コミュニティ40歳定年

「プログラマ35歳定年」というのはナンセンスだという話は、以前から何度も書いている。

だいたい能力が発揮出来る歳や内容は人それぞれなんだから、「ダービーに勝てない馬は馬ではない」的な言い方はどうかと思う。

とは言え、「コミュニティ活動」に関して言えば、40歳くらいを定年だと思って良いのではないか?

世の中には「毎年1歳平均年齢が上がる」タイプのコミュニティがある。と言うよりも、自然発生的なコミュニティはたいていそうだ。コの業界に絡むコミュニティに限らず、天文の会とか○○サークルの類もその傾向が強い。また、会社であっても新入社員が少ないところはそうなる傾向にある。

これはなぜかと言えば、新しい人が入らないし、古い人がやめないからだ。そうすると人が更新されて行かないから、ますます新しい人が入りにくくなる。また、たいていのことは年期を積めば積むほど練度は上がるから、全体のレベルが高くなる。それもまた新しい人にとってハードルを上げる元だ。

これを避けようと思ったら、まずは強制的に年寄をクビにすることだ。コミュニティに年齢制限を設けておいて、その年齢に達したら強制的に退会させる。そうすれば平均年齢が毎年1つづつ上がることは避けられる。新しい人が入らなければ下がったりはしないが、目に見えて人が減れば何とかしたくなるものだから、新人勧誘にも力が入るだろう。「いつものメンツ」の心地良さを強制的に減らして、「新鮮な喜び」の方に目を向けるようにする。

もちろん、せっかく仲良くやって来た人なのだから、単純に「二度と来るな」ではつまらない。年寄は年寄で新しいコミュニティを作ればいい。世の中には若くないと出来ないこともあれば、歳を取らないと出来ないこともある。若者が力を発揮することは若者のコミュニティに任せてしまって、年寄はそうでないもののために働けばいい。たとえば、政治力や経済力はたいていはある程度歳を取らないとなかなか持てない。だから、年寄はその辺を活かすことをする。コミュニティは別になっても目指す向きは同じで、やり方を変えて行くわけだ。

ということもあるのだけど、それとは別に

いい歳してみっともない

と思うわけだ。もちろん貪欲に若者と一緒になって勉強をすることそれ自体が悪いわけではない。勉強をする姿勢は良いことだ。しかし、コミュニティへの参加はそれだけじゃない。そこにいる人達との相互作用も当然あるし、コミュニティはそれが中心だったりする。

たいていのリアルのコミュニティはお行儀がいい。ネットではちょっと年上だとロートル扱いする奴等であっても、リアルでは年長者として敬ってくれる。また、年長者はなんだかんだ言って経験を積んでいるし、年長者が馬鹿やっていた時代を若年者は知らない。だから、年長者であるというだけで偉そうな顔がしやすい。同じような年齢の人達の中では相手にされないような「年長者」であっても、若年者の中にいれば年長として敬われ、偉そうな顔をして講釈垂れることも出来る。さらに「年長でも若年者に混ざることの出来るフレンドリーな人」とか「歳を取っても若者と一緒に勉強をする勉強家」というような褒められ方も可能だ。つまり、「気分いい」のだ。

もちろん「俺はそうじゃないんだ」と言いたい向きもあるだろう。しかし、そう見えてしまうということも忘れてはならない。

ま、そんなわけで、今の私は誘われない限りはコミュニティとは線を引いた行動をしている。たまに「客」として出掛けることはあるけれど、あくまでも見るだけで「参加」はしていない。内心参加したい活動がないわけじゃないけれど、そこはぐっと我慢だ。それが

若者の成長のためであり、
コミュニティのため

なのだ。古い頭で「近頃の若いモンは」なんて言っててもしょうがないのだ。だいたい、知識にしても馬力にしても、「若いモン」の方が上なんだよ。年寄が若いものに勝てるのは経験だけ。経験なんてのは話題には出来るけれど、伝承出来そうで出来ないものでもある。

コミュニティの主導権はとっとと「若いモン」に与えてしまって、年寄は年寄に向いた仕事をするべきだ。