コメント欄をどうするか

小飼さんところ

あなたのコメント欄を承認制にしなさい。でも私のは開けとく

と、極東ブログ

もうコメント欄を承認制にしますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ。

より。

どっちも妥当だなと思うし、多分こんなものに「絶対」はないと思う。なので、山のにぎわい的に自説を書いてみる。

ちなみにここはコメント欄は原則解放。ただ、spamが面倒臭いので、URLが2つ以上あると承認が必要になる。でもまぁ←に書いているように、あまり私がコメントを歓迎しないようなことを書いているせいか、アクセスのわりにあまりコメントはつかない。

最初はいろいろ面倒臭いので、コメント欄はなかった。というか、このページの最初なんて20世紀で、その頃は「コメント欄つき雑文システム」はなかったから、つけようもなかったんだけど。その当時も「ネガティブなコメント無用」と書いていた。「ここはブログじゃなくてチラ裏置き場」と言い切るのも、「反論」の類はして欲しいと思ってないから。

とは言え反対意見があるのは当然だし、コメント欄があろうとなかろうと反対したい人は反対するだろうから、それを止める気はない。ただ、「ここ」に書くことは歓迎してないということ。それは以前小飼さんが言ってたような、「フィードバックの有用度」にも関係があるし、反論異論にはそれなりに価値があるから、自分の言論機関(つまり自ブログ)で書いた方がいいだろうということでもある。いくら価値があっても、私がムカっとすれば消される危険性もあるわけで(多分消さないけど)、それよりは私が消す危険のないところで書いた方がいいだろうということ。独立したエントリの方が、情報としての寿命も利便性も高いだろうし。

ただ、途中で多分「Geekなぺーじ」あたりで「コメント欄は開いておいた方がいいよ」という意味のことが書いてあって、その理由を見て納得したので開くことにした。でもまぁ面倒臭いこともあって脅し文句とか書いて現在に至るわけ。幸いなことに脅し文句にもメゲずにtypoとか勘違いとか指摘してくれる人がいるので、コメント欄があるのは正解かなと思う。

たいていの人には関係ないけど、一応ここのコメント欄にはフィルタがあって、ある条件に合うと承認が必要になる。たとえばURLと思われる文字列が2つ以上あるとみたいな。あと、spam認定されると自動的にフィルタされて無視される。まぁこの辺のせいで迷惑をかけてしまった人もいるのだけど、一々承認するのは面倒臭いんで、小飼さんの言うことは正しいと思う B)

アクセス解析のうちリファラは注意して見てる。つーか、「あーこんなところにリンクが」と発見するのが面白くて、そればかり見てる。で、はてブからのアクセスが増えると一応見に行く。幸いなことにショックを受けるようなネガコメはまだ見たことがないので、小倉せんせや池田信夫がグダグダ文句を言うのが理解出来ないでいる。むしろ昨日の「あるふぁぶろがーの作り方」のネタみたいなのが拾えるというのが面白い。

たまにカチンと来るのもあるけど、カチンと来るコメントはたいてい頭悪いコメントで、いつも槍玉に挙げてる「書いてあるものを読まず、書いてないものを読む」の類か、「書いてないこと = 私が知らないこと」だと思って馬鹿にしているかなので、スルーしといて害はない。「正当な反論」は自分と意見が異なっているものであっても、そうそうカチンと来るもんじゃない。

そんなわけで、コメント欄やらはてブやらをあまり気にすることはないと思ってる。マッチョを勧めるわけじゃないけど、そんなに強い必要もないと思う。

ただ私が心掛けているのは、小飼さんとは逆に、

コメントにはなるべく反応する

ということ。まぁネガティブだと思うものはスルーなんだけど、そうでないものには少なくとも1回は返事を書いたことになるようにしてる。mixi日記にありがちの、個別コメントはしないけど。

なぜそうするかと言えば、気になってつい反応するというのもあるけど、ポジティブコメントを歓迎することが、ネガティブコメントを遠避けるから。これは極東ブログの人が言っている、「自分を受け入れてくれるコミュニティを持ちなさい」というのとだいたい同じこと。つまり、自分のところに自分を受け入れてくれるコミュニティを形成する、そのためにはまず自分が他人を受け入れるということをするわけだ。

これはともすると、池田信夫がやっているような「マンセーコメントだけ承認」と似てるように見えるけど、まるっきり違う。あくまでも「場の空気」とか「文化」というものを自分のコメントで作ろうということ。それで作る「障壁」をあまり高くしてしまってもしょうがないし、コメント承認で恣意的に作るのも馬鹿げているけど、「ここはそんな場」という空気を「管理者」としてではなくて「参加者」として作るわけだ。

つまり、「ネガティブを切る」のではなく、

ポジティブを伸ばす

という方法だ。そうしておけば、「本来あるべきネガティブ意見」は相手をすることになる。その過程で自分も成長出来るし、ネガティブ耐性もつくはずだ。

というのが「ブログ(のようなもの)」の運用で思ったことなんだけど、私は極端にネガティブ耐性が低い人なら、

何もブログをつける必要はない

と思っている。

だいたい、リアルな話なんてのは「場の空気」とセットのものだ。ところがブログは「場の空気」が極端に薄い。ネタのつもりで書いたものにマジレスされても困る。高校生にでもなれば、酒もタバコもやってるのが普通だろうと思うけど、世間的には悪いことだから、ブログに書けば炎上の元だったりする。でも、「その場」だったら、せいぜい停学くらうくらいで済む。「陰口」の類だって一々公開の場に暴くこともないだろう。それが良いか悪いかは別にして、会話には「場の空気」がつきものだ。

そういったことを考えれば、「楽しく気楽なリアルの会話の延長」なんてものをブログでやるのは、あまり楽なことじゃない。そういったのはSNSでやればいいと思う。まぁ既存のSNSがあまりに使いにくく閉鎖的なんでブログに来るんだろうけど。

PS.

完全に蛇足になることをつけ加える。

何度も書いたように、悪意なんてスルーすればいいし、そのスキルはすぐに身につく。悪意が少ないうちは一々ショックを受けたりするんだけど、ある程度増えると感覚がマヒするとゆーか、ゲシュタルト崩壊して単なる文字列になってしまう。でも、悪意なんかよりもずっと厄介なのは、

微妙な善意

だ。善意をスルーするのは難しいし、そもそもスルーして良いかどうかもわからない。しかも、悪意ほどマヒもしにくい。善意も本当に味方になってくれているんだったら嬉しいけど、なんか押しつけがましーとゆーか、そこポイント違うしみたいな微妙なのだと、果して喜んでいいものやら。一時「mixi疲れ」って話があったけど、mixi疲れの元ってのは多分悪意で疲れるんじゃなくて善意で疲れるんだと思う。

まぁこんなふうに人ってのはわがままなものだから、善意にしても悪意にしても、あまり深刻に考えるべきことじゃないと思う。だいたい自分のページを見る人全員と対話するなんて、かなり過疎ブログでも難しいんじゃないかな。ネットなんてのはその程度のものだと思っておく方が、多分幸せ。