「人生のいつ起業するか問題」

楠君のエントリ。

人生のいつ起業するか問題

とその参照先、

起業したいなら若いときにしたほうがよい重大な理由

私はこれで起業3つ目(数え方では5つ目とも言える)になるのだけど、「若いときにした」ものは明らかな失敗だったから、余程のことがない限りお勧めしない。てゆーか、そもそも出来れば起業なんてしない方がいい

まぁいくつも起業していて、それなりに上手く行っていると言えるのは前の会社くらいで、今の会社はまだこれからというところであれこれ結論じみたことを言ってもしょうがないけれど、失敗したものにはわりと共通の問題がある。要するに「フラグ」があるわけだ。逆に、この「フラグ」をうまく折ることが出来れば「若いとき」であっても問題がないだろうし、むしろそれを有利に活かすことも出来るだろう。ただ、その「フラグ」は若いときほど立ちやすい。ここではまずは立ってしまう「フラグ」について書いておく。

まず第一は、若い時は社会経験が少ないために、

利用されたり騙されたりしやすい

ということだ。特に自分でベンチャーなんて始めようかという奴は、それなりに技術的に高いレベルだったり「とんち」が効く奴だったりする。そうやって「これ!」というものを作り出して始めるわけだ。ところが世の中に悪い大人はいっぱいいて、そういったものを安く買い叩いたり、潰したりしようとする。

日本の社会では「謙虚」は美徳とされている。ましてや「お客様」相手だったら、そして特に若いうちであれば、「謙虚」であることは間違いなく美徳だ。と同時に、自分たちの持っているものに自信がなければ、ビジネスは成り立たない。時としては「傲慢」にふるまうべき時もある。つまり、

謙虚と傲慢のバランスが大切

なのだ。ところが、マジメに生きて来た人は「謙虚」の側に振れた行動をするし、自信に満ち満ちた人は「傲慢」の側に振れた行動をする。「謙虚」は美徳ではあるが、それだといつまでも「自社ブランド」が持てずに下請け体質になるし、「傲慢」は格好良いが、それだといつまでも客がつかなかったりする。悪い大人はその辺をうまく利用して、安く買い叩いたり潰したりしようとするわけだ。

次に危険なのは、

リスクを甘く見る

ということだ。どういうことかと言えば、「いざとなったら粥すすってりゃいい」的な思考に陥りやすいということ。これは「ベンチャー起業日記」の方の主張と全く反対になるのだけど、「若いうちは失うものが少ない」ということが悪い方に作用してしまうのだ。つい、「マイナスにさえならなかったら、イチかバチか」みたいなことを考えてしまう。特に「週末起業」的なものだと、「失敗しても貯金がなくなるだけ」みたいな考え方になりやすい。

もちろん「ここぞ」と言う時はリスクをものとしない態度が必要で、その勇気を持たねばならないのが経営者だ。とは言え、そういった「リスク」を考える時も、常に失うものの最小化を計らなきゃいけないし、やろうとしていることが

本当に「ここぞ」と言う時なのか吟味

しなきゃいけない。常にそういったものを考えつつ行動をしなきゃいけない。そうしないと、失なうものがないという状況に甘えることで、「下手な鉄砲」的な戦略になってしまい、業務のフォーカスがぼけてしまったり、軍資金が減ったりする。

そして最後に挙げるのは、

社会的立場が弱い

ということ。やっぱり若いうちは人脈に乏しい。あるいはあってもその人脈の中での立場が低い。頼ったり頼んだりする時も、下から目線になりやすい。何かと言えば「お願いする」という立場になってしまう。

「友達」を頼ろうにも、その友達も同じように社会的立場が弱くて、顧客として頼ろうとしても決裁権がなかったりする。借金しようにも金持ちの知り合いが少なかったりする。会社をやっているうちに必要になるであろう「人脈力」が弱いわけだ。

これは実は「会社の外」だけじゃなくて、内側にもあることだし、そっちの方が大きかったりする。

自分のアイディアや能力を使って起業する時でも、経営能力に欠けているなと思えば誰か他の人を社長にしたりする。「友達と一緒に」というのは、こういったことだ。自分は取締役やらCTOみたいな立場になって、ゼニ金の面倒臭いことは他の人を頼む。これは能力と時間の有効活用という点では非常に良いことなのだけど、時として「社長」が勘違いを始める。「金にしてる俺の方が偉い」的な勘違いだ。

前に何度も書いているように、技術それ自体は1円の金にもならない。そういった意味では、技術を金に変えてくれる「経営」や「営業」は大事なものだ。でも、逆にその「技術」がなかったら、そもそもベンチャーなんて存在する意味もない。「かけがえのない技術」があるからこそ、ベンチャーの意味があるのだ。だから、「金にする」という点では、どっちが偉いということはない。お互いがお互いにリスペクトしてないといけない。

ここで「人脈力」があれば、勘違いしてしまった社長に「ボケ!」と言うことも可能だし、そもそも

そんな馬鹿を社長にしない

ということも可能になる。

この他にもいろいろな問題は起こりうると思うのだけど、たいていはこういったものが複雑に絡みあった結果だ。そして、こういった問題の元というのは、一言で言えば「若さゆえ」ということになる。だから、逆に若くてもこういった問題が克服出来る見通しがあるのなら、別に問題がないとも言える。

さて、表題の「いつ起業するか」ということなのだけど、私の個人的な意見は、

期が熟したら

だ。だから、若いかどうかとか、業界の流行りがどうかとは、あまり関係がない。「そこで起業しないとヤバい」という時が来たらすればいいだけだ。自分の経験値、あるいは基礎能力や人脈力という類の状態、また社会の需要と技術的背景、自分のアイディアやシーズ、そういった様々なものが複合して、期が熟して来る。それが起業の時だ。その時が来れば、どんなに言い訳してもやらなきゃいけない「運命」になる。一生懸命やらない理由を探しても、勇気がないと尻込みしていても、やらなきゃいけなくなってしまうのだ。

逆に無理やりネタ探ししたり、勇気を奮い起こしてやっても、たいてい失敗する。やらない言い訳を並べてそれが正当化出来るような時には、別にやらなくてもいい。後になって「あの時やっていれば」とか思うかも知れないが、別にそれはやらなくて良かったことなのだ。「酸っぱいブドウ」でも何でもない。だいたい、起業なんて誰でも彼でもやる必要のあるもんじゃないんだから、自分の人生でそんな時が来なくても「そんな人生なんだ」でいい。でも、するべき時が来たら、「やらないわけには行かない」程度に物事は進む。その時に躊躇しないで起業すればいい。

よく「チャンスの神は前髪しかない」と言われるのだが、「カツラ」つけてやって来るのもいる。必死に掴んでも取れてしまう「チャンス」だってある。むしろ本当の「チャンスの神」はすげー長髪でうっかり近くを歩いただけで、絡め取られてしまったりするものだ。

「人生のいつ起業するか問題」” への1件のコメント

  1. 期が熟すというところで「ごもっとも」と思わずうなってしまいました。僕自身もまだまだ準備が全然足りていないことを日々痛感しております。特に技術方面ですが、成功するまで諦めないようにやるだけですが。

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