メディア学者の壮大な勘違い

雑誌休刊ラッシュが示すマスメディア生死の分かれ道

いわゆるネット脅威論と言うかマスメディアの危機についての話なんだけど、この中にどうしようもない勘違いがある。この勘違いは別にこの人に限らず、メディア業界全体にあるんじゃないか。

じゃあ何が勘違いか。

件の記事の2ページ目に、

間違いなく言えることとして、テレビ、新聞、雑誌といったマスメディアがなくなることなどあり得ません。マスメディアには、インターネットや携帯に代替できない独自の利便性があるからです。しかし同時に、マスメディアがアナログ時代のビジネスモデル(テレビは電波で、新聞や雑誌は紙で)に拘泥し続けたら、継続的な市場規模の縮小は免れないことも事実です。

というのがある。ここだ。

まぁ私が「勘違いだ」と言うのはこの箇所だけで、他はちゃんと読むべきことがあるから、元記事は読むと良いと思う(とは言え後述のとおり他にも問題がないわけじゃない)。でも、この箇所はどうしようもなく勘違いだ。

何が勘違いかと言えば、

マスメディア企業は営利法人

ということが欠落しているということ。

確かにマスメディアは今後も必要であることに変わりはない。マスである必要がない部分についてはネットが代替して行くことは確かだろうが、マスである必要のある部分については、マスメディアと言うかオールドメディアの時代はしばらく続くだろう。「必要性」については元記事に書かれているとおりだ。

ところが、マスメディア企業も営利法人だという縛りから逃れることが出来ない。唯一逃れられるのはNHK(と官報)だけで、それ以外のマスメディア企業は全て営利法人である株式会社だ。だから、マスメディアであることを続けることが、経営的に十分価値があるうちは存在するけれど、ある程度よりも価値が下がれば他のビジネスに転換するなり、解散するなりするはずだ。もちろんマスメディアには「特別な意味」があるから、単に広告売上が下がっただけでは経営的な価値は下がらないけれど、視聴者や講読者が減るということは「メディア力」が下がるということでもあるので… という視点は無視出来ない。

もちろんその閾値はそれぞれの企業によって様々だろう。また、電波メディアは放送法やら電波行政やらが絡むから、そう簡単に廃業することは出来ない。だから、よほどのことがない限りはギリギリまで頑張るんじゃないかとは思う。広告媒体としてほとんど価値がなくなった中波ラジオがいまだ存続しているのもまた事実だ。まぁあれは制作費が安くつくということと、ラジオ専業局はほとんどなくてたいていラ・テ併設局だからテレビの収益で続けられるという事情がある。だから、それから考えれば何とか出来る範囲であればギリギリまで続けるだろう。

でも、そんな縛りのない雑誌新聞の類は、どんどん休刊(事実上の廃刊)しているのは元記事にもあるし、多くの人の御承知の通りだ。あれが営利法人の普通の経済活動なのだ。

まぁそんなことで閾値はいろいろあるけれど、経営的な価値がある程度よりも下がってしまえば、企業としての存続は難しくなる。また、そこで働く人もマトモな経済感覚の人であれば、売上が右肩下がりになった時点で見切りをつけ始め、ある程度よりも下回れば転職してしまう。そして、衰退はもっと加速する。

そんなわけで、マスメディアの必要性はあっても、その「必要性」が存続を可能にする程度の商売につながらない限り、マスメディアはなくなって行く。もちろん「残存者利益」というものがあるから、全てがなくなってしまうというわけではないし、必要性がなくなるわけでもないから完全な「干上がる池」ではないけれど、大量の淘汰が起きてしまう。

そうなってしまえば、単なる縮小均衡の類では済まなくなるだろうし、ある程度以下の存在感になれば必要性すら忘れられてしまうだろう。仮にテレビがNHKだけになった時、安くはないテレビ受像機を買うだろうか?

だから、マスメディアの今後を考える時には、「ある程度よりも儲からなくなったら、企業は存続しない」ということも考慮に入れるべきなのだ。

ついでにつけ加えておけば、「マスメディア」がネットに進出しても、それは「ネットメディア」の一つになるだけで「マスメディアの価値」が続くわけじゃない。「マスメディアとしてのテレビ放送の価値」はテレビ放送だからあるのであって、それがネット上のものになった時には「ネットメディアの価値」と同じになってしまう。その辺も忘れちゃいけないのだ。そういうことも考えると、元記事は「マスメディアの価値の存続」についてなのか、「マスメディア企業の価値の存続」についてなのか、焦点がボケ過ぎていると言える。