オールドメディアもうだめだなぁ…

ネットがなかったので、久しぶりにテレビと新聞を頼る。ちなみに、ここには新聞も来てないし、テレビもない。

田舎のテレビはチャネルが少ない。だから、系列局のないキー局の番組は、変な時間に何週遅れかでやる。これを「パックネット」と呼びます。

途中から見ていたのでよくわからないのだけど、テレ朝系列でやった裁判員制度に関係のあるドラマを夜中にやっていた。立場のことはさて置き、なかなかいい番組と思えた。裁判員制度については、私は何の意見も持ち合わせていないけれど、ドラマのネタになるということで、興味を持つ人が出て来ることは悪くない。仮にそれが歪曲されていたのせよ、「何も情報がない」という状態よりいい。そのことは別にしても、好感の持てるドラマだったので、YouTubeあたりにあると良いけど(ぉ

で、これを見たのは元の勤務先の局。ここ本来はフジ系列なのよね。で、「変な時間(深夜)」なものだから、ロクにスポンサがついてなく、スポットには番宣ばかりが入っている。つまり、やたらと番宣を見ることになる。

これもまた、元の勤務先の悪口になってしまうわけだが。

番宣は番組の全ては見せてくれない。興味を引く肝心なところを隠してある。いまどきは見せないだけじゃなくて、「隠してるよ」と明示している。それで視聴者を釣るのが番宣の意味だ。まー、それはそうなんだけど、番宣ばかり連続で見せられているものだから、そんな画を何度も何度も見せられて、いい加減食傷してしまう。単に食傷するだけならいいのだが、「ディザー広告」を何度も見せられるわけだから、

むかついて来る

のだ。さらに、今時の馬鹿げたテレビ表現の、「字幕」が出る。芸能人が予定調和的に叫んでいたり、「はいはい。ワロスワロス」としか言いようのない「バラエティ番組」の番宣が並ぶ。つまりまぁ、

たいして面白くもない白痴番組を
ディザーを使って無理やり見せようとする

ということ。そんなことにエネルギーかけたり、広大な電波資源を使ったりしているということを思うと、見ているこっちが恥ずかしくなってしまう。そこまで視聴者を白痴化させたいのかと呆れてしまう。

同じ「馬鹿」なら、ニコ動や2ちゃんを見てる方が、素直に笑える分だけいい。資源の消費を考えれば、そっちの方がずっと地球にも優しそうだ。時間の浪費も少ない。まー、問題はネットなものというのは、バーチャルな時空の共有には向いているけれど、リアルに時空を共有している人達と情報共有することに向いてないということ。つまり、「お茶の間」向きじゃないということだ。

新聞は久しぶりに紙の新聞を見たのだが、いろんな意味で辟易する。ニュースとしての一次情報があるのはいいのだが、憶測やら思想やらにあふれているのが邪魔だ。そうやって紙面を稼いで、広告面を確保するわけだ。

広告があることが悪いとは言わない。ただ、そういったメディアを構成する時に、

はじめに広告ありき

ということに立ってしまうこと、それをベースにいろいろやらざるをえないところが、「オールドメディア」の悪いところだ。これはもうシステム的に不可避なことで、どうすることも出来ない。

また、広告を出してしまえば、広告主の意向に沿う義務が発生する。これは「何を」「どう書くか」ということ以前に、「視聴者を稼ぐ」という義務が発生するということ。そうなると、良いかどうかの判断が、「どれだけ多くの人が見たか」ということになってしまう。つまり、「広告を出す」ということと「視聴率を意識する」ということはイコールなのだ。

とか考えれば、そういった「オールドメディア」に見識を期待する(見識の復活を期待する)ことは不可能だ。メディア特性としてのマイナス面に加え、「見識は限りなく0に近付く」という現象が起きつつあることを思うと、遠からずテレビや新聞は終焉を迎えるように思えてならない。だから、件の番宣の連続で見た、芸能人が予定調和的に叫んでいる姿は、見ている途中から

テレビ(オールドメディア)の断末魔

に見えてしょうがなかった。地デジ完全移行になった時に、どれだけの視聴者が消えて行くだろうか

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