自民党はあれで命拾いしたんだよ

私は政治には興味がない。だから、これは「組織論」であって「政治論」ではない。「政治力学」というものは一切考慮していないから、未来予測としては間違いかも知れない。その点は留意して読んで欲しい。

「組織」とは何かと考えたら、それは「目的を同じくする人達の集まり」である。そう定義してしまえば、組織のあるべき姿が考えやすい。

小組織には、「30人の壁」というものがある。1人から構成員を増やして行くと、30人くらいで伸び悩む傾向にある。これは何の組織でもそうで、会社もそうだし、「教会」でもそうだった。サークルの類でもそうだ。だいたいその辺で伸び悩み、多くはそこで衰退への道を辿る。成長しない組織は停滞ではなく衰退するものだからだ。

かつて私は、これは「組織構成」に問題があると思っていた。つまり、「1人で把握することのできる限界の人数」が30人であり、それを超えるためには、いわゆる「分割統治法」を使うべきであると考えていたのだ。だから、これを打破するためには、「組織内組織」を作り、「アメーバ経営」みたいな方法を取れば解決されると思っていた。

これは一見正しい。だから、もう長いことそう思っていたし、理論的にもすっきりする。また、実際に「分割統治的経営」に関する解説や実装もいくつかあった。

しかし、最近になってこれはどうやら違うらしいということに気がついた。

もちろん方向性の決まっている組織を効率良く動かすには、分割統治法は正しい。これに間違いはない。しかし、よく考えてみるとそれはあくまでも、「組織を効率良く動かす方法」であって、「組織を作る方法」ではないのだ。「30人を超えた組織を動かす」ためには分割統治法で良いのだが、「30人を超えた組織を作る」ためにはそれだけではダメだということ。「動かせなければ作る意味がない」と思ってしまうし、これらは不可分だからそう思ってしまうのだが、これらは不可分ではあるけれど別のことなのだ。

そこで私が最近気がついたのは、

方向性や考え方の違う運営者(役員)の存在が重要

ではないかということである。

これも、「組織とは目的を同じくする人達の集まり」ということと、一見矛盾してるように見えるので勘違いしやすいのだが、違うのはあくまでも「方向性や考え方」であって、「目的」ではない。だから、「目的は同じなんだけど、方向性や考え方が違う」という人の存在が欠かせないんじゃないかということである。

「30人」というのは、組織が「個人の延長」超えて「組織」としての意思を持ち始める人数だ。だから30人までは「方向性や考え方」が同じである方がむしろ望ましい。その方が「個人の延長としての組織」としては強固である。

しかし、30人を超えると「組織」は組織としての生命を持つに至る。「個人の延長」として制御されることを離れ、1つの生命体のようにふるまう。そのことを理解しておかないと、30人を超える組織は作れない。

「個人の手を離れようとしている組織」は、「個人に起因するリスク」を軽減しようとする。つまり、その組織を作り始めた人の寿命が尽きてしまっても、その組織の寿命が尽きることがないようにする(しなければならない)。それは、「個人の生物的生命」ということだけではなく、組織を維持させるための「政治生命」も同じだ。

「単一の方向性や考え方」の支配された組織では、「単一の方向性や考え方」に間違いがあった場合、そこで組織の寿命が来てしまう。そうなると、「組織」は自律的に「個人の手を離れなくてもいい」と判断し、リスクの最小化を図るために「30人の壁」を厚くしてしまう。そうすれば、組織崩壊の被害者は30人で済む。

単一の方向性や考え方に支配されず、複数の方向性や考え方がある場合、どれかに間違いがあっても、全体の寿命が来ることがない。ある方向に間違いがあれば別の方向に行けば済むだけだ。だから、組織は安心して大きくなれる。リスクがうまく管理されているからである。

このことは逆から見れば、組織は

単一の方向性や考え方になった場合、
安全な規模まで縮小する

と見ることもできる。

ちょっと前の自民党は、「抵抗勢力」と称して「反対者」を退けて来た。また、安倍内閣は「お友達内閣」と耶愉されるくらい、賛成者ばかりを集めて来た。その結果「単一の方向性や考え方」の支配されたものになってしまった。

その結果、「安全な規模まで縮小」する方向に動いてしまい、どんどん勢力を小さくしてしまった。あのまま行けば「30人」くらいまで縮小したんじゃないかと思う。実際、入閣者ってのはそんなものなわけだが、あまり劇的な入れ替えも起きてないわけで。

一方民主党は「小沢はなぜ前原や岡田を排除しないのだ?」「社会党の残党なんて死ねばいいのに」と疑問を持たれるくらい、方向性や考え方を違う人を生かして来た。傍目には「とっととパージしてしまえばいいのに」とさえ思った。

ところがそれは、民主党を支持する(したい)人達にとっては、「小沢がダメなら前原岡田があるさ」という「安心感」を与えていた。支持者本人はそれを意識してないかも知れないが、なんとなくそんな行動をしていた。だからこそ「民主党」という組織が支持されたのだと言えなくもない。

そう考えると、「麻生」という「反主流派」が存在しているということは、自民党を「30人以下」の組織にしてしまう危険を回避していると言える。おそらく、今の自民党の党員支持者達は「福田がダメなら麻生があるさ」と思っているに違いない。それなら安心して「自民党」という組織を支持し続けることが出来る。

そう思えば、今の状態は自民党にとっては好ましいことであるし、それで命拾いをしたのではないかと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です