東京の歩道の致命的な残念さ

年末に引っ越しをした。

と言っても元の住居から300mくらい離れた場所への引っ越しなので、特別に大きな荷物以外は自分でちまちま運び、1ヶ月くらいかけて引っ越した。

その時に感じたのが冒頭のことで、さらに具体的なことを言えば、

東京の歩道は車輪に冷たい

ということである。

近所だし日数をかけてやっているので、夜間に「腐女子カート」を使って荷物を運ぶ。私が「腐女子カート」と呼んでいるのは、こーゆー奴。

ほら、腐女子の方々がこーゆーの引いてるでしょ。これでちまちま運ぶ。

それは良いのだが、新居の前は広めの道で歩道がある。ところが、歩道をこいつで歩くのは厳しい。なぜなら、東京の歩道は「おしゃれ舗装」がされていて、こういったもので歩くという視点で見ると、凸凹なのだ。

「おしゃれ舗装」の中身はいろいろで、単なる煉瓦状のタイルのこともあれば、その他の平面充填図形のこともある。そういったものが並べて舗装されている。

実はこのようなものへの不満は既に書いていて、

舗道用通水性タイル

秋葉の真中でバリアフリーを叫ぶ

主な不満は既にここに書いている。

残念なことに、最近整備される舗装は、ことごとくこれである。会社の前の道も前は単なるアスファルト舗装だったのに、最近整備されてこの「おしゃれ舗装」になってしまった。

ところが、時代は「車輪」を求めている。

まぁ「求めている」というのも変であるので、もうちょっと正確に言えば、「車輪のある歩行者」が増えているのである。

かつて、「車輪のある歩行者」は限られていた。車椅子と台車、「腐女子カート」であって、そんなに頻繁に見掛けることもなかった。数が少なければ

あまりないことなんだから我慢しろ

ということも、一定の説得力があった。

ところが近頃は、毎日大量の「車輪のある歩行者」を見掛ける。それは何かと言えば、

スーツケース

である。日本の政策やら中国の景気やら、そういったもののせいで海外からの観光客が大幅に増えた。うちの近所もにわかにホテルが林立してしまったし、ハナマサの客を見る限り民泊の人達も大勢いる。そこに来る人達はほぼ例外なく、デカいスーツケースとセットでいる。

昼間はあまり目立たないが、夜になると彼等がガラガラともゴーゴーともつかぬ音を立てながら、スーツケースを引いている。「ゴーゴー」という連続音は車道を歩く音、「ガラガラ」という短い音の集合は歩道を歩く音だ。歩道を歩く音は「ダダダダダ」と聞こえることもある。

まぁそんなわけで、かつては例外的な存在でしかなかった「車輪のある歩行者」は、今や毎日集団で見掛けるものになった。

そういったものが例の凸凹の歩道を歩いていると、車輪が破損することがある。スーツケースで移動することの多い人は経験があると思う。道のちょっとした凸凹がダメージとなって、車輪が壊れる。まぁ車輪が破損しなくても、凸凹があるとスーツケースはスムーズに移動してくれない。その結果、

東京の道(歩道)は旅行者に厳しい

ということになってしまう。「おもてなし」だの「オリンピック」だのと言って、インバンドを期待する政策との整合性を考えると、とても残念なことである。

多少無粋であっても、単なるアスファルト舗装の歩道の方が、ずっと良い。