「日本のためにならない「FREE」礼賛論を疑え!」を疑え

なんかこの人の書いたのは、前もダメ出ししたような気がするんだが。

日本のためにならない「FREE」礼賛論を疑え!

評論として一番ダメなのは、冒頭で「嫌い」を表明してるってことなんだけど、そういったのを抜きにしても、根本からおかしい。

何度も言ってるけど、「好き嫌い」と「良い悪い」は混同してはいけない。評論する動機は別に好き嫌いでも構わないのだけど、嫌いでも正しいと思わなきゃいけないものは肯定しなきゃいけないし、好きでも間違っていれば否定しなきゃいけない。それを「嫌いです」って表明して否定から入れば、どんなに否定する対象が論理的に正しくないとしても、「あなたの趣味の話でしょ」としか受け取られない。そういったことは「評論」のイロハの話なんだが。

ってのはいいとして、件の話で一番間違っている点は、「フリーランチはない」というところだ。

「フリーランチ」は実在する。簡単な話だ。誰かに昼飯おごってもらえば、「フリーランチ」だ。反例が存在したので証明終わり。

で終わらせてもいいんだけど、余分なものをつけ加えると。「FREE」的なものというのは、結局のところこの

金持ってる奴におごらせる

ってことだ。それがたまたま、「うぇぶ2.0」の話の時には、「広告収入」だって言ってた奴がいただけ。私はこの「うぇぶ2.0の原資は広告費」的な話はナンセンスだと思うけれど(後述)、「その時」ということで考えて、「金持ってる奴におごらせる」の実装の一つとして「広告収入」というのは、そう間違ってはいないと思う。「広告収入」は「FREE」の一つの「実装」なのだ。

だから、別に「広告ビジネス賛辞」がおかしいわけじゃない。ただ、それが全てじゃないだけだ。金持ってる奴におごらせる方法の一つとして、広告があったというだけ。

次にある「デジタルはコンテンツをタダにしていない」というのも、現状認識が間違っている。てーか、実は自分でもそのことに気がついているようで、こっそり「違法コピー/ダウンロードや無料モデルといった、デジタルやネットを使う人の行為がタダにしているに過ぎないのです」とかって、「無料モデル」と入れてる。

「デジタルがコンテンツをタダにする」ことに、不法コピーなんぞいらない。

FLOSSの存在がその反例

だ。件の本は「小飼弾」が帯を書いているというところが、こういった「古い経済しかわからない人への罠」だって表示なんだけど、知らない人は知らないんだろう。

デジタルと言うか、物理的なメディアが不要になったから、FLOSSが本当の意味でタダで提供出来るようになった。かつては「free software」であっても、タダでは提供が難しかった。でも、今は実質タダで提供出来る。もちろん今やFLOSSで飯食ってる奴はいっぱいいるわけで、別に彼等は霞を食ってるわけじゃない。「金持ってる奴におごらせる」ための工夫をしているだけだ。

今の社会、どう言い訳しても貧富の差を拡げるような社会システムになっているとしか言いようがない。効率化ということを追及すれば、「一握りの優秀な人々」以外は、金を得る機会が減りつつある。こういった風潮が良いかどうかは今は書かないけれど、事実としてそうなのだ。景気の悪さがそれを顕著にしているけれど、景気が良い悪いに関係なく、世の中がそうなりつつある。別に日本がどーとか、アメリカがとーとかってことでもない。

かと言って、「稼げない奴は死ね」と言えるかと言えば、「社会」がそーゆーわけには行かないだろう。営利法人であれば「働きの悪い奴はクビ」も通るだろうが、「社会」からクビってわけにも行かない。でも、稼ぐ機会が減ったら金がないわけで、そうなると金のない奴は「フリーランチ」を求めるのは、良い悪いじゃなくて「必然」なのだ。ところが、「古い常識」では「フリーランチはない」のもまた事実だ。でも、そのままじゃ困る。

では、どうするかと言えば、

金持ってる奴におごらせる

ということになるわけだ。そうすれば、稼げなくても食うことが出来る。そう考えると、

『FREE』に乗せられてフリーランチの対価を払う側にならないよう、注意すべきではないでしょうか。

ってのは余計な心配で、貧乏人は妙な見栄を張ったりしない限りは、払う側にはならない。また、むしろフリーランチの対価を払う側になる方が幸せなのだ。だって、金持ってるから払わされるんだから。まぁ、そうやって一生懸命警鐘を鳴らさなくても、どうせなんでもかんでもタダになったりはしないだろう。なればなったで良いけれど。

ついでに、なんで「うぇぶ2.0の原資は広告費」がなぜナンセンスかを書いておくと、たとえばアメリカの年間広告費の総計は、高々1000億ドル程度でしかない。この額は、富士通の売上やマイクロソフトの売上の倍程度でしかない(あくまでもざっとしたところ)。仮に全部取り出来たとしても、「うぇぶ2.0の明るい未来」的なものが期待出来る額じゃない。もっとも、Googleの売上は200億ドル程度らしいので、まだまだ伸びシロはあるけれど。

もちろん、「デジタル化によるコスト減」は効くにしても、売上のスケール感で言えば、まるっきり足りないのだ。広告費だけをアテにするのはナンセンスなのだ。

「日本のためにならない「FREE」礼賛論を疑え!」を疑え” への4件のコメント

  1. 何と言うか、元記事ですが「だったらどうしろっつーんじゃ?」と言う感じですな。

    「○○するな!」と言う意見は根本的に社会の役には余りたたない気がしてます。まぁ、個人の意見としてはあるでしょうし、blogに書いてる分には問題ないんですが、これ、記事ですよね?原稿料出てるんですよね?羨ましい話です。
    もしかするとFREEなのかもしれませんがw

  2. なるほど! > 「○○するな!」と言う意見は根本的に社会の役には余りたたない

    私も気をつけよう。

  3. クリス・アンダーソンの「FREE」では広告モデルよりも“フリーミアム”により焦点を当てていると思うのですが、元記事の著者は「FREE」が嫌いと言っているようですから、クリスの著書は読んでいないのでしょう。

  4. そもそもが、慶応大学教授という世間を欺く肩書の裏に、エイベックスという守銭奴会社の役員ですからねえ。著作権の名のもとに「著作権者ピンハネシステム」を構築している会社の代表格。むろんプロモーションの重要性等はきちんと認めた上での話ですけどね。

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