのである。どうせ現実では偏向しているのであるから、放送法第1条なんてものは捨ててしまって、放送は偏向が基本で良いのではないかと思う。そして、偏向していることを明示してしまえば良いのだ。

実は新聞にはこのような規定はないようである。だから、政党機関誌みたいなものは、当然のことながら偏向し放題である。しかし、それが悪いと言う人はいないし、それで困ったという話もない。同じマスメディアでありながら、偏向が明示されていれば全然困らないのである。それどころか、自民党支持者が赤旗を読んで別の視点から見えるのは良いなどと言っているのである。ま、出版は放送と違って、許認可制度はないので、いくらでも作ることが出来るという違いはあるのであるが、だからと言って本当は偏向している放送を、タテマエだけで不偏不党だなとどごまかされていては、子供のためにはならないはずである。