思えばバブルの恩恵ってなかったな

バブル時代はオカルト

私は1963年産まれなので、バブルピークの1990年頃は20代後半になろうというところだった。まーある意味バブルの主役だったはずだ。

当時勤めている会社はマスコミ(テレビ)だった。とは言え、子会社に出向になっていたので、いわゆる「広告業界」的なノリはなかった。株もやっていたが、手を出していたのが銀行株で、上がるのは一番後だったし上がり始めた頃に證券屋に騙されてワラントなんかで紙クズにしてしまったから、「平均株価 3万円時代」の実感もない。唯一バブルらしかったのは、当時あった野村證券の「給料天引き投信」なるものが、月の利息(月だよ月)15%なんてのがあったことくらいか。まー、それもバブル弾けた時には元本割れだったけど。

とは言え、どうやら世間はバブルらしいことは知っていた。バブリーな建物とか結構できた。それまでは実用一辺倒の建物が多く、「古くなったらまた建て直すんだな」としか思えない建物ばかりだったが、バブルの時代になって「アート」な建物が建つようになった。それまであらゆることが実用一辺倒だったのが、そうでないものに目が向くようになったという点を考えると、「バブルは日本人にアートを教えた」と見ることも出来なくもない。そういった意味で、私は「バブル時代」にいくらか好意的だ。いけないのは、行き過ぎただけ。

田舎に住んでいたから、バブルの狂乱っぷりはあまり知らない。たまの東京出張の時に夜タクシーに乗れなかったことくらい。まぁ銀座から勝鬨だから、歩いても帰れたんだが。

# 勝鬨には会社のマンションがあった

就職で言えば、私が高専の1年生の頃(1978年)はとんでもなく氷河期で、5年生の追いコンやってる時に「まだ決まらない」と言ってる先輩がいた。ただ、その頃から「メカトロニクス」なるものが流行るようになり、私が3年生の頃(1980年)には、理工系学生を中心に就職バブルが始まった。私の学校は就職率100%が普通だったが、3年生の頃には求人倍率は100倍を越えていた。

その頃はまだ不景気時代の記憶が新しいので、「すぐまた不景気になるかわからんぞ」ということで、5年生はとっとと就職をした。当時進学することは、かなりリスキーなことだと思われていた。とは言え、田舎ではメカトロもなければ好景気もないものだから、田舎にいたかった私は湿気たブラックソフトハウスに就職したものだった。まぁすぐに辞めてテレビ局に入ったわけだが。

ってなわけで、私のバブル時代は1983年までに終わってしまった。「バブル時代は楽しかった」とかいう回顧な話を聞いても、「へーそうですか」としか言いようがないというのが、ちょっと寂しい。

バブルの時代、給料は殊更に高かったわけではない。当時の平均初任給は「歳の数」万円くらいだった。今と大差はない。企業もバブルだということはわかっていたし、日本では給料を下げることは難しいから、給料は上げない。でもそうすると会社に利益が出過ぎてしまうから、「どうせ利益を税金にするんだったら、経費で使え。その方が次の売上になる」とばかりに、馬鹿な使い方をしたわけだ。当時は今ほど株主環元ということはしなかった。つか、そんなことしなくても株価が上がるんだから必要がない。利益上げて税金で取られるくらいなら、経費にしちゃった方がいい。だから給料は上がらないけど、使える金が増えたわけだ。まぁそんな経費が使えるのは、営業ばかりだったようだけど。

とか考えると、いまどきの勝ち組企業が「空前の利益」とかやってるよりも、「利益よりも経費」ってやっているバブル時代の方が、同じ金で恩恵を受ける人は多いわけだ。となりゃ、法人税率を上げるのは景気対策になると思うのだが。