コミュニティ活動は暇だから出来る

ひがさんが怒ってるぽ。

勉強会とかコミュニティ活動に参加できるのは、下請けに仕事を押しつけてるからじゃね

ひがさんの言いたいことは理解するんだけど、それでも

コミュニティ活動は暇だから出来る

のだと言っちゃうよ。

もうちょっと語弊のない表現を探そうかと思ったんだけど、やっぱりわかってもらえるように要約したら、こうなっちゃう。大事なことだからもう一度言います。

コミュニティ活動は暇だから出来る

のです。

自分が頑張ってるのは自己責任。うん。それは「自分のステークホルダ」が自分だけならね。家族を持ったり、社会的地位があったり、何か責任ある立場になってしまったら、自分の行動は自分で決めるわけには行かなくなる。自分の「思い」の中でやりたいことはいっぱいあるだろうし、それがスキルアップにつながることなら「やるべき」と思っちゃうんだろうけど、実はそれでは済まない。

簡単に言えば、「自分」の上司や同僚や家族は、「自分」にもっと稼いで欲しいわけだ。「自分」が思いを全うすることや、やるべきことが出来て満足するということは、「自分」にとっては良いかも知れないが、「自分」の上司や同僚や家族にとっては必ずしも良いことじゃないのだ。彼等は「自分」にプロフィットを求めているのだ。

「自己満足」という類の「幸福」は流動性が低い。自分以外の人にそれを分配することは出来ない。そのためにコスト(時間)を使うということは、「自分」から「幸福」を得る「自分」以外の人達の「幸福を得る機会」を奪っているのだ。「お金」みたいな流動性の高い「幸福」の方が、「自分以外」にとってはいいのだ。

だから、「コミュニティ活動」みたいに、本質的に何も生み出さないことをやるのは、純粋に余暇でなければならない。だから「暇だから出来る」のだ。それ以外の時にやれば、「自分のステークホルダ」達の「幸福の機会」を奪うことになる。

もっとも、「自分の人生」の主役は「自分」だから、そうそう「他のステークホルダ」のことを意識しなきゃいけないってこともない。だってそんなことをいつも意識していたら、息抜きすら出来なくなってしまう。とは言え、明かに自分に依りかかって生きている人達がいるとするなら、その人達の「幸福の機会」を奪うことには、

説明責任

が発生するのだ。つまり、それがどれだけ(将来)役に立つことであり、彼等の「幸福」につながるかということを説明出来なきゃいけない。そうでなかったら、それは

単なる遊戯

に過ぎないのだ。純粋に余暇に、遊んでる時間にやるのであれば、「自分の時間」として自分にいいように使うのは構わないけれど、他の時間を犠牲にするのであれば、説明責任がある。そうでない状況で「俺は世のため人のためにやっているのだ」というのは、オナニストの発言でしかない。「世のため人のため」が本当にそうなのか、仮にそれがオレオレ理論であっても説明出来なきゃいけない。

以前、「コミュニティ活動は40歳定年」という話を書いたのだけど、これは↑の話とは無関係じゃない。

若いうちは「自分のステークホルダ」は自分だけだったりする。あるいは、時間を作ろうにも余暇をやりくりするしかない。だから、「暇だから」参加出来るだろうし、時間というコストについてもあまり深く考えなくていい。でも、「いい歳のおっさん」になれば、もうちょっと自由が効く代わりに、ステークホルダも増える。説明すべき対象も増える。

ここで言いたいのは、

だからやめてしまえ

ではない。そういった「説明責任」を果しつつ、コミュニティ活動をしろというのだ。

いろんな人に会い、いろんな知見を得ること、これは無駄なことじゃない。私が敬遠したり、敬遠することを勧めるのは、それによって得られるメリットに対する「効率の悪さ」だ。「暇だから出来る」と半ば耶愉したようなことを言うのは、効率の悪いことを効率の悪いままにしているからだ。逆にまぁ「暇な時間」であれば、どんなに効率の悪いことも許されるわけで。

勉強会に出てスキルアップすること、それ自体は何も悪くない。また、それを自分で企画していろんな人に参加してもらうこと、これ自体も素晴しいことだ。それを通じて人脈を作ることもいいことだ。だけど、それによって得るもの、あるいは将来それを通じて得られるであろうものに対して、かけたコストが回収出来るのか。そのことについては、計算をした方がいいと思うし、それを他人に説明出来なかったら、「暇だから出来る」の謗りは免れないだろう。

別に目先のメリットを追い求めるのが良いわけじゃない。メリットに兌換性を求める(つまり金にする)必要もない。ただ、人は何かの活動をすると、「時間」というコストを発生させるし、それが自分だけの時間でない時間であるなら、そのコストについての説明責任を負うということ。

そして、「いい歳のおっさん」であるなら、そういった「コミュニティ」活動で若いモンとワイワイやるのじゃなくて、「彼等にどうやったら幸福を生産させることが出来るか」「コミュニティ活動を通じて幸福を生産させる仕組み」を考えて行動するべきだ。それが「いい歳のおっさん」の役目だ。

「メリットは参加者が見つけるもの」というのは、参加する側が思うのは正しいが、主催する側が言うべきもんじゃない。でも、主催者は「俺の思った通りに行動すれば、俺の思ったくらいのメリットはあるよ」といつでも説明出来なきゃいけない。それが出来ないんであれば、「暇だったら参加してくれ」と言わなきゃいけない。

PS.

確かに楽しくはないがね。でも、「楽しいこと」は若者に譲るのがおっさんの務め。なーに、楽しいことは見つければいい。かつてそうして来たようにね。

コミュニティ活動は暇だから出来る” への2件のコメント

  1. それにしても
    「はぶあきひろさんのヒトコトは友達のみに公開です」
    では説得力は失われています。

  2. ヒマだとやるんだけど、ヒマじゃなくなるとやらない。だからなんでも中途半端になってしまう。私だけ?

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