SC 22/COBOL WG委員を辞任しました

正確には正委員ではなく「エキスパート」という身分だし、「辞任」と言っても座長に届け出ただけで、まだ承認された訳ではないのだけど。

「藁の一本」は、

「OpenCOBOL活用セミナー」

でハブにされたとゆーことなのだけど、それは「藁の一本」でしかない。

「藁の一本」と言えども根拠がなくブー垂れてるわけでもないのだけど。

元々、私が情報処理学会のCOBOLの委員会に招聘されたのは、当時の委員会の主査の今城先生からでした。ちょうどISO COBOLの2002が決まり、JIS化をするという時に人手が足りなかったと言うこと、私がCOBOL 40周年イベントの時に呼ばれて、FLOSS COBOLの可能性について話をしたということ、FLOSSのCOBOLについていろいろやっているということ等の背景があるということを氏がご存知だったということで、誘われてのことでした。FLOSSやっててCOBOLがわかって、いわゆるCOBOLerでない人ってのは、かなりレアな存在だということで、規格調査会賛助員とかと関係なく入ることになりました。まぁそういった経緯で委員になったので、「Open COBOLからハブにされたら、委員である根拠がない」わけです。またお誘い戴いた今城先生もお亡くなりになってしまったので、その辺の経緯を説明出来る人ももはやいないし。まぁシレっとそのまま続けていれば、そのまま続けられたと思うのだけど、やっぱりケジメは大事だし。

というのが「藁の一本」の話なんだけど、それは結局「藁の一本」でしかない。

個人的には、COBOLをバリバリ使うなんてことは、おそらく今後もないだろうし、そういったプロジェクトをやることも多分ない。また仮に使う側になったとしても、便利に使うのはCOBOL 85(92)の範囲を出ることはまずない。2002や次期規格(2002の改訂として今年出るはず)のような「凄い言語仕様」をバリバリ使うということは、「COBOLを使う」という場面と整合しづらい。ということで、新しい規格を作ることにあまりモチベーションがなかった。「オブジェクト指向を取り入れたんだから、そーゆーのは標準クラスライブラリを定義しようよ」的なものをどんどん言語仕様として入れようとする某海外ベンダーさんとか、頭おかしいんじゃねーのとかw

また、結構時間の取られる作業があったりして、マジメにやると相当時間が取られる。本業がそんなに上手く行ってないところにそういった時間を取られるのは、なかなかに厳しいものだった。かと言って国際規格を検討する委員でもあるので、「本業が忙しいので」とかサボるのも申し訳ないし、逆にそういった作業があるからと言って本業をサボるわけにも行かない。本当は標準クラスライブラリとか提案したらいいなとか思ってたのだけど(途中までやりかけた)、それをやるにはあまりに物事が大袈裟過ぎて、次期大改訂の時にとかゆー話になりかねないし、それいったいいつよとか、そこまで行くのにどんだけの「敵」を倒さなきゃいけないのよとか、そこまでやっても俺使わねーよとか、そーゆーこともあった。

また、外部から見ているとわからないと思うのだけど、こういった作業は

全て手弁当

なのだ。会議の日当どころか、足代すら出ない。だから、私みたいな身分だと、「一生懸命やればやる程自分の首を締める」ことになってしまう。それだけやって、何か「名誉」的なものがあるかと言えば、2ちゃんあたりで

「おごちゃんって誰?」
「COBOLer」

とか言われてしまう始末で、なーーーーーーーーんの得もない。それでも、「凄い人達」と一緒に仕事が出来るという機会だったので、頑張ってたのだけど。

そうそう。メーカからそういった場に出て来た人は凄い人達で、大学から出てる人もやっぱり凄い人達で、私みたいなチンピラがいると、申し訳ないくらいの人達ばかりで、最初の頃は小さくなっていたのではあるけれど、

JISらしくCOBOLらしく今風でもある訳語

の検討には、それなり貢献出来たかなーと思ったり、たいしたことしてないよなーと思ってもみたり。

そう言った「凄い人達」と一緒に働く権利を放棄してしまうのは、非常に残念なことではあるし、そういった人達に良くして戴いたことはとても感謝なのだけど、自分(自社)のモチベーションが切れている上に、背景もなくなっているし、規格調査会というシステムにも参っているので、中途半端に続けるよりは辞めた方がいいなと思って、辞任することにしました。良くして下さった皆様には本当に申し訳ないし、次期規格のことも気にならないわけではないのだけど。

8年半の間ありがとうございました。