産経新聞必死だなwww

【記者ブログ】ニュースが無料で読める恐さ 池田証志

この記事についてのつっこみを身近で見掛けないのは、「はいはい。ワロスワロス」という程度にしか見られてないからだろうか? まー、確かにそれも一つの態度だと思うし、「新聞ってその程度の影響力しかないんだよ」という意味ではいいんだが、誰かつっこんでやれよ。つーことで、つっこんでみる。

この記事。この記事自体が「なぜ新聞は衰退したか」ということを、端的に表現している実例だと言える。まず、

今さらですが、新聞社は、企業や団体などからの広告料と読者の皆さんからいただく購読料を主な収入としています。広告料に100%頼っていない。だからこそ、広告料を払ってくれている企業や団体の悪口も書けるのです。

ある意味、1円でももらえば、それに対しての悪口は書けない。書くのが普通の環境であれば、「金と記事は別」と言い切れるだろうが、少なくとも「日本の大人の常識」ではそうではない。「金に左右されない」のもプロの姿なら、「金の出所」を意識するのもプロの姿だ。「ある程度の規模以上の法人の一員」であるなら、「金の出所」は意識するべきものだ。「他の構成員の立場」、特に「弱い」人のことは考えなければならない。ある程度以上の規模の組織では、「弱い人」を意識しなければならないものだ。金がなければ大きな組織は続かない。だから、「客」は大事にしなければならない。

逆に「金と記事は別」という見識を示すというのもアリだ。「それは弊社の見識である」ということにしてしまえば、その立場を貫くことは可能だろう。スポンサは多少は減るかも知れないが、金を出す方にしてみれば「提灯記事」ばかりを書かれても嬉しくはない。「問題点を指摘されることで、長所が引き立つ」というやり方だってある。あるいはそういった「高い見識の新聞」に広告を出すという「ステータス」だってあるだろう。

そういったことを考えれば、「100%広告費でないから批判も書ける」なんてのは、詭弁でしかない。「縛り」を前提にすれば1円でももらえば書けない。「見識」を前提にすれば「広報誌」であっても書ける。

つまり、この1文で、産経新聞は、

  • 詭弁を主張する新聞である
  • 払いの少ないスポンサはないがしろにして良いと思っている
  • スポンサの意向を超えるだけの見識は持ち合わせていない

ということを言っているわけだ。

また、この記者は「ニュースはタダでは入らないから金を払え」と主張している。これは正しい。しかし、ここにも論理のすりかえがある。それは、

ニュースと新聞はイコールでない

ことを意図的に黙っているということ。

「ニュース」は無限の情報量を持っている。しかし、「新聞」は有限の表現力と有限の分量でそれを伝えなけばならない。逆に言えば、「無限の情報量」を伝えきれていないのだ。 もちろんそれを保償(イコライズ)するのが新聞記者の腕である。ところが、それは高度な技術であるし、記者の筆加減でどうにでもなる。だから記者は「自分がニュースを作っている」と勘違いするのだが、それはさて置きそのような意図や勘違いがあろうとなかろうと、「イコールでない」ことは確かだ。

どれだけネットでいろいろな「ニュースサイト」が流行ろうと、あるいは「評論」が増えようと、「一次情報」の価値は変わらない。いや、相対的には価値は高くなると言える。だから、誰もがニュースを不要だと思っていないし、いわゆるニュースサイトや評論サイトで十分だと思ってはいない。

立花隆の連載に、

一般の人が見るニュース用に編集された映像からは、そこまでうかがえなかっただろうが、私はたまたまナマの記者会見をはじめから終わりまで見てしまったので、それがおかしいくらいよくわかった。

という部分があった。この記事の真偽はわからない、それは立花氏の主観なのかも知れないが、我々はこの真偽を知る術すらない。真にしろ偽にしろ、「一般の人が見るニュース用に編集された映像からは、そこまでうかがえなかっただろうが」と書かれてしまえば、その編集前のものを見たくてしょうがない。「俺の目で見たい」と思えてしょうがないのだ。これこそが、「一次情報」の価値なのだ。だから、「ネットによる情報の氾濫」は、むしろ一次情報への渇望を増すとさえ言える。

しかし、新聞は売れなくなっている。それには理由はいろいろ挙げられるだろうが、一番の問題はそういった諸々のことへの

現状認識の不足

にある。つまり、「なぜ新聞が売れないか」ということについての、冷静で客観的な認識が不足しているということだ。解くべき問題がわからなければ、答えを得る方法すらない。どこかと提携や連携をするということは、短期的には「いくらかマシ」になるかも知れないが、根底にある問題を解決しないことには、結局衰退傾向は戻らない。

件の記事も含めて、新聞社の論調は「ネットでタダで新聞が読めるからいけない」とでも言いたそうだ。しかし、今時ネットの上の諸々のサービスは、

タダが基本

だと言っても良いくらいだ。その「タダ」を前提として金を稼ぎ出し、いろいろなサービスをするばかりか「IT長者」を産み出しているのだ。ロクに自前コンテンツを持たない「IT企業」があれだけ稼ぎ出しているのだから、膨大な自前コンテンツを持つ新聞社が稼ぐことが出来ないというのは、経営者の頭が悪いか、今までの商売がインチキだったか、どちらかだ。