ボクがものを作るわけ(2)

この前のエントリで、「欲しい仕様のものがないから作るまで」という話を書いたのだが、じゃあなんでそう思うようになったかという話。

私の生まれは、とんでもない田舎だ。近くには何もない。かつては隣りの家は100mくらい離れていたし、それより遠くになると… って話は前に書いたような気がする。最近は隣りの土地が売れたらしく家が建ってはいるが、それでも田舎だ。

うちの田舎うちの田舎

こんな田舎だから、物がない。生活必需品も、趣味のものも、食べもの屋も、まるっきりない。こういった田舎に中学出るまで住んでいたから、「ちょっと変わったものは全くない」ということに慣れていた。

慣れていたと言えど、ないものはない。「トランジスターが欲しいなぁ」とお金を貯めても、売っている店がない。今なら「通販があるじゃん」って言えるけど、当時の通販なんて送金にも結構かかるし、送られて来るまでにもかかるし… ということで、なかなか使い難い。しょうがないからゴミ溜めから拾って来たテレビやラジオをバラしてパーツを手に入れて…なんてやっていた。トランジスタはなかなかないので、真空管で… なんてことをやってたので、郷里には私と親父の集めた古い真空管が山盛りある。…って話は別の話だが、とにかく「多少の金があっても欲しいものは手に入らない」のが当然だった。

そんな田舎を出て、松江に住むようになるのだが、ここもやはり田舎は田舎。そりゃ大田よりは何倍もマシだけど、やっぱりない。たまに「出物」があると必死で買う。私が本を買うクセがついたのはこの頃で、「この田舎でこの本を見つけて買わなかったら、もう二度と見れない」と思って買っていた。そのクセはいまだに抜けない。

当時、松江で一番おいしいカレーは、私が自分で作るカレーだったと思う。いや、家庭でもっとおいしいカレーを作っていた人はいるかも知れないが、「私が食べられるところにあるカレー」つまり、松江のお店と私の作るカレーの中で比較すれば、私の作るカレーの方がおいしいだろう。店がないんだから、いくら金があっても食えない。これが東京なら、「もっとおいしいカレーがあるけど高いから」となるところだが、松江だと最初からないので金があったところで話にならない。カレーはさすがに通販もできない。だから作るしかない。そんなふうに、「物がない」「あっても手に入らない」という環境の中でずっと過して来た。だから、たいていのものは諦められるようになって来た。

特別な、なければないで済ませられるものであれば、諦めることも難しくない。だから、「諦める」というのも日常だ。つい最近まで、この部屋にはネットもパソコンもなかったわけだけど、それは「なければないで諦められる」ものだったから、諦めていたわけだ。

また、どうしても諦められないものは、「自分で何とかする」のがあたり前なのだ。だから、「自分で何とかする」という結論を下すことには、まるっきり抵抗がなく育って来たわけだ。諦めの悪い奴がものを作る。それだけのこと。

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