出エジプト記

会社を辞めるという話は昨日書いたとおり。

辞める理由はいくつかあり、ネガティブな面についてはあまり具体的に語る気はないし、ポジティブな面については今はまだ語るべき時ではないので、いずれまた。ただ、辞めるにあたっては、それなりに計算があったので、その話。

昨日のコメントでも書いたように、私は組織は必要なものだと思っている。そしてそれは、強く大きい程価値があると思っている。大組織の統制は時として容易ではないが、大組織には小組織にはできないこともできる。また、小組織が必要な時には大組織を分割すればいい。小組織はどう頑張っても小組織でしかないが、大組織はうまく統制が取れれば、小組織を兼ねることができる。組織はあるべきなのだ。

しかし、組織にいることは、「いる」ということにコストがかかる。組織を維持するためには「我慢」する局面が少なからずあるからだ。もちろん組織にいる「メリット」もあるわけだから、必要な我慢はしなくてはならない。それが出来なければお子ちゃまでしかない。「我慢コスト < 組織メリット」の範囲であれば我慢は必要だ。 ただ、瞬時値であれ積分値であれ、「我慢コスト > 組織メリット」となってしまえば、「辞めちゃえ」と思うのは当然のことだ。だから、とっとと辞めるのがいい。

しかし世の中そんなに甘くない

実はここに出て来ないファクタもたくさんある。「しがらみ」とか「愛着」とか「意地」とかだ。世の中そういったファクタは無視できないわけで、そういったものに縛られるのもまた人間である。「鶏肋」という奴だ。

そんな時には何かで背中を押されるのが都合がいい。

前の会社を辞める前、「我慢コスト > 組織メリット」になっていた。それでもすぐに辞める決断をしなかったのは、「我慢コスト」があまりに大きくなっていたので、「ここで辞めたら敗北者として辞めることになる」という気になっていたからだ。その当時にも「次」の話はあって(それが今の会社)、それは非常に魅力的であり、また自分の能力を生かす道であったにも関わらず、「敗北者になる」というのが嫌で、なかなか決心できずにいた。

そこで、「じゃー二技に通ったら辞めるか」ということを決めた。二技あれば、とりあえず「テレビ技術者として半人前」と言えるからだ。実は前職はテレビ局であったのだけど、テレビと関係ないコンピュータ部署や子会社の方がずっと長かった。だからもうまるっきり電気関係の理論なんて忘れかけていたのだが、人事の都合でものすごい勢いでテレビ部署に戻る方向になっていたのだ。それで「とりあえず二技」というのは、目標としてそう悪くはなかったのだ(辞めなきゃその勢いで一技を取る予定でもあった)。

そうしたら通ってしまったので、その報告と同時に「辞めます」と言うことにした。上司は唖然としていたが。

まぁそんなわけで「背中を押す」というイベントは必要なのだ。

今回はまぁ私としては「良かれ」と思ってやったことを問題視され、しかもそれを非常に低次元の話に持ち込まれてしまったので、「つまりは干したいんだな」と解釈することにした。

仮に私がどんな不祥事を起こそうと、組織にとって必要だと解釈されていれば、組織は弁護代弁に回るはずである。そうでないと言うことは、「必要でない」と解釈するべきだ。あまつさえ、「あれもこれも」と並べ立てるということは、「要するにそういうことだ」ということの傍証でしかない。

ただ私にとって好都合なのは、そういった類のことだと「綺麗さっぱり未練なく辞められる」ということだ。そうでもなかったら、いかに「次」を用意しているとは言え、なかなか決心はつかなかったはずだ。「愛着」もあれば「しがらみ」もあるわけだし、そもそも「この会社の未来」ということも気になるからである。「弊社の役員」として生きるのは、そう悪いことではない。

ただ、そういった「蚊帳の外への追い出し」があったわけなので、「じゃあ蚊帳だけじゃなくて外へ出るさ」という行動に移れたわけだ。

ちょうどまぁ「パロの子」として育てられたモーセが、エジプトを出るようなものだ。

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