それはCOBOLのせいじゃない

私が初心者プログラマを脱出できなかった理由

ぼくは、
COBOLの職場に配属されたがゆえに、
仕事でJavaとかC++とかの言語のコードを読むことはできない。
やっぱり、常に言語に触れている人には勝てないと思っている。
だから、ギークを目指すのはあきらめて
自分の欲しいツールが作れる程度の技術力で我慢する選択をした。

はぁ? 自分の怠慢を棚に上げて「COBOLの職場」のせいにするんじゃねーよ。

私は最初に勤めた会社はFORTRANの会社だった。とは言え、その会社の売上から言うと、FORTRANばかりやっているのもヤバいので、COBOLをちょっと勉強した。COBOLってアセンブラみたいだなとか思った。当時(25年前だ)でも既にCOBOL周辺の楽しくない話は知っていたので、COBOLな仕事はやりたくないと思った。

転職してテレビ局に入ったんだけど、なんだかんだでコンピュータ子会社に出向になる。そこで結局COBOLをやるハメになる。土方仕事みたいなコード修正もさせられた。既に「構造化プログラミング」が普通の時代になりつつあった時代なので、上司のクソなコードに腹立てながら今で言うリファクタリングをやりまくったりもした。

それから何年かはあくまでも仕事の主軸はCOBOLだった。途中仕事でCでRDBとか全文検索とかやったり、いろんな言語を勉強したりもしたけど、一番金になる仕事はCOBOLだった。まぁ金にするには一番楽な言語だからね。

そういった時代の終わり頃に、Linuxの諸々に関わったり、そのちょっと前からGnuものをTOWNSに移植するとかやっていた。仕事の主軸はあくまでもCOBOLだったけどな。

「趣味と仕事の間」くらいのところでは、いろんなプログラムをいろんな言語で書いた。COBOLしか書けないということが、職業プログラマとしてどれだけ情けないか知っていたし、そもそも書けるプログラムがそんなに楽しいわけでもない。まぁCOBOLを使ってOOPなインタープリタとか、ファイル処理用のawkみたいな処理系を作ったりとかしたりもしたけど、その辺が限界だったとも言える。それ以上やるには、当時のメインフレームのCOBOLでは難しい。まぁ仕事はいつもテキトーに片付けて、職場のパソコンで自分のプログラムを書いてることが多かったんだけど。

そんなわけで、私のプログラマとしてのキャリアのかなりの部分をCOBOLが占めている。と同時に、いつも思っていたのは

COBOLだけじゃダメだ

ってことだ。当時のCOBOLは金にしやすかったけど、それが永遠なんてことはちょっと考え辛かったからね。

COBOLは金にしやすいし、成長しないことを肯定しやすい。だから、油断してると成長しないことを自己肯定してしまいがちだ。リンク先の人のように思ってしまうわけだ。

でも、本当にプログラムが好きでプログラマとしての能力を高めたかったら、仕事で使う言語が何であるか関係ない。それは別に趣味でプログラムを書けということじゃなくて、仕事でも工夫のしどころはある。↑ではサラっと書いてしまったけど、COBOLで言語処理をするプログラムを書くのは、いろいろ工夫しなきゃいけないわけで、そういったのだってスキルアップになる。再帰の使えない言語でパーザを書くのって面倒なんだよね。

そういった工夫、努力の類ってのは、結局のところ

自分自身のロードマップ

の作り方だと思う。今の仕事の延長に自分のロードマップが引けるのであれば、そのまま何も考えずに続けりゃいいし、自分の理想とする姿が今の仕事の延長でなかったら転職を考えなきゃいけない。そういった理由で転職するからには、それに合ったスキルを身につけなきゃいけない。言われりゃごく当然の話。

「○○な仕事の職場」にいることと、「あるべき自分の未来」とは関係あるかも知れないしないかも知れない。「○○な仕事の職場」が自分の理想と遠いと思うなら、「あるべき自分の未来」に進むにはどうしたら良いか考えなきゃいけない。

今はそこらじゅうに「良いコード」落ちてるんだよ。私がCを始めた頃なんて、お手本になるCのコードなんてなかなか触れられなかった。ソースが入手出来たら印刷していつも読んでた。でも、今はそこまでしなくっても、いくらでも優秀なコードに触れられる。スキルアップの機会なんて、いくらでもあるんだよ。

だからこそ、「自分自身のロードマップ」を描いてみる必要がある。現状肯定だけをしたり、あるいは現状の延長上ばかりを見ていてもしょうがない。

PS.

やーん。リンク先気がついてみたらmanameさんじゃんwww べ、べつにdisってなんかないんだからねっ!

それはCOBOLのせいじゃない” への1件のコメント

  1. RetroTube の人も職業 COBOL プログラマーですよね。ITpro で RetroTube 制作記を読んで感動すると同時に、自分の今を反省しました。

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