やっぱり技術力が高い人こそ、ビジネスモデルの良し悪しにもっと敏感になるべきだ

仙石氏のエントリ

技術力が高い人こそ、ビジネスモデルの良し悪しにもっと敏感になるべき

に対して、

10倍できて志あるエンジニアがとるべき戦略

という話が。

言いたい気持ちはわかるけど、それじゃあ多分だめだと思う。

いや、程々の成功、程々の給料、程々の名声… という「程々」を狙うのであれば、まぁそれは悪くはないと思う。自分だけのちっぽけな幸せで満足してくれ。

わかりやすいところから指摘しておけば、

世界的なソフトウェア言語であるrubyもまつもとさんが勤め人で暇な時期にこつこつ作ってたそうだ.

という認識は勘違いもいいところだ。もちろん「最初」はそうであったけれど、彼があのままトヨタケーラムに勤めていたら、Rubyが今のようになったかと言えば、私は多分それはなかったんじゃないかと思う。それはNaClの役員が偉かったとかそんな話じゃなくて、職場の

自由度

の問題だ。彼が何かをすることについて、余計な圧力をかけたり自重を求めるような環境でなかったということがあったから、彼は自分の成果物を遠慮なくリリース出来たし、それに関わるいろんな活動が出来たのだ。つまり、彼の開発を「促す」ことがどうかと言うよりは、「妨げるもの」が少なかったということ。

彼の話だと他人事になって不正確だから、自分のことで書こう。「世界的エンジニア」でもない私程度でもこうだという例だと思ってくれるといい。

1998〜2000年頃は、私は「Linuxの団体」のことでいろいろ動いていた。その時、私に自重を求める圧力はなかった。仕事のことだって適当にツジツマ合わせておけば良かった。思う存分活動が出来たわけだ。その前の勤務先でそれが出来たかと言えば、それは多分無理だ。もちろんコソコソとプログラムを書いたりとか、ML等で発言したりとかは可能だったと思うけど、講演でちょいちょい引っぱり出されるとか、あっちこっちに企業を訪問したりとかは多分無理だった。そりゃ有給が取れる範囲であれば活動出来ただろうけど、その当時の忙しさは普通のサラリーマンの有給くらいで何とかなるものじゃなかった。でも、前の会社の時は「それも仕事のうち」ということで、普通に活動することが出来たのだ。

そういった忙しい時期が過ぎた頃、ふと「前の会社だったらどうだっただろう」と思ったことがある。確かに最初は好意的に扱ってくれたりもしただろうけど(なんせ最初の著作を出した時は会社の金でパーティーが開かれた!)、あまり頻繁になれば会社もいい顔をしてくれなかったと思う。何しろ業務と直接関係ないし、ツジツマを合わせることも難しかったから。いや、もしかしたらそういった活動自体満足に出来なかったかも知れない。

matzのやったことでも、私のやったことでも、「最初」は

1. ITとは関係なく儲かっている会社のIT部門に就職し,10倍のパフォーマンスでもって1ヶ月の仕事を実質数日くらいで終わらせるようにする.

2. 残りの時間で自分が真にやりたいことをする.

ということで何とかなった。まぁ私の場合は「IT会社」じゃなくてテレビ局だったんだけど、「さっさと仕事を片付けて」とか「定時にきっかり帰って」とかで自由に出来る時間はいっぱい作れた。でも、やっていることがちょっと大きくなると、それで何とか出来る範囲を超えてしまう。実際、あるイベントだったか打合せだったかでどうしても何日か連続して会社を休まなきゃいけなくなった時、いかにしてその辺を誤魔化して休むか苦労したことがある。今なら携帯電話でどうにかなるんだけど、当時の携帯電話は距離によって番号が変わったりしてたから、なかなか厳しかった。

もちろん何をやっているかで、何とかなる範囲はいろいろだ。プログラム書いたりネットで何とかしてるだけだったら、普通に勤めながらでも多分問題はない。でも、「顔」が必要なフェーズになってしまうと、「出掛ける」ということが出来なきゃいけなくなってしまう。そういったことの比率が大きなものになると、「仕事をさっさと片付けて時間を作る」のでは追いつかなくなる。

単に技術があるだけじゃなくて「志ある」エンジニアであれば、そういった活動もしなきゃいけなくなる。自分のプロダクトでなくても、「この世界で活躍しているエンジニア」みたいな立場になっちゃったら、何もOSSやってなくてもロールモデルっぽい空気を持ってしまって、いろんなイベントで「ちょっと顔貸せ」と言われることはある。最初のうちはそういったことを好意的に扱ってくれていた会社も、あまりそれが頻繁になれば「自重しる」ということになって… ということになる。

だから、yamazさんの戦略というのは、最初はそれでも何とかなるのだけど、それは「そこそこ技術がある」程度の人、あるいは会社の許容範囲の活動足りる人だ。でも、もうちょっと大きな活動をしようと思ったら、それでは足りなくなってしまう。真に「志し高く優秀」な人では、多分それでは足りない。そんなに優秀でもない私でさえ、当時(のちょっと前)の私の環境では足りなかった。

だから、本当に「志し高く優秀」であるなら、せめてそれを

「妨げるもの」が少ない職場

でないとダメだ。会社がそれを評価したり活かしたり出来るかどうかは、二の次でいい。とは言えせち辛く景気の悪い時代なんで、会社が「自重しろ」と言って来ないということは、それを評価したり活かしたり出来るとほぼイコールになってしまうだろうし、そうなると仙石氏の言うように「会社のビジネスモデル」が大事だということになる。

PS.

いつも通り長々と書いてしまっているので、一言で↑を説明するなら、

呑舟の大魚浅瀬に住まず

だ。魚があまり大きくないうちは、「浅瀬の王」になっているのは本人にとっても幸せだし、「浅瀬」にとっても格好いい。だけど、ある程度以上の大きさになってしまったら、本人も不幸だし、「浅瀬」も持て余す。職場が「浅瀬」か「深淵」かというのは、その会社のビジネスモデルによる。まぁ中にはデカくても「ヒラメ」みたいなのもいて、浅瀬でも困らないって人もいるだろうけど。

PS2.

もちろん「ヒラメ」には意味がありますw