「IT系論客」のお郷里が知れる

社保庁の例の事件は、面白いことをあぶり出してくれた。

それは、いろいろな「評論家」達が、どれくらいIT業界を理解しているかということだ。

社保庁の問題は、システムの問題だそうだ。そのシステムもシステムエンジニアが思うそれではなくて、「コンピュータシステム」の問題なのだとか。大昔にCOBOLで書かれたメインフレームのシステムであるから、ああいった問題が起きたんだそうだ。

「業界人」にしてみれば、「そんなアホなことがあるかいな」だろう。だいたい、何の言語で書かれていようが、ダメなものはダメだし、良いものは良い。同じようにプラットフォームがメインフレームであろうが何だろうが、これも関係がない。正しくシステム設計されて、正しく運用されていれば、間違いは起きるはずがないのだ。

コンピュータシステムがどうなっているかなんて知らなくても、「正しいものが作られ、正しく運用されている」ならば、問題なぞ起きるはずがないことは、ロジックとしてわかるはず。正しい結果が出てないのなら、それは運用が悪いのか、システムの設計が悪いのかであって、それ以上でもそれ以下でもない。また、「システムの設計」なんてのは要件定義があって行うものだから、正しい要件定義がされてなかったら、正しいシステムができるはずがない。

システムには当然各工程でテストがあるわけだから、そこのテストがパスしなければシステムは稼働しない。そして、その「テスト」は要件定義に基いて行われる。

だから、どこまで行っても「コンピュータシステムが悪い」なんてことは起こりようがない。コンピュータシステムが悪いとするなら、それは基本となる要件定義が悪かったということであり、それはコンピュータシステム自体の問題ではない。コンピュータがおかしな結果を出したならば、それは「正確に間違え」をしただけであり、その原因は要件定義の問題からの連鎖である。

なんてことは、コンピュータシステムそのものがわからなくても、論理的に考えればわかりそうなものだ。

それをまぁ一つの「言い訳」「落としどころ」として「コンピュータシステムが悪い」という「公式発表」をしてしまった。まぁこれは大きな事故にはよくあることなので、大人はそれを認めるもんだ。

問題なのは、そういった「公式発表」を鵜呑みにしてしまって、したり顔で「社保庁のコンピュータシステムは云々」と論じてしまう、「評論家」達だ。池田信夫のような半可通だと、「云々」の部分をさもわかったかのようなことを書いてしまう。

その「云々」を「さもわかったかのように解説する半可通」が問題なのではない。そこはそれでアレなのだが、どうせ読む人は素人なんだから、その辺は毒にも薬にもならない。それよりも、そういった「公式発表」を「鵜呑み」にしてしまうということが問題なのだ。なぜ「鵜呑み」にして「解説」してしまうかと言えば、「論理的な思考が欠如」している上に「半可通」であるから、「自分がわかった」部分に引きずられて、「鵜呑み」を肯定してしまうわけだ。

ちょっとわかって論理的に考えれば、「公式発表」がおかしいことくらいはすぐわかるだろうに、うまく説明が出来てしまったことで有頂天になってしまって、肝心のところを疑うということを忘れてしまっている。「論客」「評論家」「ジャーナリスト」としての、「お郷里」が知れてしまう。

社保庁の問題の解説で、「COBOL」だの「メインフレーム」だのという文字列を使って「公式発表」を肯定的に解説した奴等は、みな「論客」としては失格だということだ。

ついでに言えば、「COBOLで書かれているから修正できない」的な発言をした奴は、「医者を叩きながら医師不足の問題を書く」という大新聞を批判できない。理由は考えればわかること。

「COBOL」「メインフレーム」という釣りワードにまんまと釣れたと言えよう。