私の日記の著作権ポリシー

元々、「公開で書いたものだから、どこに持って行かれようと別に困らない」と思って、引用転載は自由ということにしていた。公開範囲が変わらないのだから、誰の目にも触れることに違いはないからだ。

ところがこれにはちょっと油断があった。転載されてしまうとフォローがしきれないということだ。暇な時なら断わってありさえすればフォローしに行けるのだが、忙しい時はそうも行かない。また、忙しい時やテンパってる時に限って、エントリは多めになるし、攻撃的な内容も増えるので、断わってあってもフォローしきれない。自分の日記が伸びてしまうのは自己責任だからしょうがないが、他人の日記のお世話までしきれない。

事の発端は大宮さんの「全文転載」なのだが、その転載先でいろいろ話していて、いろいろ考えることがあったので、ポリシー変更とゆーかある部分を明確化することに至った。

記名の著作物は、原則的には著作物としての責任を著作者が負うことになる。フリーソフトウェアの時は、著作者が明示的に「無責任宣言」を書いていることが多いので、その時は「ライセンス契約書で許諾された権利を行使した人」が代わりに責任を負う。つまり、原著作権者は「俺に言っても知らんがな」と言える。

文章の場合、この辺があいまいになりやすい。また、文章はそのまま見えるし、記名になっていれば、見てしまった人は原著作権者が責任を負うように見える。つまり、原著作権者は「自分の知らないところで責任が発生している」ように見える。

ソフトウェアの常識からすれば、「勝手に持って行ったものについて責任なんて知らん」が普通に通る。それでグダグダ文句を言う人は「電波認定」してもいい。もちろん明示的に放棄してなければ責任は残るので、「契約」という観点で言えばクダグダ言う人の方に理があるから明示しておくべきであるが、「常識」で言えばそうではない。だから、そのソフトウェアで発生した不都合の責任は、みんな「権利を行使した人」が被ることになるし、それが常識化している。

しかし、文章の常識はそうではないらしい。勝手に持って行かれて文脈無視で、あるいは恣意的な文脈で紹介されて厄介なことになった場合、結局は書いた人に火の粉が飛んで来る。blogの炎上もたいていは「そのblogの普段の読者内で済んでいれば何事もなかったのが、2ちゃんあたりに晒されてしまったから炎上した」というのが多いように見える。

転載する側にとっては「公開されている文章なんだから、どこに公開してもいいだろ」ということになるし、これはこれで正しい。しかし、文章は「文脈」の中で読まれるものであるから、意図しないあるいは恣意的な文脈の中で「引用」されれば、原著作者の意図しない方向になってしまってもおかしくない。

ということから、文章の場合は「引用転載を行った場合、原著作者は一切の責任を負わない」という「明記」が必要になるように考えるに至った。そうしなければ、「自分の知らないところで自分の責任が発生する」という事態が起きる。ソフトウェアは「権利行使した人が負う」ことが「常識化」しているが、文章ではそうでないのだから明記しておかなければならない。

そういったことで「無責任宣言」を入れておくことにした。転載するのは自由であるが、そこで何が起きても私は一切の責任は負わない。

文章の場合は顕名になっていると、原著作者が責任を負い続けているように見えるので、「転載」する場合は「転載した人の著作物」として書いて欲しい。これは世間では「盗用」として忌み嫌われることであるが、金もらわないで書いた文章の場合は、「自己の著作物として権利保持するメリット」よりも「無用な責任が発生するリスク」の方が大であるので、

私の文章を転載する場合は積極的に盗用してくれ

ということにする。まぁ売文として書いたものはこの限りではないが。

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