「創作」とは「射精」みたいなもの

「初音ミク」に決定的に不足していて必要なこと」がとんでもないアクセスになっているので、くだらないつっこみを受ける前に書いておこう。

小飼さんが「プログラミングはセックスのようなもんだ」という話を書いていたが、私はもうちょっと枠を拡げて「創作というのは射精のようなもんだ」と考えている。

そのココロは、

  • オナニーでも出来る
  • 「その結果」は未知数だ
  • 結果によらずかかるエネルギーは同じ

ということだ。

「特に客のいない創作(OSSの大部分)」とか「客なんて考えてもいない創作(アマチュア創作)」なんてのは、つまるところ「オナニー」に過ぎない。だから、「創作を公開する場というのは、オナニーの後のティッシュの山」なんて言っているわけだ。

当然ながら、私の書くプログラムのかなりの部分もここに含まれる。私は「自分のオナニーの後のティッシュ」に価値も興味も感じないから、ほとんどのプログラムはタダで公開しているわけだ。公開されているプログラムは、「私がプログラミングという快感を味わった後のカス」でしかない。だから、客のいなかったプログラムに執着はない。

ところが、「相手」のいる「射精」はセックスだ。相手も快感のはずだし、子供も出来るかも知れない。また、どちらもないかも知れない。

「子供が出来るかも知れない」という点では、「オナニーの後のティッシュ」でも作ろうと思えば作れるわけだから、私にとってのゴミであっても、別の人にとっては「貴重なもの」かも知れない。どんな形であれ、相手がいたり相手が勝手に出来たりすると、どんな結果が出るかわからないのだ。子供なんて出来た日にゃ、その先どうなるか全くの未知数だ。

ところが、そんな「凄い結果」が出てしまうことも、「捨ててしまうティッシュ」を作ることも、やっていることは同じだ。自分にとっては、一瞬の快感と共にわずかな液体を排出するだけだ。「自分」にとっての違いはない。それにかかる直接のエネルギーの違いもない。「射精」そのものの「値段」は

プライスレス

なのだ。ところが、「シチュエーション」や「結果」によって価値はまるっきり違って来る。

「創作」もそうで、「作られてそこにあるだけ」であれば、何の価値もないし、「他人」を意識したものでなければ「オナニー」に過ぎない。売れたら売っただけの金になるし、買った人の心を動かしてしまったら、そこから先はどうなるかわからない。でも、どんな結果になろうと、「創作」にかかるエネルギーは創作に必要だったエネルギーであることに変わりはない。

そーいやー、しばらくしないでいると出したくてしょうがなくなったり、「相手」はどうでも良くなったりするとか、溜まりに溜まった後に出すと普段よりも快感だったりとか、考えれば考える程そっくりだ。